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下品な人間に囲まれるということ

 

 品のない人間で溢れ返っている。ともいう私も品のある方の人間ではないのだから、わざわざだれが下品であるかを論じることは間違っていると思う。一つだけ確かなことは、品格とは心掛け次第で保たれるものであると確信している。


 そして、私はその心掛けを察して自覚できる人間である(実践できるかはともかくとして)。この「察する」というのが重要なのであって、いかに不器用であっても心の片隅では感じたり思ったりしたことをどこかで呼び起こして、反省できるのが「下品ではない」ということの証なのである。


 その反対に、そもそも何事にも鈍感で、心配りどころか日常の断片に「気付き」すら得られていないような人間が大勢居て、そうした人たちに配慮や反省の精神を説くことは、ただひたすらに時間の無駄であると断言してもよかろう。


 私は自分の無知のせいで多くの失敗を経験してきたし、現在でもそれは続いている。不勉強であり、経験不足であり、至らぬが故の過ちがいつも我が身を襲うのである。そうして、事が起こった後に自らを省みて悔いたり憤ったりして心の平穏が損なわれる。


 自分の欠陥に思い至った後、それらを直そうとして上の次元に到達できてから再び心には安寧が訪れる。そうした出来事の繰り返しが、わずかではあるが自身をよくしていっていることも解る。


 しかし、過ちを踏んでもなお、それを繰り返して自覚してか知らずか、平気な顔で図々しく生きている者たちが眼前を過るのなら、私はこれを品格の劣る存在だと見えて不快になるのだ。これらに囲まれて過ごしている自分という存在はなおのこと、嫌で仕方なくなる。


 やがて、もっと高尚な人間になっていくのなら、そうした下劣な者たちとは違った世界で生きていくことが許される。そう信じて生きていくことでしか、その不快感を拭う手だては見付かりそうにもない。話し合ったり理解を求めたりすることは疲れるのだ。まして、この過敏な精神を共感してくれるものならば、そもそも自分を省みるだけの能力が備わっていて当然なのだから。


 私は下品な人間に囲まれて生きなければならない自分を呪うし、こうした世界に生きる現実を未然に防ぐことができなかったすべての人間に同情と慰めの言葉を送りたいのだ。


 叶うことなら、今からでも始めた方がいい。決して自分を安売りすることのないように、やれることはやれ。あらゆる手を尽くして、なんとしてでも回避せよ。こちら側で生きることはひたすらに不愉快で、自分を否定するだけの毎日をもたらすから。絶対にこちら側には来るな。