スキップしてメイン コンテンツに移動

明見M (1)


明見M


あなたが居なくなった後、それでも人間は不変で在り続けますか。


リスカ塔が居なくなったら、と思っていました。そして、それは必ず現実のこととなります。その世界は今とどう違うのでしょうか。



この小説は呪われています

アケミアケミアケミアケミアケミ


 リスカ塔こと井上裕(26)は2021年の夏にこの世を去りました。


 彼の、SNSの会員ページの自己紹介には「*********」と書かれていました。彼が最後にやり取りしていた内容を引き継ぐのは、あたしの仕事と相成りました。木村利他(21)こと重里ちんはリスカ塔の後継者にはなりませんでした。彼に匹敵する文章力も感性も、あたしにはあるとは思います。それでも、あの人にはならない選択をしたのです。いいや、選ぶ権利などなかったのでしょう。彼が居なくても、きっとあたしは別のだれかを利用して生きていきます。危険も伴う覚悟ではありますが、仕方ないのです。生まれも育ちも、努力ひとつでは覆せないほどの底辺からの駆け出しでしたので。死ぬよりは増しです。


 あたしはユタカの遺志を次の人に託す役目を負っているのです。同性は嫌いなのですが、この仕事は決して欠かすことはできません。午後六時、約束の駅前で会うことになっています。メッセージアプリを介して送られてきた写真には、一人の女の顔が写っていました。


 黒く長い髪に、黒い瞳がきらりと光っていました。まるで死者のような、魔物のような、この世のモノとは思えない風貌をしていたのです。


 人もまばらな広場に一人、たたずんでいた彼女もまさしく魔女か何かだったのかもしれません。そんな同類に接するのは、あたしにとって気がとがめたのですが、事情が事情なのでおそるおそる話し掛けてみるに至ったわけです。


 彼女の背はあたしより低いです。ついでに、ユタカよりも年下のようでした。二〇を過ぎた女性は十代の頃のような幼さが段階的に抜けていくのをあたしは察していたから、その人が自分より老けているのはすぐに判りました。


 出会って早々、あたしたちは女二人で近くのカラオケボックスへ入る流れになりました。あたしは職業柄、流行りの曲は耳に馴染んでいますが、特別、音楽を聴く方ではありません。無音で生活していても差し支えないくらい、音楽というものを信頼していません。


 ところが、その女性は入室するや否や、ためらいなく、どんどん歌を唄い始めました。どういうわけか、ユタカがよく唄っていた曲が含まれていることが妙だと感じました。


 自己紹介は彼女が一頻り唄ってからとなりそうです。見掛けに依らず、情熱的な歌声でしたので、あたしはこの人がユタカになんらかの感情を抱いていたのではないかと予想しています。


 その日から、あたしと彼女の関係は始まりました。


 ユタカには申し訳ないのですが、ぼくはユタカの最愛の人であると、勝手に彼女に伝えました。すると、魂の抜けた人形のような両目を瞬かせて、名乗ったのです。


「あたしはミノリ。彼がどんな人だったか詳しく聞かせて」


 人を呪う力でもあるくらいの眼光が鋭く、儚げにあたし、……ぼくの両目を貫きました。ミノリはだれを見るでもなく、ぼくの背後に居る何かに向かって話し掛けているようでした。


 背筋が冷えてきて、素早く振り返ってみましたが、そこにあなたは居ませんでした。


 会えるなら、もう一度だけ、会いたいです。ユタカ。



1,

チイサナ死


 初対面のあれから、ミノリと名乗る女はぼくと時々一緒にカラオケをしました。住んでいるところが大きく離れているためか、会える回数はごく限られていました。こんな書き方をしていますが、ぼくはあの化け物みたいな人と会うのを心待ちにしているとか、そういう事は一切ありません。


 接すれば接するほどに、彼女が本式にリスカ塔の後を継ぐような気配はまるでありません。この人がなぜ、ユタカに近付こうと行動を起こしたのか、判るようになるのは、まだまだ先の事です。ミノリという女について言及する前に、生前のユタカの様子について少し触れたいと思います。


 井上裕という人は、ぼくに対して性的な要求は一切してこない人でしたので、ぼくは奇跡的にも同棲状態を維持できていました。半ば、ぼくの方から幾度か揺さぶりをかけ(乗じたなら乗じたで受け入れるつもりではあった)、彼の男性を促進しようとも、あるべきものがまるごと取り除かれてしまった後のように、手応えはありませんでした。


 二言目には「おれには女をどう愛でるべきか判らない」とこぼし、哀しい目をしてうつむいていたのです。女であるぼくに向かってあえて自慰行為をやったとほのめかす辺り、欲求が皆無ではなさそうです。余りにも痛々しい様子なので、ぼくは努めて彼のそばに居るよう心がけました。


 本当は分かっていました。彼かぼく、どちらかが先に死んだら結局は一人になるのだと。ぼくはユタカを買い被り過ぎるきらいがあったみたいですが、すぐ次のだれかに切り替えて、すっかり忘れてしまうことだってできると思います。この地球上には、人種が違っても、七十億を超えて余りある人類がひしめいて、あれだこれだと考えて生きているのですから。もっと言えば、彼より有能な人は、捜せば何十億人も居るでしょう。


 しかし、まだこのぼくは喪失を七十億分の一程度の些事だと割り切ってしまえるほどの能天気になれなかったのです。捜せば見つかるとは言いましたが、ぼく自身がそうだと認めなければ、どんな人だってユタカよりも下の存在です。これは逆転の発想もできて、ぼくが彼を買い被っても、他の七十億人が彼を取るに足らない存在だと言ってしまえばその程度ですし、そちらの方がより確証に近いです。


 いずれにしても、ユタカがこの世から消失した事実はぼくにとって、お店が一軒閉店したくらいの感傷ではとても充当できず、ガン細胞に侵された我が身を切除されるほどの痛みには匹敵するくらい、自分の事のように胸が苦しみました。


 そして、夜な夜な夢に見ます。彼が語った小説のキャラクターの姿をしている時もあれば、本人が出てきたこともあります。


 夢に出てくる彼はひたすら謝ってきました。「ごめん、ごめんね」と、悪事に慣れていない純粋な子供のように許しを乞っているようです。ぼくはそんな泣きじゃくるユタカを胸元に抱き寄せて、(俗な表現ではありますが)母性で守ってあげたい気持ちを呼び起こしました。それも本当に、生きているように鮮明な像で現れるので、目が覚めるとぼくは涙を伴っていることが珍しくありません。


 しかし、どうやら彼はぼくに謝っているわけではないようですから、小さな母性をどうにかして行使しようにも、ユタカはずっと謝り続けています。こんな彼は見たくありませんでした。


 ユタカは、社会で生きていくためには、差別も不道徳も包括した、より損失や犠牲の少ない選択のできる抜け目ない人でした。彼が述べる一言一言によって、かつてのぼくが後ろめたく思っていた行いすべてが、起こるべくして起きたものだと納得するに至ったのです。


 すべてを完璧にこなそうとすれば、先頭は上手にこなせても、末尾になる頃には効果が弱まっているのはざらです。これは学生時代の定期考査にも言えますし、社会人になってからの仕事の取り組み方にも言えます。効率を重視するのであれば、完璧にこなすことより、計画を立てて、優先度の高い問題・作業に取り掛かるのが急務なので、時間の掛かる難題や大仕事は適度に後回しにするものです。


 要約すると、偽善者は非効率だとしても道徳や倫理を重んじて、全員を救うための詭弁を弄(ろう)します。しかし、ユタカやぼくはそれが不可能に近い、それどころか自滅することを知っているから、切り捨てるべきを弁えているのです。


 どんな差別にも、守るべき帰属意識という発端があります。


 自分たちの所属する集団の権威を守るために、他の集団を敵と見なして攻撃することには、確固たる理念があるのです。異性愛者たる多数が、LGBTなんとかという少数の妙な集いに対して嫌悪感を示すのは、ある種、自然な心の働きだと思います。それらの勢力が伸びると、性同一性に一貫性がなくなり、人格形成に迷いを生じさせて、結果として十分に自己を確立できず、問題を抱えた人が増える懸念があるためです。


「『同性を好きになる』という選択肢もあるのか!」と早とちりした人は自らをLGBTなんとかだと自称する傾向があります。あたかも、それが道徳に則した価値観だと肯定的に捉えています。実際は真逆です。


 与えられた選択肢の複雑な分岐ゆえに、自身の性別に惑い、自分自身の正体に疑問を抱きます。染色体を見れば、それに由来する病気でもない限りは、だれしもに明確な性別が記されている、にも関わらずです。


 端的に申し上げると、異性愛者の立場が、それ以外の性指向や性自認の人々に負けることは永遠にありません。男性が男性として生き、女性が女性として生きることが人間社会を営むのに能率が良いからです。


 それに、新しい属性を持った人々が増えるにしたがって、新しい決まりごとを策定しなければならなくなります。それも、絶対数の少ない、妙な集いのためだけにです。それに骨を折るのはだれなのでしょう。少なくとも、彼ら彼女らではなく、LGBTなんとかへの理解を強いられるぼくたちです。心の奥では「妙な人たち」だと思う素直な心を圧し殺し、性同一性に問題を抱えた人々を快く迎え入れようとしているのです。それはそれで、気持ち悪い世の中だ、とぼくなら思います。


 その一方で、ぼくは女ですが男性らしい面があり、男のユタカでさえも女らしい面がありました。こうした、男女の比重の偏りは精神性によって多かれ少なかれ生じてしまうものです。それの強弱によって、わざわざ自分の性別を反転させる必要はありません。性同一性は人格形成に大きく貢献するのですから、ひとまず自分自身の生まれ持った性別を嫌悪するのは建設的ではありません。もしも、ここでトランスジェンダーの道を選んだとしたら、それからずっと他者に気を遣わせるか、自分が我慢をするかの二択を選び続けることとなります。その時点で自滅覚悟の、非効率的な生き方です。


 ぼくは女ですが、自分を「ぼく」と呼ぶのは、何もふざけているわけではありません。ぼくだって、心のどこかで自分の女という性別を嫌悪している箇所はあります。暴力や威力を以て男性に見下されることが理不尽に感じますし、それでも男では到底勝ち目のない強さを秘めた女という元来の性別を受け入れて生きています。ぼくがぼくをどう思おうと、性別は確かに存在し、ぼくを構成している要素として眼下に映るのです。


 少々長くなりましたが、自分の一存で決めきれないことが現実にはいくつもあります。自分自身の性別についてもそう思えたなら、余計な争いや揉め事は減らせるのです。


 その点、ユタカやぼくの視点は易しくないです。その時々の感情で安直に左右されてしまうような、時代が牽引する価値観にはなびかない手堅さが、彼の魅力だったのです。なんでも新しいものが格好いいとされるわけではなく、状況に応じて新旧の捉え方を使い分けて、自分が大勢の人々と生き残るために不都合な要素は切り捨て、否定的に見る勇気があったといいますか。


 少なくともLGBTなんとかは人類にとって、万人の悩みの種であっても、万人の薬にはなりません。ユタカ自身が、感情的で打算のない「自分らしさ」に最も近い位置に居ながらも、効率良く多くの人間と共存するための論理的な見方を持っていたのです。


 自己主張の激しい現代に遭って、ユタカも例外なく自我の囚われ人でした。その象徴として、彼は日常的に小説世界を構築しては、ここにはない「もう一つの現実」を作り上げるに終始しました。果ては、別の分野の表現にも関心を示しているようでしたが、ある時ふと見せてもらった漫画を除いては、ついぞ披露してもらえないままいってしまいました。


 他者におもねることなく、自我の赴くまま、勝手気ままな性質を有していた彼が、一体どうして大多数の味方をし、あそこまで悟りきった人になってしまったのか、ぼくには根本が見えていません。夢の中の謝罪に関係しているのだとしたら、その謝意が向けられただれかが、どうやら彼の世界を変えた張本人だと目測してみます。そして、その候補は彼の小説の中にすでに登場している。


 ユタカが欠けたこの世でも、ぼくは息を吸って吐くことに困難を催しません。つらい抗がん剤治療の末に心身が疲弊したとしても、ガン細胞の切除をしたって、生きていけるのと同じように。どう考え、どう捉えようとも、命に見切りを着けない限りは何人だって生きていいのです。生かされていいのです。


 ぼくがユタカを忘却して前を歩き出すまでには、一つ課題があります。


 彼が畏縮してしまった背景で待っている存在への邂逅(かいこう)に始まり、その畏れの意味を知ること。ぼくはそこに到達して、ようやく井上裕という人との真実のお別れを果たすことができる。


 彼が居なくなっても、彼の小説が更新されなくなっても、この世界は非情に回っています。だれかれの葬式が営まれている最中の毎日に、他の人々は泣いたり笑ったり、騒いだり静まったりの日常です。人間は本当に美しい。


 知りさえしなければ、ずっとその日常に身を任せていられる。知った途端に、深刻な顔で現実を見据えた振りをする。偽善者のくせに。知らなければ、ずっと見過ごしていたくせに。


 ぼくだってそうだった。ユタカという人を知らなければ、出合っていなければ、彼の生存なんて一向に関知しなかった。この地球上の大多数の住人と同じように。


 きっと、彼はそんな矮小な自分を少しでも多くの人に知ってもらいたくて、あがいていたのだと思います。手近の女に欲求を向けるような即時的な慰めではなく、もっと社会的な充足を全身に受けて、自身を認めてもらいたかったのだと。


 それも果たされずに、より良い人間社会の実現を夢に見る、自我を薄めて、大勢に気を遣った臆病者のまま、だれかに永遠に謝った姿のまま、ユタカは生涯を終えたのでした。



A,夢ノツヅキ


1


 生前のユタカは牛歩のごとくとはいえ、着実に前を歩こうと日々何かに取り組んでいました。その目的が、自分をより多くの人に知ってもらうためだったとしたら、なんだかいたたまれない気持ちになります。死んでしまったら、もう自力では自分を啓発することができないのですから。


 生きてさえいれば、今も小説を更新していたのだと思います。リスカ塔、なんておかしな名前を使って、だれの心も打たない独善的で、理解者の欠如した芸術をどうにか作り続ける、売れない物書きとして。


 ぼくは彼の書いた小説の内容が、なぜだかすっと頭に入ってくるようで、不快ではありません。それはきっと、ぼくの本体がユタカの本体と相対して、実際にどういった人物なのか理解が進んだ状態にあったからだと感じます。彼は文章の中では強く気高い自我を押し通そうと試みていましたが、本当はすごく弱くて、些細な出来事で壊れてしまいそうなほど臆病な人でした。


 それでもあきらめずに、自分を存続させようとしていたのは尊敬できます。不満だったのは、社会全体のことを過度に慮り過ぎてしまって、損をしてしまうところです。これはだれかに手を加えられた結果の性質というより、彼本来の性質の一部だったと察しています。


 ユタカは知識を取り込んでは、生きるための材料として消化・吸収を繰り返していましたが、生まれつきの正直者で純粋な顔は依然として残っていました。それがあったから、あんなに謝るのだと思いますし、ぼくとの関係を下品なものとしないよう努めていたとも解釈できます。何もそれすなわち善人であるわけではなく、人間社会の運営を阻害する、自分勝手な敵に対しては断固として否定的な見方を覆しませんでしたけれど……。


 そんな人を知ってしまったがゆえに、折り合いを着けたいのです。


 ぼくが持つ本来の、ずるくて油断のない性質を取り戻すために。彼の死を自分の血や肉として取り込んで、今後の糧にするためにも。少なくとも、今のこの腑抜けたぼくは隙だらけで、ちょっと優しくされただけで涙が落ちてしまうと思います。


 ですが、それは余りにもぼくらしくない。本当のぼくは生きるためなら、どれだけの敵を増やそうともそれ以上の味方を作って立ち向かう強かな女なのです。女は弱いなんて思い込みは浅ましく愚かです。女でも、目の前の男を捻り潰すだけの力を手にできます。そのための道具がぼくの精神に、体に、備わっているのです。


 それはぼくの能力であり、強さでした。


 ぼくはSNSを利用して、秋から冬にかけて仲間を作ることにしました。


 募集要項としては、向上心を持って生きていること、です。


 それも、単に学歴が高いとか生まれつきの財産や権力を有しているとか、そういうありきたりな優秀さではありません。その人たちは得てして、窮鼠(きゅうそ)が今際(いまわ)に発揮する爆発的な力が望めないことから、有能であれど十分な適応力が備わっているとは言いきれない不安があります。


 本当に高い順応性は、貧困によって育まれ、一縷(いちる)の希望をものにして成り上がった強運の持ち主こそが有しています。ひとまず、今はただ芽を出していないだけで、将来の伸び代を持っている人たち全員に目星をつけて、じつに三か月ほどその動向を観察してみました。


 そこから選りすぐり、見込みがありそうな方々を狙って接触し、ぼくは古い手口ですが、仕事を依頼してみました。題材は「絶望」です。金銭はだいぶ消費しましたが、将来の仲間を探すためならば惜しくありません。まずは利害を共有することで信頼を勝ち取るのは基礎中の基礎なので、そこで出し渋るようでは、一派のまとめ役はとてもできません。


 それぞれの人がそれぞれの表現方法で描いた絶望とはいかがなものなのか、ぼくの腹を満たしてくれる芸術はそう容易く転がっていませんでした。目を付けたどの人も、実際は持たざる者ゆえの、権利や出世欲に飢えていて、ありきたりな悲劇(あるいは喜劇)を描けても、本当の意味で絶望を所有している人物は居ませんでした。


 没個性な、個性教育の生み出した某世代の中で、突出した表現を披露してくれたのは他でもない、彼でした。その男は俗にいう絵描きで、人物・風景・道具(機械も含む)、毎日三点ほど作品を投稿していました。しかし、彼自身が絵描きとか絵師とか名乗ることはしていなかったので、探し当てた時はおのれの強運に戦慄したほどです。カラオケに誘った相手が、ぼくの利害を意図できる人物だったときくらいに興奮を覚えました。


 彼こそ次のリスカ塔に相応しい後継者です。


 もとい、ぼくの元々のねらいは利害の一致した(信頼は必ずしも要らない)仲間を召集することであり、後継者の発掘ではありません。その権限は、彼と最後にやり取りをしていたあの女が有しています。


 彼が「絶望」を題材にして描いた作品は限りなく白に近い黒でした。言葉の意味として矛盾が生じますが、その絵を実際に見れば納得できます。実際には絵ではありませんが、その技法をここで明かしてしまうと、彼の個性が些末に映るのであえて明記しません。ただ、見た目は真っ白なのに黒だと解るのです。


 これを以て、絶望を表現した彼の感性には、ユタカを思い出すほかありませんでした。




 待ち合わせ。何かあったときのために、人通りの多い場所を選んでみました(とは言っても、季節も季節で、時勢も時勢なので、外出している人は多くない)。十二月の冷たさ忙しさには、まだ慣れそうもありません。油断していると、涙ぐんでしまいそうになります。突き刺すような風に目をやられたから。そういうことにしておきます。


 さて、ぼくがわざわざおうち時間を放棄してまで外出する動機は、あの恐ろしげな化け物に会うためではなく、もっと別の人のためでした。メッセージアプリの内部のやり取りで聞いていた話だと、男性だということでしたので、護身用のスタンガンと目潰しの小道具は揃っております。いかにこの国が銃刀法によって平和ボケした国だとしても、自分の身は自分で守るのが筋ってものです。暴力を振るわれた被害者は絶対悪くない、と事後になってたくさんの偽善者さんが湧きますけれど、防犯意識の低さを容認する甘やかしなら悪です。痛い目を見るまで判らないようだから、してやられるのです。悔しかったらぼくのようになればいいです。


 ユタカだって、きっと同じことを言うでしょう。他者の憐れみで救われるのは過去の自分であって、未来の自分じゃない。みたいなことを言いそう。ぼくは相当にリスカ塔の文学に侵されたようです。悪い気はしませんが、これではますますぼくがあの人に依存しているようで、なんだか恥ずかしいです。まだ一緒に居て、いろんな理屈を聞かせてもらいたかったな。


 物思いにふけって心をその場から手放していたら、背後に何かが触れたことに気付きました。そこでようやく、自分の後ろに人間の気配が空気を伝ってくるのを感じました。押し当てられているのは先端の細い物で、刃物か何かだと思います。すでに、鋭い何かがぼくの腰辺りの地肌にじわじわした刺激を加えているのです。


「きみが、重里ちんって人ですか」


 声変わりを迎える前の、少年のような声色が尋ねてきました。振り返ろうとすると、刺激が強まって、暗に警告を促しました。そこでようやく痛いと感じて、背筋が冷たく凍るような、体の震えを誘ってきます。


「『まだ』振り向かないでください。人違いだったら嫌なので、重里ちんって人じゃないならこのまま振り返らずに走り出して帰ってください」


 ここでぼくが逃げ帰ったら、どうなっていたでしょう。そんな好奇心も、この時は消え失せていました。人違い防止にしては過激すぎる暴力にさらされたぼくは、お礼もせずに帰るなんてあり得ません。男性っぽいことを言うようですが、やられたらやりかえす、ってなもんです。


「ぼくが重里ちんですよ?」


 そう言うや否や、ぼくは護身用のハードカバーを持って、背後の愚か者に立ち向かいました。


 重量感のある冊子の角は思いのほか、すんなりと頭の、黒い毛に命中しました。と同時に、男の正体がマスクを着けた色白の伊達男で、手に握っていたナイフが封筒を開ける際に用いられるあれなのだと知りました。よく見たら、男性の格好をした女性にも見えましたが、喉仏がはっきりと浮き上がっているので、男の子でした。年齢的にもぼくとそう変わりがないようです。


「あなたが『ミミズ郡(みみずぐん)』さんですか。まず、言うべきことを言ってもらいましょうか。悪いことをした時は?」


 ネット上で使われている彼の名前を口にし本人確認が成立し、ぼくが目で威圧すると、ミミズ郡さんは頭をさすりながら「ごめんね」と言いました。その言葉には聞き馴染みがあって、反射的にですが、大粒の涙が両目からにじんで溢れてしまいました。


「泣くほど痛かったんですか。ほんとうにごめんなさい。救急車、ですか」


 彼は自身のスマートフォンを操作し始めたので、慌ててその動きを妨げます。


「もう判ったから。あちらに、行きましょう」


 ぼくは近くの公園を指し示し、改めて自己紹介をやり直しました。会ってすぐに実名を教えるのははばかられたので、この時は互いをハンドルネームで呼び合っています。


 彼との顔合わせの目的は「第一回ぼくたちの集い(名称未定)歓迎会」のためでした。ぼくたちの集い(名称未定)に正式に加入したミミズ郡さんは自身の創作活動の合間を縫って、今後、リスカ塔の小説の挿し絵を描いてくださるそうです。もっとも、亡くなった彼の代わりに小説を書いているのはあの女ではなく、ぼくです。


 二代目のリスカ塔は例のあの人が担っています。彼女の誕生日である九月から、本式にリスカ塔の運営を任せました。小説や文章はぼくが書いていますが、現在のリスカ塔はあの化け物です。活動方針の報告動画を撮影する時も、あの女がユタカのアカウントを使って、自分で投稿しています。やることはすべて、ぼくが中心となって取り決めています。


 ユタカが亡くなったこの年の目標は「無音少女」という遺作をより良い形に書き直す、推敲作業となります。初稿に忠実な物語を軸に、細かな描写や意図をより明確で味わい深くしていくことが主な目標です。彼の小説には心理描写が多くて、ふかんの材料が不足しがちです。ここにはないもう一つの世界を作るのだとしたら、それでは情報不足です。


 ぼくには荷が重いとは思いますが、何かこれという目標を掲げて、とことんまで自分のためにそれを利用するつもりでした。


2


 またしてもカラオケボックスでの時間です。この日、初めて会ったミミズ郡さんはユタカと違って、歌をまったく知らないそうなので、二人とも音楽は鳴らさない状態でソファに座りました。テーブルを囲むってほどの人数ではありませんが、一応の歓迎会です。


 ミミズ郡さんは常に筆記用具を手に持っており、小さな子供が使うような、布地のレッスンバッグを肩に提げています。その中から取り出した紙類とバインダーを一組にして、テーブルを痛めないようにしてから輪郭を描き始めました。どうやらカラオケの機械らしい物体を描いているみたいです。黙って観察していると、ものの数分で機械は完全に紙面の中に再現され、今度はモニターや棚を描き足していきます。


「絵を描くのがお好きなんですね」


 ぼくが白々しく声を掛けると、彼は両手を動かしたまま絵を描き始めた経緯を説明してくれました。


「頭の良い人には、リスカ塔さんみたいに言葉でものを伝えるのが真っ当です。でも、ここってそんなに物分かりのいい人ばかりじゃない。マルとかバツとかでものを伝えた方がより多くの人に伝わります。そのあきらめが、僕が紙を汚している理由です」


 始めに描かれたカラオケの機械を中心にして、お部屋の構造が着々と紙に写し取られていくようです。素人目ではとても真似できないくらいに、見事な絵でした。


「僕に描けるのは目で見えるものだけです。僕も馬鹿な方なので、想像して何かを描くのはあまり得意ではありません」


 この部屋の情報を内包した紙を両手でくしゃくしゃに丸めると、鞄の中に放り込んでしまいました。


「でも、『絶望』の題材の後にいくつか絵を描いてもらったら、なかなかすごい作品を見せてくれたじゃないですか。ああいうの、ぼくは好きです」


 ミミズ郡さんは「死神」「化け物」「幽霊」などの実在しない物についても、的確に題材を意図した絵を描く実力と感性はありました。彼にとっての死神は幾何学的であり、化け物は螺旋状であり、幽霊は雪景色でした。一見して、それぞれが無関係の絵に見えますが、見ればちゃんとそれぞれだと解ります。彼の言う通り、言葉を操るよりも視覚に訴えるための力を鍛練してきた、と言えます。それも実直な描写ではなく、深層心理に訴える芸術の様を。


「だったら、感性が普通の人よりちょっとおかしいよ。あれらは、僕が必死に伝えようとしても、だれにも伝わらない駄作の一部に過ぎないし。本音を言うと、なぜあれらの価値がきみには解るの?」


「あなたがあなたらしい感性を持って生きているってことが、なによりの理由じゃないかなって思って。無価値なものほど、じつはとても大事だったりするからさ」


 ぼくたちは自然と打ち解けていました。芸術に意味も価値も関係ない。そういう考え方が、彼の心を掴んだようです。


 今後の予定を一通り打合せしてから、ぼくたちは解散することにしました。また、ミミズ郡さんはリスカ塔の作品をまだあまり知らないようでしたので、次回の一月に集合するまでには挿し絵のイメージを完璧にしてくるように、と課題を与えておきました。


「駅まで送ってあげるよ。ついてきて」


 男性が女性を見下す常套句(じょうとうく)です。しかし、ぼくにとってはそれが女性の特権であるとも考えていますから、利用できる気遣いにはどんどん寄り掛かっていく姿勢です。下手な見栄や意地を張って疲れるより、堂々と身を任せていれば悪いようにはされないものですから、男性と上手にお付き合いできない自称フェミニストなモテない同性は死ぬまで、報われない強情を通せばいいのです。ぼくは環境に適応して男性と仲良くやっていくので、同性が不平等によって踏みにじられようがどうだっていいことです。


 ミミズ郡さんはユタカほどの長身ではありませんでしたが、並みの背丈は有していました。そんな彼の背中を追っていくようについていくと、街中でいかついおにいさんたちが正面から歩いてきました。人々が自粛しているとはいえ、こういうぞろぞろと、マスクもしないでやってくるような者たちも居たものです。人通りが少ない一角では、ちょっとした無法地帯も完成されました。


「おうおう、近頃のワカモンは浮かれてんなあ。おうちでヤりまくってんじゃないの?」


 四、五人居るうちの、最も弱そうな、口先だけのやつが絡んできました。この徒党は見立て二十代後半になるかどうかの男のみで構成され、ちゃらついた小道具を身に付けては近頃の若者の特徴を随所に取り込んでいます。まともな社会人としての特徴はなく、あえてそれを嫌って避けているようでもあります。要約すると、徒党を組んでいる時点で各々が濃密な自我を持って生きているとも言いきれないが、ありきたりやそこから派生した因習を嫌う、新しい弊害の具現化でした。


 社会にとって居ても居なくても大差ないだろう、労働による社会貢献を悪行で薄める彼らを目前にして、ミミズ郡さんは、紙を切るような小振りのナイフを二本程取り出して、有無を言わさず一番近くに居た男に突き立てました。


「威圧されたので刺す。悪く思うな」


 その態度が明らかに常軌を逸した犯罪者のようで、手慣れた動きには狂気がにじんでいます。仲間が傷害を受けたのを見て、連中の怒りに火が着いたようで、路上は地獄絵図と化しました。


 ミミズ郡さんは致命傷にならない部位を的確にねらっては、相手の戦意を削ぐ戦闘スタイルでした。始めは勢いに乗っていた者も、自分が血を伴うと、死を予感したのか、及び腰になっていきました。


 ただ威圧するだけの一派は暴力すらまともに操れず、血まみれになって、いずこかへ負け犬みたいに消えました。きっと、ぼくたちを軽くからかいたかっただけだったのでしょう。彼らがその気なら、ミミズ郡さんも殺す勢いでしたので、リーダー格の男はそれを目ざとく察して、仲間たちを連れて帰っていったのです。


 その尋常ではない態度に驚いたのは男たちのみならず、ぼくも同じでした。


「ちょっとやりすぎじゃない? あいつらは馬鹿だったからよかったけど、一歩間違えば警察だよ?」


「だとしても、僕は間違っていない。一人に対して五人でかかってきた時点で、ためらってはいけないよ。あいつらは人数を誇示していても、その力を使いこなせていない。使いこなした集団はとにかく危険だから、早く済ませたかった」


 戦いを終えた直後の、瞳孔の開いた目の光は、犯罪をまるで恐れていない思いきりがらんらんとしていました。もしかしたら、この人はユタカとは違って、人間社会ひいては集団というものを一切信用していないのかもしれません。出会い頭の背後からの刺激といい、人間を傷付けることにためらいがありません。


「それで死んだとしたら、死んだやつがわるいんだよ」


 反省の色が見えない男に向かって、ぼくは平手打ちを与えました。更なる反撃に伴う危険を予知できたにも関わらず、「人の死」を冒涜するような発言を心に置き留めるには、もっと時間の経過を必要としていたのです。この時のぼくは、だれかの死をまったくの無価値とは笑えなかったのです。


 ところが、ミミズ郡さんは最初の時のように「ごめんなさい」と素直に謝るだけでした。人の機微に係るごく微細な善悪というものを噛み分ける能力はあるようです。ぼくは彼の抱える孤独にこそ、ユタカと比肩する何かがあるように思えました。


「一応は、ぼくにも責任がある。あなたがそこまで不器用だとは思わなかったから」


 そう言うと、その直後にぼくの体は持ち上がって、足が地上を離れていました。


「今、何て言った? 今、何て言った?」


 先ほどまで謝っていたはずの彼が、全身の血が冷めてしまうほどに恐ろしい形相で、ぼくの洋服を掴み上げたのです。そのせいで、ぼくは身動きはおろか、声を出すのに相当な苦労をしました。久し振りに身の危険を感じました。


「あなたは、器用な、人よ。お願い、だから、放して」


 すると、彼はゴミでも放るかのように、ぼくを地上に落としました。


「解ればいい」


 そう言うと、一人で去っていきました。ぼくは全身が震えて、しばらく腰を上げられませんでした。これほどの恐怖は、昔のぼくなら耐えられたかもしれません。しかし、彼との時間を覚えた後のぼくには、とても許容できない修羅でした。



2,

コエラレザル使者ノテ


 リスカ塔はもうこの世に居ませんが、彼の小説を残し続けるには更なる文才を必要としました。それも、文章を上手く書けるだけではだめです。周りの物事から、様々を感じ取る過敏すぎるくらいの感性がなければ、とても敵(叶)いません。


 ぼくは彼の文体や思想を真似ることができても、小説が小説として機能するために必要な「心」が欠けていました。それがあれば、だれもが物書きとしての素質を備えます。だれもが文豪になれます。しかし、ぼくにはそれがまるごとありませんでした。ただ書いているだけで、書かされているだけで、本当の本当に書いたとは言えませんでした。


 その様を具体的に言い表すとしたら、売れる小説を書くために頑張って勉強しているものの、売り物として出版されたその小説は、味がしなくなったガムみたいに白くなって、未来の古本屋の棚に並ぶのを宿命付けられている作品なのに、自分の生計のためにどうにか書いている(書かされている)状況です。つまるところ、作家を気取った顔色うかがい程度の、量産型物書きです。フリーランスを名乗って、掃いて捨てるほど溢れるブログの記事を書いては日銭を稼ぐ人たちと同質であり、とても文豪だとか芸術家だとか言い表せない、記者にすら到達しない、作家もどきに過ぎないということです。


 ユタカにはそうした「心」がありました。彼の文章には、鮮明で実直な自我がしっかりと根付いていました。それを作品に昇華するだけの力があったにも関わらず、だれも彼を見いだそうとはしませんでした。宣伝しませんでした。ぼくは彼の小説をSNSで多くの人に知ってもらおうと画策しましたが、結果はご覧の通りです。


 小説を売り物にするためには、もっと強い「心」が必要です。他者を魅了して、ひとりでに宣伝させるほど強い、呪いとも言えるくらい強い「心」が必要です。審査員の感性に留まらない作品は、結局のところはゴミです。しかし、一人一人がそれを宣伝すれば、偽物だっていつしか本物になります。


 リスカ塔の書いた作品はどれも本物ではありませんでした。ですが、あと少しで呪いに到達する領域まで来ていました。何が足りなくて、何が余っていたのか、それが判るのはきっとユタカ本人だけです。読書をやり込んだ批評家風情に判るのは文章の良し悪しとて、その心までは書く立場にならなければ判るはずもありません。


 ぼくはリスカ塔の作風を真似て、どうにか一つの短編を書き上げましたが、その文章には「心」がありません。一体、どうしたらそれを手に入れられるのでしょうか。


 ついぞユタカは現代の文豪にはなれませんでした。彼に欠けていたものとは……。


 文豪とは。


 世間の人々に鮮烈な影響を与え続ける、優れた作品を多く発表した小説家、と辞書には書いてありました。生前、ユタカはこれになることを最終目標だとぼくに語り、どうすれば娯楽の多様化した現代で、読書マニアにこだわらず、万人受けする作品を書けるのか思い悩んでいました。


 彼自身が万人受けするような人間ではないがゆえに、理解者を増やすのに苦心するのはもっともです。万人受けするものとはいつだって、明白で、心揺さぶる、即効性のあるものに限られます。だれかが遭遇した奇異な生物の物語があったとしましょう。それがあたかも身近に感じられるよう工夫して、考えて作られたものならば、その生物について深く知ろうとページをめくっていきます。そこからさらに読者を脅かす仕掛けを配置したら、まさしく感動を掴み取ることでしょう。


 大切なのは情熱であり、暗澹(あんたん)とした人生観では断じてありません。人々はいずれ訪れる死の定めより、今、目の前の快楽を願っていたいのですから、リスカ塔の書くじわじわした曇り空の流れみたいな文章に、うんざりと、飽き飽きしているのです。元来の小説家が持っているはずの「表現したい世界」が、彼の場合はとにかく当たり障りのない絶望が浮き出ては沈んでの、没個性にも似た地味な世界観でした。


 文章で大きな波を起こすのはとても難しいです。何かが現れてから、それが起こすあまねく事象に当惑し、事態を推し量ろうと努力するのが読者でしょう。読み進めていく内に、判らなかったことも次第と明かされていき、満足した読了を噛み締めることもあれば、物足りなさに本を放り出すこともあるでしょう。


 リスカ塔の小説は終始、判らないことに満ち溢れているので、理解力の乏しい人には届くまでもなく読書を放棄されてしまうのです。そして、それが彼の限界であり、読者との間を隔てる距離感を作りました。


 ぼくはそんな彼に少しでも歩み寄ろうと思っていたから、最後まで作品に目を通すことができました。ですが、きっと大勢はそうじゃない。あかの他人で、よく知りもしない人間の書いた散文をどのくらい、思いを込めて読めるのかそもそもの疑問です。これが文豪の書いた作品なら、読書好きでなくても、その本を手に取る偶然だって有り得ます。


 書く者の社会的地位は、他者に作品を読ませる引き金にもなるのです。その点で言えば、ユタカは特に目立った生い立ちを持つでもなく、だれも立たされたことのないような運命をも所有していませんでした。


 ユタカの持っていた独特な寂しさみたいなものに気付けたのは、ぼく以外に居るはずもないのでした。


「いつも読んでいるそれ、あの人の小説?」


 化け物はそう言って、ぼくの画面を隣からのぞき見ます。いちいち隠したりなどしません。どうせ、読んだところですぐに忘れてしまうでしょうから。それだけ、読書とは儚くも集中を要する行いなのです。特に、この女は彼の小説に特筆すべき感慨など微塵も持っていないようでしたから、ぼくの受け答えも自然、無感情なものだったことでしょう。


「ふうん。あんなに息を乱していただけあって、なかなかえろい」


 ぼくは無意識に怖い目付きになってしまい、耐え難い屈辱を受けました。あたしの知らない彼の姿を、この怪物は知っているのです。そうして、それを自覚せずにあたしに向かって、言うのです。


 もとい、リスカ塔の小説に必ずと言っていいほど現れるエロ要素は、ある種の羨望でした。そうしてはならないけれど、そうしていたい、という相反する思いがぶつかり合っているようです。実際、現実の彼は快楽だけを求める性に臆病でしたが、男性としての元気は充分にあり、持て余してすらいました。


 ぼくは彼になら、自分の弱点をさらして、好きなように乱暴されても幸せだと感じたでしょう。ですが、無粋な交わりに怯えた彼は絶対にそんなことをしません。どれだけお願いしたところで、「一時の気の迷い」だと諭し、ぼくを欲しがってくれませんでした。


 そんなユタカの態度と、小説の中での本能的な表現の落差といいますか、その矛盾にも似た際どい差異にぼくは胸を締め付けられる思いで、エロ描写を深々と読んでしまいました。


 彼が好きなのは、女の子の胸のふくらみであり、抱き締めた時に圧迫されて内側に押されて広がる、柔らかな弾力だと確かに解る。


「彼、おっぱいが好きなの。ずっと、ずっとそこばかりを触ってて、ちょっと痛いくらいだった。あなたなら知ってるよね、最後の恋人なのだから」


 ぼくの殺気はもはや我慢できないほどに顔全体を暗く覆っていた。小説の中でだけ、ぼくにもその事実が共有できていることに、本当にわずかだけれど、この女の記憶に勝るとも劣らない、想像上の興奮が伝わってきて、恋しくなってきました。


「ふふ。彼、旺盛だったでしょう? すごく、すごく欲しがるでしょう」


 ぼくは相づちを打った。本当はないけれど、あったように装いました。いいのです。この場において、ぼくこそが彼の最愛の女であって、この化け物じゃない。こいつがユタカのなにを知っているのか、想像したくありませんでしたが、きっと彼女の方がぼくより知っている。


 ユタカの弱さも、男性としての本心も、ぼくが受け取れずに終わった快楽も。



B,消エルベキ貴様

1


 ミミズ郡は一言で表すと、水のような人でした。物質的な意味ではなく、精神的な姿がそのようでした。怖がる人も居れば、求める人も居る。無駄に費やす人も居れば、大切に使う人も居る。そして、なにより澄んでいて綺麗な姿をしていたり濁っていて醜い姿をしていたりします。生活に必要なものだけれど、扱い方を間違えば死を招く。


 ぼくは彼の恐ろしいまでの「こだわり」に狂気を感じ取り、迂闊な事を言わないように気を遣わなければならなくなりました。どんなことをきっかけに、その気質が変化するのか、またどういう行動を見せるのかがまるで推測できないのです。最低限、事務的な会話をするだけならば、まず心配は要らないと思います。


 最初にあんなことがあったから、あまり乗り気ではありませんでしたが、あの化け物が恐ろしくてたまらないぼくは、程なくしてぼくたちの集い(名称未定)の二人目の加入者と、会う約束を取り付けました。その人はSNSでよく日記をつけている、そこだけを見たら平凡で、個性的とは言えない人でした。


 ぼくがその人を待ち合わせに誘った理由は三つあります。ですが、その二つだけ話しておきます。


 まず、一つは彼の書く文章には奇妙な言い回しがあり、その真意が非常に否定的で、興味をそそられたためです。たとえば、一日の終わりを綴る内容では「飛べない鳥が居ない場所でゆっくりおやすみなさい」とありました。これだけではよく解らないので、もう一つの例を挙げると、一日の始まり(最初、すなわち朝)の投稿には「子熊のままでは居られないから今日もたくさん食べないといけない」とありました。飛べない鳥の件よりも、こちらの方が解りやすいです。熊は子供のうちは愛らしいと言われますが、大きくなると危険な獣に早変わりです。この筆者はおそらく「気の進まない事に甘んじて取り組む様」を表現しています。飛べない鳥は、その多くが絶滅したと伝えられています。


 二つ目の理由は、どんな物事に対しても立ち向かうことはせず、従属的な姿勢で感想を述べていたからです。「~が~であるのは、~を~とするために必要だから」というふうに、納得している口調で書かれることが多いです。もしかしたら、定式化した正義というものを持たない、危険な人物かもしれない懸念もありました。ですが、ぼくはそれを良いふうに期待したのでした。


 この人なら、リスカ塔がいずれ到達したであろう真実に近づくための何かがある。特有のあきらめに満ち溢れた文章から、そう直感しました。


 ぼくにとって、貞操観念それ自体には大きな値打ちがないと思っていました。それでも今日に至るまで「処女」という名目上の純潔を保てたのは、実母の存在が大きく関係していました。あたしはそうなるものか、という反抗心です。離婚するまでは母も人並みには身持ちを大事にしていたようですが、ある時を境に男ですら恐れおののくくらいの魔性を手に入れたのです。


 さて、二度目の待ち合わせでは、女らしい装いと趣向を凝らして、「わざと」遅れてその場所へ向かいました。この日、ぼくは自分が持ち得る武器を使ってでも、彼を懐柔する覚悟でした。このような心持ちになったのは、決して悔しかったからではありません。あの化け物になめられたままでいたくなかったからではありません。


 どんなに大切に守り通しても、結局は関係を持ち、いずれ手放すのが判りきっているのですから、純潔なんて言葉以上の価値はありません。ユタカはあたしが被る負債を心配して、あえて交わることを望まなかったようですが、そんな気遣い、不要だったのです。


 万が一があっても、「なかったこと」にしてしまえばいい。あたしは「それ」について後ろめたさなんて感じないようになりたかったのです。いっそ妊娠してしまって、自分が一線を越えた後で、ようやくあの化け物と対等になれる気がしました。それに、少しは興味がありました。少しと言ってもおまけ程度ですが、男性にされる感触がどんなものなのか。どうせ慣れてしまうのでしょうけれど。


 ユタカには申し訳ないですが……などとは思いません。あたしがどう生きようが、死んでしまう人は死んでしまうし、それでもあたしは生きているのです。その人生をどう使おうが、あたしの自由です。


 一時間ほど、人もまばらな電車に揺られ、改札口を抜けて空を仰ぐと、乾いた空気の味がしました。夕暮れの紫色から地上を見下ろすと、駅前の広場は相変わらずの不人気でした。約束をしている相手が、あちらのベンチに腰掛けているのが見えます。


 背格好はユタカに負けず劣らずの長身をしていて、なんだか変な気持ちでした。寂しいのか判りませんが、なんかぎゅっとしてもらいたいような、そんな邪な心があたしの胸を覆っています。歩いて近付いていくと、その人は鼻唄を歌っているようでした。彼を仲間に加えようと思った三つ目の理由がそこにあります。


「こんばんは。重里ちん? だよね」


 気さくに話し掛けてきて、あたしはしおらしく「うん」と答えました。なにを緊張してるのだろう。平常心を保とうとすればすれほど、手が震えそうになりました。


 この人の姿がユタカに似ていたからでした。


 他人のそら似、という言葉があります。時代が違えば、ほとんど同じ作りをした顔を持った人間がどれだけ集まるでしょうか。いや、そんな技術があるならあたしが会うのは一人で十分です。


 SNSで毎日の出来事を綴っていた彼はネット上では「泡沫」(と書いて「あわ」と読ませる)という名前です。今時ふうの若者らしい装いと態度でしたが、その顔のせいであたしは気持ちを抑えられませんでした。


「あなたの名前を聞かせて」


「ああ、『あわ』だよ」


「そうじゃなくて」


 無礼にも熱心に尋ねてみたら、すんなりと目的の文字数を与えてくれました。


 泡沫はトウザキに続けて、レンという名前を述べ、肩をすくめて苦笑しています。まったくの別人であることを再確認したあたしは我に返って、自分の名前を彼に教えました。やや恥ずかしいのと、弱みを知られてしまったような焦りがあって、冷や汗が背筋を伝っていくみたいです。


「あれ。こういうの初めて? 何か飲み物買ってこようか? それとも一緒にどっか寄って行く?」


 すっかり相手に主導権を握られてしまい、おもしろくありません。ですが、レンはやはりというか、間違いなく別人でした。似ているのは外見の雰囲気というか、特徴くらいなもので、完全に一致しているわけではなく、なんとなく似ているに過ぎません。それなのに、ぼくは過敏になりすぎて、動揺を抑えることもままならず、醜態をさらしてしまったのです。


 誘惑しようと思って広く取った肌の露出が仇となって、脚の震えを我慢しようにも、小刻みにぶるぶるしてしまい、「寒い」と言うのがやっとでした。


 話の流れで、ぼくたちは駅から歩いて数分で行ける喫茶店に立ち寄ることになりました。地方ということで、感染症予防のための営業自粛はそこまで厳しくない印象でしたが、時短を要求されているようで、利用客の滞在時間にも一定の制約が施されています。


 ちなみに、ぼくが待ち合わせに使う街はいつも決まっていて、そこがぼくの住んでいる家がある市町村だ、という設定になっています。実際は電車を乗り継いで一時間ほどかかる場所が本当の住所のある街であり、飽くまで設定は保身のための保険です。


 しかし、喫茶店に入ってから、本当の市町村でなかった事をちょっと後悔しました。レンの人柄は今時の男性にしては落ち着き払っている上に、紳士的で、細かな気遣いができる善人だったのですから。そんな彼になら、ぼくは「いいんじゃないかな」と気を緩めてしまいそうでした。


 ぼくたちの持ち時間は限界まで居座っても一時間が限度です。それだけあれば、今回の顔合わせの目的を果たすのに十分でしょう。その目的は、ぼくが彼に男女の経験を申し込む、などというのは「ついで」です。真のねらいはもっと他にあります。


「どう、少しは温まってきた?」


 寒空に包まれた屋外が寒いのはスカートじゃなくても等しく同じでした。普段、ズボンを穿いて生活している身としては、体に良くなかったのかもしれません。体を見て欲しいとまでは言いませんが、せめて女性らしさを演出したくて、俗に言われる「かわいい」に近付けてみたのです。幸いにも、ぼくはそこまで肥満体ではなく、肌つやもいいので、露出に耐え得る素材は備えています。時々、すごい荒れ地みたいな質感をした脚の人がそのまま地肌をむき出しにしているのを見掛けますが、あんなのぼくだったら絶対に他人に見られたくないです。


「ええ。つかぬことをお聞きしますが、だれかと交際しているということはございますでしょうか」


「ハハ、タメ口でいいよ。一緒に喫茶店に来て話してたらもう友達みたいなもんでしょ。交際相手か。居たらどうするの?」


 自分の所為とはいえ出会ってから気まずくて、とても図々しく接しづらかったです。相手がこれだけ話しやすくしてくれても、なんだか気乗りしませんでした。じつのところ、二十代男性の容貌をした彼がだれかと恋仲にあっても、結婚をしていても、なんとも思わないのがいつものぼくです。


「居たら嫌です……」


 テーブル越しに、向かい側に座っている彼は悲しそうな顔をしましたので、ひどい既視感にめまいがしました。脚を引きずりながら歩いている野良犬でも見るような目です。メスの犬だとなじるかのような視線でもあったので、ぼくはますます発言力を損ないました。


 レンの目を直視できず、テーブルの上まで目線を落とすと、「リタ」と名前を呼ばれて、渋々そちらを向かされました。


「君のために言わせてもらうが、悪く思わないでくれ。……恋人をなんと心得ているの?」


「それは」


 それはぼくにも具体的に解らなかった。居なくなってしまった人、すなわちユタカに対する感情は恋愛とはなんとなく違う。けれど、恋愛だと「思っていた」ものも含まれていたのかもしれない。


「僕はね、軽々しい付き合いはしたくないって思う。友達同士でも、わるいことはしたくないよ」


 重々しい、親が子供に言い聞かせるような語り口に、ぼくは在りし日のユタカの面影を見て、こぼれ落ちる涙をせき止めること叶わず、レンを見つめたまま泣いてしまったのでした。


2


 ぼくが思う恋愛は「二人組が楽しそうに歩いたり、しゃべったり、手を繋いだりするもの」だった。でも、それは幼少期から抱いていたぼんやりした像です。大人の恋愛となれば、お互いの性器をいじったり重ねたりするんだろうな、と他人事みたいに思っていました。


 学生だった頃から理想が高かったぼくは、だれかと真剣にそういった恋愛をする映像が浮かんできませんでした。男性を、高いところの物を取る時の踏み台程度にしか考えていなかったため、過去に自分と対等かそれ以上だと思える男性が居なかったのが大きな要因です。母子家庭で、父の威厳というものとは無縁でしたので、ユタカとの出会いやレンの叱責は新鮮に映りました。


 自分に足りていないものを持っていて、お互いを高めてくれる同志。恋愛とは、二人でしか見つけられないものを見つけるためのもの。一人になってから気付いても、もう遅いんだ。


 そんな後悔と、戻らない人の残像に誘(さそ)われた涙のせいで、ぼくは無口になりました。鼻で呼吸する音だけが返事みたいで、相対したレンは臆することなくしゃべり続けます。


「ごめん。説教臭いのは僕も嫌なんだ。できればでいいから、さっきのは忘れてくれないか」


「謝らないで」


 ぼくは繰り返し夢に見た「ごめん」を間近でやられて、半壊した精神がいよいよ全壊しそうで、この場から逃げ出したくなりました。


「そうか。僕、何かわるいことを言ってしまったようだ」


 彼はおもむろに携帯電話を取り出すと、言葉もなく画面に集中し始めます。努めて、没頭しているようで、会話もそこで途絶えました。


 お互いに注文した飲み物が空になるまで無言は続きました。


 彼は、何も混ぜないコーヒーを飲む度に、苦い物を口にした時の口元を歪めた顔をして、それがただの子供だましっぽいのになぜだか心の底から楽しそうな演出です。ぼくの方は苦いものが好きではないので、カフェオレを飲んでいました。


「落ち着いてきた?」


 レンが話し掛けてきて、ぼくは頷いて、次の言葉を待ちました。


「僕に会いたいと思ったのは、恋愛がしたかったから、じゃないよね。場所を変えようか」


 年齢はそれほど離れていないはずなのに、レンは大人らしい気遣いのできる男性だった。その思いやりを有り難く受け取り、ぼくたちはお会計をしてお店を出ることにしました。


 なお、飲み物の代金はレンがぼくの分まで払ってくれました。そういう恩着せがましい男性のお節介に、今さら断る気力も残っていません。ぼくは散々男性を利用してきたにも関わらず、この温情になぜだか引け目を感じてしまいました。


 喫茶店から場所を移して、ぼくらが向かったのはカラオケボックスでした。営業自粛が社会的な圧力として飲食店を潰そうとしている昨今でも、しぶとく生き残ったお店は紛れもなく本物と言わざるを得ません。そのお店も、生きるか死ぬかで懸命に営業されているのは想像に難くありません。話は変わりますが、ぼくの勤めていたお店はまだ営業しています。


 レンは向かった施設の利用については快諾してくれたものの、入室してからじっとモニターを観察しているばかりで、こちらが話し掛けるまでは心ここにあらずといった様子でした。彼ならば、なにか「動き」があると期待していたのですが、まったくの静かでした。


「なにか唄わないんですか?」


 マスクを着けたまま唄う、というのが主流になっている現代ですけれども、カメラ越しに映っているユタカは大体、マスクをしていませんでした。しゃべるだけでも口の中の飛沫が拡がるとか、各所では言われていました。換気扇の下でマスクを着けて歌えば、ほとんど室内には飛沫が残らないとか。彼は唄う事に並々ならぬ向上心と研究を重ねていたがゆえに、このマスクを着けてやるという方向性には逆らっていたものと見えます。そうまでして唄う価値がないとも。


「マスクを着けていると息継ぎが思うようにできないから窮屈だよ。それで歌ってやれないこともないが、本式の歌唱ではなくて遊びでやるくらいの歌にしかならない。でも、なんか気が進まないな。初対面の人に、持たれる印象としては」


 自信がないんですか。とは言いませんでした。たとえ、あの時のようにそう言ったとしても、この男性は気にも留めなかったでしょう。


 ぼくが彼を見いだして、待ち合わせまで頼み込んだ最も大きな、すなわち第三の理由は「音楽性」が知りたかったためです。生前、リスカ塔は音楽を「感情を表現するもの」であり、「自分を他者に知らしめるもの」と解釈していて、ぼくに語り聞かせてくれました。だから、流行歌に中身が詰まっていないとしても、周知されている時点で音楽の本懐は遂げられているのだと述べていました。


 泡沫はネット上で、豊富な音楽知識を引用して、近頃の流行歌の定式化について考察していました。


「ぼくは率直に、あなたが音楽とどう向き合っているのか。……その姿勢を知りたいからお呼び立ていたしました」


 真の目的を告げると、黒髪の男性はすくっと立ち上がり、換気扇の下まで歩いていきました。マイクを持たず、機械を鳴らさず、自然体のままそこにたたずんでいます。その姿から「これから唄うんだな」と想像できます。


 唄う側でもないのに、ぼくは思わず息をのみました。


 レンはカラオケボックスの一室で楽曲の一巡を唄いました。その声はおよそ人の声とは思えないくらい大きくて、それでいて清らかで、どこの言語かも明らかではない言葉で、周期的なフレーズを奏でていました。その動機から主題に至るまで、緊張の旋律が走っていくようです。


 主題が終わると、彼は歌声を中断して一言お礼を言いました。まるでミュージシャンのようでしたが、アカペラだったせいか、その真価は充分な姿をしておらず、完全な形があるならばそれを聴いてみたいと思えるくらい、彼の音楽性は深かったです。


「歌を唄うって、それだけで自分をさらけ出しているようで、裸を見られるくらいの恥ずかしさがあるよ。だから、駅前で歌をやっている人がある意味で恥知らずに思えてくる。彼らも必死に自分の居場所を知らせているんだろうけどね」


 ぼくはカラオケ店員をやっていて、いろんな唄い方を耳にしてきましたが、「裸をさらす」なんて発想を浮かべたのは初めてでした。歌を唄わせてみれば、その人の精神を構成する要素の一つ一つを知ることができる。これはユタカもよく言及していて腑に落ちます。それを知られることが、すなわち裸にされた心を意味するのでしょう。


 ことカラオケにおいては、機械の鳴らす音さえあれば、その裸もたやすく隠せるのですから、誇張も虚勢も造作がありません。ぼくの経験則では、歌の上手な人は伴奏を大音量にすることをあまりしません。ユタカは歌が上手な方でしたが、店内が混沌としてくると、研究をあきらめて投げやりに唄うことが多かったです。それでも彼の根底にある裸はそこまで見苦しくはなく、整然とした歌の名残がありました。


「では、裸を見せてくれたようなものですね。ありがとうございます」


 ぼくは他人事のように応えましたが、レンはじっとこちらを見詰めて、備え付けられたソファの上に腰を降ろします。


「次はリタが唄う番だ。さあ、見せておくれ」


 うろたえました。自分が何かを唄わされるなんて予想していませんでした。


 女は基本的に歌が上手なものです。その理由は諸々ありますが、男性より優れている感覚というものが確実にあります。しかし、男性ほど力強い声を出せず、広い声域を出すのは諸刃の剣で、あまりにも低音に固執すると声が劣化します。つまるところ、ぼくも例に違わず歌の素養は平凡なものでしたから、歌の上手なユタカに聴かせようとしなかったくらいです。


 しかし、仲間を集める目的に、出し渋るほどではありません。そんなぼくの裸は、L'Arc~en~Cielの「finale」という曲で表現させてもらいます。


 機械を操作して、ぼくは柄にもなくシャウトというものを使いながら、自分の声のキー(調)に合わせて唄いました。男性ボーカルの曲を、無理やり落として唄う女性が多いと思いますが、ぼくは男性ではありませんから、そういう無茶はしません。


 女として最大の武器は、男にない、この声のキーにこそあります。ユタカは努力によってそれを獲得するくらいに広い声域を持っていましたが、あの「まふまふ」という歌手の領域になるまで満足しない様子でした。そして、彼はぼくと行くカラオケでその人の楽曲は一度も唄いませんでした。単純に、高くなったり強くなったりでうるさくなるからあまり唄わなかったのでしょう。


 話を戻すと、声の感じを暗くしただけで男性ボーカルを演出している女性客があまりにも愚かに見えたので、ぼくはカラオケで唄う際はいつだって自分の声に合わせたキーで唄うよう努めました。別に原曲のように唄えずとも、声域が必ずしも広くなくても、それでよいのです。海外の歌姫ほど並外れた声域を、素人が出せるわけないのですから。それでも大した努力をしていないくせに、実際より美しく見せたがる……見栄っ張りが安い女ってものですよね。ねえ、ユタカ。


 今のぼくはとにかくこの子守唄のようで、過激な悲しい歌にひたすら、心を乗せました。最も重要な箇所で息苦しくなって上手には唄えませんでしたが、とてもすっきりした心地でした。迷いが晴れたというか、自分のすべき目標に立ち戻れた心境です。


 ユタカにとっての「君の知らない物語」がぼくにとっての「finale」だと気付いたのは、マイクをテーブルの上に置いた時でした。顔を覆い隠しても、溢れてくるのは戻らない思い出を憂いた粒です。


 あどけない少女のように泣きじゃくるぼくの肩を優しく抱いてくれたのは他でもなく、レンでした。こういう思いやりですぐに惚れ込んでしまうのがまた、頭の悪い女の典型なのですが、この瞬間だけは彼の両腕にすがりたくて、身を預けました。


 時間が緩やかに過ぎていく中で、ぼくたちは夜八時を迎える少し前にはカラオケボックスを出ることになりました。レンがぼくのことを心配して、お店から駅まで送ってくれるそうです。


 その帰り道、ぼくたちの行く手にはいつかの連中が現れました。二十代後半くらいの、男性が四、五人は居たでしょうか。ミミズ郡の時は流血が伴ったのでよく覚えています。


「この前のやつは居ないみたいだな。捨てられたってか」


 集団の中で最も弱そうな、口だけ達者な男がまたしてもあおってきました。捨てられた、というのは暴れすぎた彼に対してのことで、ここで別の男性と居るぼくのことではないのでしょう。


3


 ぼくがそのように考える根拠は、こうした社会の残りカスみたいな人たちは、人生でそこそこの居所を所有しているであろう人間たちに無差別に憎しみを向けるものです。だから、他者が所有している財産や人間関係、この場合は異性と関わる権利とでも言うべき立場に在る同性をおもしろく感じないので、いつだって男は男を、女は女を、敵視して不幸を祈っているのです。


 レンは穏やかで気遣いのできるよい男性ではありますが、その分慎重で、人に深く立ち入ろうとしないところが薄情にも映ります。人の心情や動きに敏感で、よく気が付くのはユタカに共通する面でもありました。比べているわけではありませんが、レンはミミズ郡とは違った意味で、ユタカに似ているのです。受け取れる精神面に関わらず、すべての人が常に放っている雰囲気の色合いみたいなものが。


「おにいさんたち、今時間ある?」


 ぼくの前に立っていた彼は、後ろ手に指示を出しつつ、相手に歩み寄っていきます。手の動きは、指先をこちらに向かって伸ばしているので、引き返せということなのでしょう。見捨てるのはためらわれましたが、男性を利用することには慣れたもので、恥ずかしげもなくぼくはその場を立ち去りました。


 小走りにしりぞきながらも振り返ってみると、依然として男性の集団が一人を囲んでいるようでしたが、やがてそこに居た全員はどこかへ去っていきました。


 帰りの電車内で、人気のない路地裏にてレンが大勢に暴力を受ける構図を連想しましたが、待ち合わせをする際に交換していた連絡先でもあるメッセージアプリの、やり取りでそれが杞憂であることを知らされました。


 それどころか、あの男性たちと一緒に写っている画像まで送られてきたので、素直に感心しました。女でもないのに、あそこまで男性を惹き付けられたのはどうしてなのでしょうか。あの後の経緯を尋ねてみたところ、「友達になった」と手短に返事がありました。


 どういう手段を使ったのかまでは聞きませんでしたが、あの人はとても人間の扱い方を心得ている、底知れない対応力を発揮して見せたのです。かつて、ぼくが男性に対して使っていたものに類する何かなのは直感で判りました。ですが、それを説くにはもう少し人間の善悪や、それらの外部にある事情までもを推し量る精神力を明るくする必要があります。


 きっと、彼は日頃から人の悪意というものがどんな音色をしているのか知り尽くしているのです。レンの歌声は、文字通り裸の彼が描写されていました。どれだけ唄えば、そうなるのか判りませんが、聴く者の心を動かす力がその声にはあります。


 そして、それは聴く人によって違った効能をもたらす。


3,

キッカケ俄然トシテ 1/2


 来る二〇二二年に向けて、ぼくはアルバイトの合間を縫って「無音少女」の推敲を熱心に取り組んでいました。小説を書くというのは非常に頭を使いますし、地味な作業の繰り返しです。リスカ塔は生前から、自分が死んだ時にこれを譲る、というのを冗談混じりにぼくに話していました。その一つが、このタブレットでした。


 このタブレットは、物をためらいなく捨てたり手放したりするきらいのある彼にとっては珍しく、使用年数の長い所持品の一つであり、多くの小説を作るためにも利用されてきました。ぼくは彼のしてきたことを引き継ぐような形で、この端末を使って、毎日小説の更新をしています。その甲斐があってか、読者数は増える傾向にありました。


 どんな名作もすぐに評価されることはほとんどない。それが良作だと解るのは、作られてからだいぶ後の事だと、読者の増え方からそう思います。なにより、ぼくは遺志を継ぐ立場だから、元々のリスカ塔に比べたら動機に恵まれています。


 続けることが、最低条件なのです。そこからどう変遷をたどっていくかで、作品の評価は上がるだろうし、横這いのままだろうし、いくつもの可能性を持っています。そこであきらめてしまえば、すべてが原点に立ち戻ります。だから、何かを「し続ける」というのはそれすなわち強大な力となるのです。


 ぼくはいつしか、ユタカに関係する物事に興味をなくす日が来るのではないかと、奇妙な恐怖心を抱きます。なぜなら、人は「忘却」を繰り返すからです。さくじつの晩ごはんが何か、覚えている人ばかりでもありません。ですが、それは至って健全な脳の働きなのです。不必要な情報は新しい情報によって塗り重ねられていき、やがて無に等しくなる。


 この忘却からは何人たりとも逃れることはできません。ぼくは自分が関わってきた男性の性癖を一つ一つ覚えてなどいません。それが自分にとって、大して役立たないからです。その反面、男性がどういう言い回しに弱いだとか、何を欲しているのかとか、そういう具体的な事柄は学習して、頭に残っています。


 ユタカを失っても、劇的に変化できるほど彼と深い付き合いではありませんでした。彼の死に無感動でもありませんが、やがて適応する時が来るのはたやすく見通せました。ぼくは元々一人だったから。今さら居ないだれかに固執しなくても、居る人を利用すれば事足りてしまう。そして、それを実行している。これが普通で、ぼくは変わらず生きている。そうして、これからもぼくは何かを忘れながら歩いていく。


「おもしろい解釈をするのね。あの人は」


 視界の端で黒髪がわずかに揺れています。隣に腰掛けている彼女には、いつしか対抗意識を持つようになりました。ぼくはこの女に及んでいない。なにかこう、負けているような感じがして、それが嫌なのです。


 その一つが、女が持っている執念と言いましょうか。腕っぷしの強さではなくて、心の強さと言い表すと伝わりやすいと思います。ぼくの目から見て、この強弱は「普通であるほど脆弱」であり、「特殊であるほど強固」です。


 たとえば、思ったことをなんでも口にする女が居たとします。大抵の女は会話をすることで満たされたり、気を晴らしたりします。ぼくだって、話をするのは好きですし、それが生きていく上で不可欠だと考えています。それを承知の上で、不用意な発言をしないでいる事が、そこらのおしゃべりよりも一段上の女である自覚を感じさせてくれます。


 ユタカの書いた「無音少女」という長編小説に出てくるミョウレイミチという登場人物は、まさしく「未知」の人物としての色が濃いです。なぜ、彼女はあのような結末になってしまったのか。それをどれだけ考えても、理解できません。まだそれを追及する段階ではないので、この話は一旦、切り上げます。


 その作品には複数の女性が現れ、主人公であるイオギユウシュンは、選択を間違えることもありますが、ミチという女の子を一途に愛しているふうでした。彼女は明らかに普通ではない、暗い何かを背負う女の子のように描かれています。それは転じて、複数の例がある中で、突出した神秘性を持った彼女を至高と見なしているようです。


 ぼくは普通の女よりは弱いです。だから、他人を利用して、強い人には逆らわないように生きてきました。そして、それこそがぼくの女としての強さだと納得しています。一人では生きていけないのが人間ですから、恥じることもありません。


 ですが、ユタカは「無音少女」の中で、決別とも受け取れる言葉を綴っています。もうだれとも一緒にならない、と宣言しているような。稼ぎがなくても、熱心に、真剣に生きていたら、その姿を認めてくれる日と(人)も、訪れたでしょうに。ぼくだって、その一人だった。


「あたしはこんなに、生易しい人間じゃなかった」


 薄々感づいていたけれど、この人はもしかしたら……。そうなら一言、伝えたいことがある。でも、ここでは言わない。無音少女とは、ユタカにとってすべての「始まり」であり「終わり」。そして、その二つは彼にとって同義語であり、どちらが先に来ても決して変えることのできない因果によって支配されている。


 室内でカラオケの演奏が始まって、隣の女が唄い始めました。レンはああ言っていましたが、この人の歌からは特別な何かがあるとは思えませんでした。ただ、ありふれた女性客と変わりがないようです。普通に上手だし、聴いていて不快というわけではありませんが、好きになる声でもないのでこれ以上の説明は差し控えます。


 ぼくらは友達でもなんでもありませんが、リスカ塔の今後や次の動画について話し合うために形式的な会合を開いています。いつか、ミミズ郡やレンを呼ぶこともあるのかと想像しています。それが現実になるのはどのくらい先なのか。きっと、もう一人の仲間が見つかった後だと思います。


 グループというのには、第一に整然とした方針を持っていることが必須です。目的もなく集まっても、やがてそれぞれが何も役割を果たせずに時間を無駄にするからです。ぼくたちの目的はリスカ塔の実在を示すことで、彼の思想を残すことです。どれだけ頼りなくても、伝え残していくだけの価値がそこにあります。


 第二に、グループの人数比は無視できません。奇数になると、細分化された時に余りが一人出る。そうなると、中途までうまく集められたとしても、孤立した一人が集団から抜けていき、そこからまた一人と抜けていく悪循環が起こりかねません。偶数でも構成員の生い立ちによって孤立はあり得ますが、状況に応じて分割・統合できる分、奇数よりは統制しやすいです。また、相性や関係性を深めるためにも偶数であることは好都合です。いつも同じ人ばかりで関わるでもなく、相乗効果を見込めます。


 効果的な編成として、ぼくは四人組を前提として、仲間を募っていました。ミミズ郡は自身の活動に加えて、挿し絵やイメージを可視化してくれます。絵柄が丁度、リスカ塔の世界観に通じるものがあって、大変満足しています。泡沫ことレンは今のところ、何か活動をしているわけではありませんが、リスカ塔の宣伝に手を貸してくれることになりました。


 唄っている間、現在のリスカ塔を担う女は普通の成人女性の様相をしていますが、辺りが無音になると得体の知れない空気を醸し出します。まるで、そこに何もないのに何かがある、矛盾を語りかけてきます。希薄な存在感が絶え間なく点滅しているように思えて、気持ち悪くなります。


「どっちが高い点数を出せるか、勝負しようよ」


 急に、そう言われたので考え事をしていたぼくは反射的にその顔を凝視してしまいました。普段、カラオケでそんなに唄わないから何も備えをしてこなかったです。何をどう唄えばいいのか決まっていませんでした。


 戸惑いが相手にも伝わったのか、提案はより詳細なものとなりました。


「二人とも同じ曲を唄うの。その後、それを違う曲でもう一回繰り返す。あたしが先に唄うから、あなたが後でいい?」


 彼女が言うには、二回ほど曲を唄い合い、それらの点数の平均値が高い方が勝ちというものでした。歌唱力に大きな差があるとは思っていませんでしたが、ぼくはそこまで歌に自信がありません。過去に、ユタカが唄い方の説明をしていて、身近でそれを聞いているものの、実際に試したことがないので点数がどう出るか解りません。


 課題曲はこの女が一曲、ぼくが一曲、それぞれ決める流れになって、まず彼女から発表しました。


「『from Y to Y』。知ってる?」


 知らないことはなかった。彼の遺品にその曲が入ったアルバムが含まれていたから。二〇〇七年に初音ミクが発売されてから早い段階で有名になったボカロ初期の曲として名高く、歌い手と呼ばれるアマチュア歌手たちがカヴァーしている曲でもある。この女、すごくたちが悪い。ぼくはその曲で一晩中、目をぬらした記憶がある。


 お互いに知っている曲だったので、一巡目はそれで決まりました。ぼくが決定権を握るもう一曲は、ひとまず彼女の提案した曲を唄い終えてから発表する流れになりました。


 手元の電子目録で機械に楽曲が転送されて、音楽が鳴り始めました。ピアノの伴奏から始まり、前奏の後に歌が始まります。女はカラオケに慣れているせいか、音程の低いところでも難なく声を出しています。地声はそこまで低い方ではないのに、よく取れています。こう言うのも癪ですが、素人目に見ても上手でした。


 聴いている間、ずっとぼくは怖かったです。居なくなった人を思い出して、自分自身の人生がどこまで続いていくのか。それを考えたら、とても寂しくなってしまったのです。


 演奏が終わり、先に唄った人の採点結果は87でした。後少しで高得点にいきそうでしたが、良くも悪くもその唄い方で高得点は厳しいとでも言いたげな結果でした。それでも、十分に唄えている方なので、後手のぼくには大きな圧力です。


 ぼくの番が回ってきて、また同じ伴奏が流れます。早速、唄い出しで一拍ほど落としてしまいましたが、どうにか音に入り込めました。この、テロップ(字幕)に合わせるというのがどうにも慣れません。音を聴いて合わせるようにやる、とユタカが言っていたのを思い出すと、遅れがちになることもなく音程を取りやすくなりました。速さも穏やかで、音域も一通りで、難しい曲ではないので、ぼくにもどうにか唄えそうです。



キッカケ俄然トシテ 2/2


 曲の盛り上がるところで、胸の奥に込み上げてくるものがありましたが、この女の前で弱みを見せるのは嫌だからと、ぐっと堪えて最後まで音程に集中しました。後半、苦しくなって音をいくつか逃してしまい、夢見心地のまま音楽の世界に浸るも、演奏が終わった後に「負けた」とすぐに現実へ引き戻されました。


 しかし、採点結果は85で、数字だけ見たら低くはなかったです。それでも、敗北は敗北ですから、自分の不甲斐なさに怒りが沸き立つのは避けられません。ユタカが歌唱力に固執する理由がなんとなく解った気がします。


「上手だったよ。次は何を唄うの?」


 ぼくよりも高い点数を出した人が無邪気にそう言うので、自分の得意な曲で、今度こそ「勝つ」と闘志が燃え上がりました。


「『嘘の火花』」


 これはぼくが高校生の頃に放送されていたあるアニメの主題歌で、唄っているのは96猫という歌手です。アニメはともかく、そのだいぶ前から漫画の方は読んでいました。人を好きになる、というのが今一つ解らなかったぼくとしては、作中で踏みにじられる恋情に喜劇的な面白さを感じていましたが、内容が薄くて、最終巻が出る前には飽きてしまい、アニメの方も大して関心がなかったです。


 しかし、ぼくがこの曲を知っていて、執拗に聴き込んで習得したのはそれを唄っている人が身近に居たからです。亡き彼はテンポが速くて高い曲を時々、一人カラオケで唄っていました。そういう習慣が音感を築き上げのは想像に難くありません。現に、ぼくも「嘘の火花」を唄えるようになってから、それ以前より歌の腕前が上がった自負があります。ほんのわずかですが。


「あたしの好きな歌い手さんの曲だ。いいよー」


 隣の女は幾分か明るい声色ではしゃいでいました。今度はぼくが最初に唄う流れです。


 テンポが非常に速く、節回しにかなり気を遣う曲ではありますが、その分ゆっくりした曲よりも息切れをする危険が少ないため、ぼくとしては唄いやすい部類です。唄い方のコツとしては、どこがフレーズの出口なのかを見定めて、頭からはっきり発音していくことが大事です。……なんだかユタカもこういうことを言いそうな気がします。難しい転調がない分、覚えるのにそう苦労はしませんでした。テンポの速さと声の高さにさえ注意をしていれば大丈夫。


 唄った後の気持ちは晴れ晴れしていた。カラオケを利用する人のほとんとがこのためにやってくるのだろうと、ぼんやりと思っていました。すると、演奏後に表示された点数は90点だそうです。実感はありませんが、よくできていたみたいです。


 これでぼくの平均点は87.5となりました。優勢になりましたが、後手である彼女がこの曲で89以上の点を出せばぼくの負けは確定です。


「すごく上手。もっと聴きたくなっちゃった」


 友達に接するような態度で近付いてきたので、ぼくは一人分、横の席にズレました。彼女は意に介さず、もう一方のマイクを手に取っています。同じ曲を唄うというルールですから、また先ほどの演奏が流れて、歌が始まります。


 彼女はこの畳み掛けるような歌も一言一句、適切に唄えていて、普通に上手でした。吐息混じりの声の響きが効果的に働いて、大人の色気という部分でも、なんだか自分より先をいっているようにうかがえました。鳥肌が立ちます……。


 カラオケの演奏が終わり、彼女の採点結果は87でした。もう2点高ければ、ぼくの負けでした。


「勝った……」


「ははは、すごいね」


 勝負には勝ちました。けれど、何か完全な形ではない気がします。さっきの歌唱でも、なんか例えようのない敗北感があって、ぼくは素直に喜べませんでした。


 すると、ぼくのわずか隣に座っていた彼女は突然、服の上着を脱ぎ始めました。そのまま観察していると、中に着ていた服も脱いで、下着姿になっています。この真冬に、いくら屋内でも、それは寒いだろうと思いました。


 彼女はおもむろに立ち上がると、部屋の電気を消して、カラオケのモニターも脱いだ上着で覆い隠してしまいました。辺りが暗くなって、怪しい雰囲気に包まれています。戸惑いぎみに辺りを見回していたら、暗がりから彼女が体重をかけてきました。そして、抱き付かれました。


「ぎゅってして」


 ぼくは伝わってくる肌の温度に寂しさを呼び覚ましそうになって、一瞬の間をおいて、この化け物のお腹を靴を履いたまま蹴り上げました。


「冗談じゃない。何するの。正気?」


 彼女はソファーの上に仰向けで横になっているようです。目が暗さに慣れてくると、思っていた通り半裸のままぼーっと横たわって、何も言わずそのままでいました。


 ぼくはおそるおそる席を立ち、テーブルの向こう側から、入口付近にあるスイッチまで歩み寄り、電気をつけました。


「乱暴されるのも嫌じゃないけど、ちょっと痛かった」


 ぼくはテーブルの上に、多めにお金を置いて、先に一人で帰りました。蹴ったのはさすがにやりすぎたかもしれないけど、同性に対してそういう目で見られるのが耐えられませんでした。


 同性愛はおぞましい。差別でもなんでもいいから、承認を強要しないでほしい。せめて、だれも居ないところでやってて。身近に居るというだけで怖い。近付かないで。