およそ三〇年ほど生きてきて、驚くほど何もない人生であったと振り返る。大病は患わなかったし、よそ見を許されないほど膨大な苦労もしなかった。出来事を列挙していけば、何かしらは年表にできる自分史を持っていようとも、現在の時点で私は自ずから誇れて自慢できるくらいの出来事を起こしていないのである。
好きなことを仕事にしたいとおぼろ気に思い描いていた二〇代ではあるものの、最近では好きだから仕事になるのではなくて、生きるためにこなしていく仕事だから好きになっていくのだと微かに気付き始めている。これは歴史に残る大きな発見だ。飽くまで自分史の範ちゅうでしかないが、仕事をすることに楽しみや名残惜しさを抱けるほど、献身的で健気な自分に感心している。勤勉な労働者となるための助けを実直に果たしていたのは、環境だった。
環境とは、我々を取り巻き、影響を及ぼし合う状況を指して使われる単語である。ずる賢い人間が多い土地で暮らせば、自然、自分もそのような卑しい部類に落ちるであろうし、高尚な人間が多い土地であれば、自分自身もそうであろうと努めるものである。郷に入っては郷に従え、という外国人の教えもあるが、あながち馬鹿にはできないのである。
そのくらい、自分が身を置いている場所は強い効力を持っている。これまで生きてきて、最も自分を高みへ導く可能性に満ちていた時期を挙げるとするなら、高等学校時代にまでさかのぼる。あの頃はよかった、と今でも思う。なんでもできたはずなのに、なんにもしなかった。免許を取れればもっと早くバイクに乗れただろうし、資格を取りさえすれば高収入の仕事にも就けただろう。
では、なぜなにもしなかったのかと聞かれたら、なにもできなかったと答えるのが正しいと考えている。なぜなら、自分をつき動かすための要素が不足していたためだった。共に競い合い、肩を並べる好敵手も居なかったし、使命感を抱かせるほどの深い喪失や重たい責務とも無縁に過ごしてしまった。かといって、ただなにかを失えば人間、否が応にも変われるとするのは、不確かで危険な思想だ。
最も力に満ち溢れた時期に、恵まれない環境で、潜在能力を眠らせたまま時を過ごし、そのまま老けて死んでいくことだってある。運命は思い通りに命を運んでくれない。まるで、我らを嘲笑うかのように、残酷だ。
私は運命を従わせるために必要なのは、踏んできた手順よりも、状況の良し悪しだと確信したのだ。仕事をしようにも、害悪となる人間が近くに居たのでは、良い結果を生み出すのは難しくなる。現に、そうした人間のせいで仕事を嫌いになったことは幾度もある。だが、それさえ差し引いてみたら、自分は仕事を愛せる人間だと気が付いた。
好きになれる環境が整ってさえいれば、仕事でも、私事でも、うまくいくのだ。行動を妨げているものがあれば、すべて取り除いて、始められるところから始めたらいい。喪失は必ずしも変化を認めてはくれないけれど、しがらみを断ち切ってしまうおそろしさがある。
別れはつらい。だけど、自分の人生ならば、それを乗り越えて常に進み続けなければならないのだ。それが私の持っていた可能性への弔いでもあり、死に向かうこんな哀れな一人が取れる最後の手段だと、声を潜めて言いたいのだ。
自分を高めるのは自分にあらず、自分を取り巻いた人間たちであって、努力なんて手垢の着いた万人が当たり前に費やしている労力などでは決してない。そうと決まれば、足を重くするような場所からはさっさと抜け出そう。
そのための場所を作りたいと考えているし、私が社長になるとしたら、社員一人一人が独自な思想で働けるような会社にする。もちろん、そういう人たちをまとめる立場になるのだから、私はだれよりも独特で、多くの思想に寄り添える頭の柔らかさを失いたくないものだ。すべては、自分を受け入れて、いつも先に進める環境のために。