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大したことのない人間になってしまう


  新しい年度に入り、環境が新しくなり多くの事が変わりゆきました。


 私の身の回りでも様々に変わりました。まず、職場の人員がいささか増えました。それすなわち、私の肩身が狭くなる事を意味していました。新人は仕事ができないことがほとんどですし、しばらくはその調子でもうるさく指摘されずに済みます。かつて、私もそのように扱われていました。ですが、現在の私の立ち位置は先輩として扱われるというより、腫れ物みたいな感じです。物覚えの浅い新人に私が指摘を述べると、それがおもしろくない店長は「余計な事は言うな」と、個人的な注意をしてきました(仕事のやり方を勝手に仕切られるのが嫌なようです)。


 私は職場の細かいことによく気付いてしまうのです。新人が猫を被ってよく見られるように小賢しく振る舞っていても、ほんの少しの「違和感」がはっきり見えてしまうのです。そして、相手の方も私のそうした「厄介さ」を知ってか、避けるようになっていきました。その人たち、私のことを悪く言っているようです(その時の店長の口振りで察しました)。職場に私の味方などいるわけがありません。


 私は自分の思ったことをちゃんと述べる能力がそこまで高くありません。分かりやすく言えば、不器用なんです。その不始末が、職場の人間たちから不満を買っているのも分かっているつもりです。しかし、些細な勘違いの蓄積で落ちていった評判を今さら修復できるわけでもございません。


 見失ってしまいました。一体、私はどういう人間として立つべきなのかを。


 私は私なりに、職場で自主的に行動し、よい結果を生むように試行錯誤してきました。それは、失敗することも幾度もありました。ですが、私はよく気付いて行動で周りに示している側面だってあります。「物言わぬ抵抗」として、察してもらえるのを必死で願っての行いです。


 いくら身振り手振りでやっても手応えはいまだにありません。やはり、人には言葉で言わねば伝わらないのです。そうした鈍感な連中を心底、「馬鹿だなあ」と思ってしまいます。


 たとえ、具体的な言葉にしても、ほとんど理解してもらえなかった(修飾や語句の構成を意識した難しい言い回しをしてしまうので、口頭ではほとんど理解されない)。だから、私は理解されることをあきらめて、一人ですべてを抱え込んで、思い通りにいかない悔しさを募らせます。


 正直、今の職場で飼い殺しにされている自分を心から憎んでいます。なぜなら、私の潜在能力はそこに居るだれよりも高いもので、「自分なんか駄目な人間なんだ」と常々思わされているのは、その環境に固有の「やり方」を強要されているからに他なりません。


 私はよく考えます。今の職場の店長はもっともらしいことを言っていますが、及んでないのです。人の扱い方も、得意不得意の見極めも、すべて「個々人の努力」で埋めろと言うだけで、ちっとも中身がありません。


 正直、あの人間はリーダーの器ではないと思っています。企業体質の根付いた、当たり障りのない慣例と因習によって培われた退屈な弁論しか寄越さないのです。


 いつしか、私は自分を蔑んで、敵として、もしくは低い者として扱ってきた連中よりも強い力を手にして、必ずや自分の正しさを証明したいと考えています。そのために私がすべき事。


 だれよりも優秀なら、当然やっているべき事を行うということです。


 この文章にまったく意味を感じられないと解っていますが、決意の現れとしてここに書き記しておきます。


 私は自分の正当性を示すために、行動することを誓います。


 そして、それが望んだ結果を生むための必然を担うことも改めて胸に刻みます。