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無音少女 初稿(1)


    1


 薄暗い部屋に20代の男が居る。


 布団で横たわっている彼は、タブレットPCを頻りに操作しては寝返りを打つかのように体勢を時々変える。しばらくすると、タブレットPCにケーブルを差し込む。画面に映し出されているのは、長々とした文章とタッチパネル式のキーボードである。男は操作の手を休めると、度々目を閉じる。その目が開くと、文章の続きが次々と画面上に流れ出していく。


 電気の点いていないこの部屋の床には、書きかけのメモや書籍が散乱している。片付いている箇所もあれば、散らかりの目立っているところもある。家具は少なく、本来の間取りよりも広い印象があるが、家主の荷物(衣類や寝具)がいくつか置かれている。男にあてがわれた部屋は建物の角に面していて、壁の外側には道路や別の敷地がある。道路には頻繁に車が通行するが、その交通量は時間帯によって増減がある。敷地は中小企業の事業所になっていて、日中は人の話し声や車の行き来で賑わう。


 ふと、男の手が止まる。画面に表示されている内容がすっかり変わっていた。SNSサイト「Twitter」が表示された。彼は小一時間、眺めるなり書き込むなりしているが、やがて投稿がすべてなかったことのようにして画面を閉じる。彼のTwitterアカウントはフォロー数とフォロワー数が0であり、隔絶された孤島のように人の出入りが皆無だった。ツイートと呼ばれる投稿をすることで自分の考えを発信できるものの、彼のアカウントにツイートはほとんどない。


 時間が経つと、男は自分の部屋を出て、台所で食事を開始する。イスに座るでもなく机を使うでもなく流し台に食べ物を並べて、順々に食べていく。数分後には使った食器を洗っている。次に歯磨きをする。洗面所を使う時もあれば、自身の部屋で行う時もある。彼はペットボトルに溜めた水を使うようにして、蛇口の接触を避ける。洗面所を使わない時は手近のフタ付きのプラスチック容器に排水し、部屋の出入りと同時に内容物を捨てている。


 この男の生活は「寝て」「起きて」「食べて」「排泄して」くらいしか主だった行動が見られない。


 だが、夕刻にはよく外出しては、有り金でカラオケボックスに興じていることがしばしばある。屋内でも屋外でも、男の服装に多様性はなく、常に同系統の洋服とズボンの組み合わせであり代わり映えがしない。男は住居から数分で行ける店に来て、受け付けの店員と話をした後、個室にこもって一時間程度、歌を唄っている。お世辞にも上手とは言えないが、音痴と言うほど極端でもなかった。それでも洗練された歌手の声と聞き比べたら、専門家と素人の差がはっきり見て取れた。一時期、彼はカラオケの成果を一つ一つ紙切れに記して反省点をまとめていたが、この頃は方針が変わったようでカラオケでの記述は減った。愛用の古ぼけたマイクを使って、彼は時間までとにかく唄い続ける。歌について一人言をぶつぶつ唱えては、同じ曲はなるべく連続させず、男性の曲だったり女性の曲だったり声の感じを変えて唄っている。歌声を聞いてみると、彼は男性より女性の曲の方が詳しく唄えている。男は数年間、このように一人でのカラオケに興じているが、素人としては頭ひとつ飛び抜けたくらいでしかなく、聞いた人間を納得させるほどの歌声には到達していないのであった。


 カラオケボックスを去ると、男はマイクを自宅に置きに戻って、そのままの身なりで買い物に出掛けることが多かった。宵の口に街中を自転車で移動して回って、いつも決まった店舗で食べ物や日用品を買っている。彼は財布と呼べる物を持たず、紙幣と硬貨は別々の「入れ物」で持ち歩いている。財産の少なさがあってか、そうした貧乏性のような面が多々ある。しかし、レジ袋はもらわず不要な物を増やすことも好まないようだ。財布の所持もその程度にしか考えていないのかもしれない。


 外出を終えると、男はシャワーを浴びる時を除けば、必ず足を洗って着替えてから自室の布団に戻る。一見して潔癖性のようでもあるが、完璧主義者でもなく、自分の中で設けた基準に忠実なのだろう。そのため彼は毎日体を洗うわけではなく、数日に一回程度の頻度でシャワーを浴びる。家にこもりがちの生活だからか、気になることがなければ洗わないようである。


 男の住んでいるこの家は、いわゆる同居人が借りている物件に過ぎないが、ここでの生活は半年を超えた。


 彼は18才で社会人になって、19才から職を転々としているどうしようもない人間だった。転職先は派遣社員として使われる工場勤務であり、最初に彼が勤めた会社よりは圧倒的に楽だった。その職場の上司は、社内で昼食を取らない彼に時々自身の弁当を与え、気遣っていた。それでも彼は「ある出来事」があってから人間としての活気を失い、彼の脱力した様子や性格をよく思わない上司からの叱責にも耐えられず、追い出されるようにまた転職を余儀なくされた。その次の職場に勤める頃には、いくらか立ち直れてきたが、社会人としての未熟さは残っていた。


 そうして20才になった次の年始めに成人式および同窓会が開かれたが、彼は同窓会にだけ出席した。他の同級生らはスーツを着込んで、恩師だった人たちと談笑している。彼は人の多い場所に気圧(けお)されて、待ち時間には読書を始めた。服装も行動も空気に馴染めていない男の、元担任の女教師は彼の事など覚えていないか、覚えているが関わりたくなさそうだった。彼もまた、お節介な同級生に彼女と話すように促されていたが、その誘いを断って、代わりに目の前の食事だけに集中していた。そんな不気味な振る舞いをする男に声をかけたのは、彼の当時の学年主任だった。すでに初老くらいの男教師であり、ここに集まった元生徒たちの卒業式からすでに五年くらい経つ。その教師は自身を軽んじる生徒たちの授業態度に対して、嫌みや卑屈な発言をすることから、生徒たちには嫌われていた。根は悪い人間ではないはずだが、同窓会に及んでも相変わらず人気がないようだ。男は学生だった時に、その嫌われている男性教師と個人的に会話をしていた。ある年の書き初めで書いた「精進」という文字について「なにを精進したいのか」と尋ねられて、14才か15才の生徒である彼は「自分を高めていきたい」と話していた。同窓会での二人は言葉数も少なく、男教師は周囲を見遣り「社会人になっても気楽なやつらだ」と、彼の私服姿にはあえて言及せず会話を切り上げた。


 同窓会での教師との関わりはそれがすべてだった。彼のよく知る同級生が、全員ではないが、出席していた。男が児童の頃によく親しくしていたやんちゃな女や、竹馬(ちくば)の友と言えた男も来ていた。大抵の女たちはドレス姿で着飾っているが、その女だけはスーツ姿で決めていてすっかり垢抜けた様子であり、一風変わった彼に話し掛けていた。男は答えるのがやっとで、顔見知りが相手だとしても会話は膨らまなかった。一方、竹馬の友だった男は、かつて親しかった彼の存在に気付いているようではあるが、関わる意志を見せておらず、他の同級生と愛想よく話していた。


 有志によって市内でもまあまあ豪華な会場で開かれた同窓会は、参加費が多くかかったが、彼はなにかを思ってその場に臨んだ。俗っぽく騒いでいる同窓生が居て、場に馴染めていない彼自身が居て、数時間後に会はお開きになった。帰る時、車内の彼はどこか疲れた表情だった。


 同窓会があった年、自堕落な生活が許されるわけでもなく、実家の人間は彼に暴力を与え、社会復帰を促した。その一件があってから、彼は実家の自室を空っぽの状態にして、後先を考えないまま外界に飛び出してしまったがために、ホームレス同然の状況に陥る。当時まだ車を所有していて、早いうちから知り合いに新しい仕事を紹介してもらって、どうにか人間らしい生活に立ち戻っていた。だが、精神に傷の多い彼は何をやらせても長続きすることなく、奇跡的にありついたその職場では失敗が多く、周囲の人々によく嫌われた。与えられた単身寮でも上階の騒音に悩まされ、住み始めた数か月後には引っ越していた。これと重なるようにして、知り合いの居る職場をやめ、彼は独立した。


 独立後の男の生活は、ひたすらに孤独だった。家族からのもらいものであった愛車を廃車にし、20代の時間をなし崩し的に過ごしていく。始めはコンビニでのアルバイト店員として働いていた。給料や待遇は比較的恵まれた職場だったにも関わらず、職場内の独自な決まりに戸惑わされたようで、結局やめてしまった。そこからは再就職にこぎ着けるまで無職だったが、契約したカードローンを駆使して生活は維持していた。無職だった時期、いわゆるブランクは半年続いたが、次の職場は意外なところで見付かった。彼はその職場に歩いて通った。雨が降っても、間に合いそうにない時はタクシーを使った。タクシーが捕まらなくても、時間を遅れても決して休まなかった。それは、彼が休むと店で働ける人間が他に居ないからだった。徒歩通勤をしていた折り、男は車に警笛を鳴らされたことをきっかけに警察沙汰を起こす。車から降りてきた中年の男と口論の末、彼だけが警察署に連れていかれ、仕事には二時間以上遅れていた。その後も警察から電話での追及は続いていたが、彼は自分の正当性を譲らなかった。やがて、その件について電話がくることはなくなった。


 職場での勤務にも慣れている様子だったが、彼が暮らしているマンションの賃貸契約が更新される時期に差し掛かった。この時機で生まれ育った県を出て他県への移住を考えていたが、貸し主の都合で果たされずに終わる。そのための交通費によって大きな出費をしていた。また、定められた期限前に不動産へ退去の申告をしていなかったが為に、契約書の内容に従い、契約の更新料を払った上での引っ越しをするはめになる。この時点で男は金の余裕もないのに数万円をふいにした。


 次なる賃貸は思いのほか早く決まり、一度は退職していた直前の店に、再就職させてもらう。これによって生活が持ち直された矢先に、職場での不満が日に日に増えていく。彼はその前より、すっかり社会人として働けるようになっていたが、特有の思想を持って仕事をしているようでもあった。その思想に合わないのであれば、どんなに苦しくなろうともその仕事は続けない。ついに、男は生活の支えだった仕事を手放して、数か月間の無職に入る。


 その後、数々の求人を見て、彼は接客の仕事に就いた。始めはその多忙さに退職を考えていたが、職場内の人事が移り変わったことによって判断が先延ばしになった。人間関係にも恵まれたが、時間をわずかに厳守できない事が理由で、彼は職場の人間たちから次第に嫌われた。当時、この男は接客の仕事を掛け持ちしていたことがあって、一方の仕事をやめてもなんとか生活できていた。ところが、再就職先が見付からないままで収入が足りず、賃貸契約は20か月ほどで解約することになった。その物件は一階建ての小さい建物の集合の内にある一つだったが、築年数が古く害虫やナメクジがよく出現した。男はガスも使わず冷蔵庫も使わずに、それまでの一人暮らしを過ごしていた。体は、ケトルで沸かしたお湯を使いつつ適当に吹いて、どういうわけか髪は湯が張られたバケツに頭を突っ込んで洗っていた。


 苦行とも言える数年間は彼にとって一つの自信だったのか、卑下だったのか。それはだれにも分からないが、社会的な評価はいつでも低かった。彼はとにかくたくさんの事業所に履歴書を持って、面接と称した人材選びに足を運んだが、それまでのように採用を勝ち取ることはできなくなっていった。20代にもなって定職に就かない男は、だれの目から見ても普通とは言えなかった。彼は自由な生き方をしていた反面、普通の人が日々築き上げていく仕事の功績を、何一つ持っていない。


 かつて、実家を飛び出した時に頼った知り合いに協力を頼み、男は次の仕事と住居が決まるまで、その人の家に居ていいことになった。男はその数か月後に新しい仕事を見付けるが、それもまた接客業であった。しかし、そこにも癖のある人物が居たもので、些細なことがきっかけでその仕事をやめる。その時期に彼の血縁者が死去し、お通夜の日に仕事を休む事になったのだが、彼は愚直にもその後、職場へ出勤すると申し出た。だが、彼の善意は、代替の出勤者の憎まれ口によって台無しになった。その他にも、仕事が上手にできているわけでもないのに威張っている者や駄弁ばかりで気の利かない者が居て、彼は着実にやる気を削がれていった。


 死去した血縁者は、彼にとって育ての親とも言える屈強な存在で、その男が社会人になるまで数々の面倒を見た功労者だった。だが、これといった報いもなくその生涯は閉じた。久方ぶりに顔を合わせた彼の家族たちは外見以外は良くも悪くもそこまで変わっていない様子だった。


 故人の息子であり、男の父に当たる者は細身で、体は大きくないが態度はでかく、人好きのするひょうきんさを持ちつつも、癇癪(かんしゃく)持ちで一度怒ると手がつけられない。男の兄に当たる者はやや長身で、口数は少ないが自尊心は非常に強く、見くびられるのを嫌い優秀だが、人見知りが強く内弁慶である。男の姉に当たる者は既婚者であり一児の母で、外見は父の面影が強く残り美人ではないが引き締まっていて、社交的で人好きのする性格は父譲りであるが、嫉妬深く、自分を捨て置かれる事が鼻持ちならない。故人の夫で、男の祖父に当たる者は、えてこう(猿のこと)のような顔をしていて、寡黙ながらひねくれた性格で物をけなすことが多いが、職人気質(-かたぎ)で手先が器用。


 三子である男は、家族との再会を望んでいなかったが、遺族としての役目を果たした。葬式は数十名が集まって行われたが、故人が百姓だったことがあってか、血縁者以外の面々も多く来ていた。そのほとんどが彼が子供だった頃に地元で顔を合わせたことのある者たちで、同級生の親族であることも珍しくなかった。男はこれまでこの家を必死に遠ざけようとしていたが、家族という繋がりから永遠に抜け出せないことについて、何を思っていたのだろうか。


 二親等を一人失い、彼は例の退職直後に思いきった引っ越しを試みた。住み込みの仕事を見つけて、県外への引っ越しをしたのだった。そこでは仕事もあって、住む場所もあって、一人暮らしをする条件は満たしていた。だが、男が勤め始めて、いくつか不親切な箇所があって、それが退職の決定的要因になった。人間関係はそれまでに比べたら、悪くないはずだったが、職務上の説明不足や理不尽な注文などがちらほら見つかり、ただでさえ過労な仕事なのに新人がそこで勤めていくには敷居が高かった。男はこの仕事と暮らしを手放すのをぎりぎりまでためらっていたが、思いきってやめた。自分自身を変えることができず、また逃げたのだ。


 知り合いの家に引き返してきた彼は、とにかく社会復帰できずに居た。それまで避けていた派遣会社に再び登録して仕事をするが、結果は言うまでもない。その職場には外国人労働者が一定数居て、男と同じ部署には物を大きな音を立てて置く女性がおり、彼は毎朝の通勤の過酷さも相まって、それらに負けて勤めた翌月には仕事を放棄した。それによって派遣会社の人間には叱責されていたが、彼はそれを重く受け止めていなかった。


 派遣労働者としての生き方をやめた後、男は次の仕事を探すつもりだったが、その頃には新型コロナウィルスというものが世界規模で流行の兆しを見せ、再就職への意欲を消極的にさせた。限りある給料を切り崩して無職の生活を送っていた彼は、賃貸から去った後、一度は生活保護の受給も視野に入れたようだが、「働け」と言われて返された。働けない明確な理由がなければ、そもそも生活保護は受給されず、男は必ずしも働けないわけではない。しかし、自分の思想を持って生きている限り、彼は普通の人間として生きることもままなっていないのが現状である。


 Twitterを眺め、カラオケボックスに入り浸り、買い物にばかり行く生活が数か月続いていた。新型コロナウィルスは、男の生き方をより狭めた。ネットビジネスや創作活動での生き方を模索していたが、彼にはそれに足る資質や知識が全くなかった。本来なら、行動によって自分を変えるのが成功者の絶対条件とも言えるが、男はこれまで何もしてこなかった。何一つ積み重ねてこなかった。それどころか負債ばかり溜め込んだ。年々、彼の外見は少年期から遠ざかり、醜悪な形相に変えていく。


 男は最後の抵抗とばかりに毎日の動画を投稿することに決めた。それもようやく30日を迎えるが、動画の再生数はそのほとんどが無人の様相を呈している。結果が出ないことにしびれを切らした彼は、これまであらゆるものを捨てて生きてきたが、動画に関してはそれでもやめない理由が他にあるようだ。


 その動画は男の弁舌の能力を裏付けていたが、彼にはまだ一つやろうとしていることがあった。一人暮らしを始めるより前から、ずっと書こうとしていた創作、その物語を完成させること。


 男は小説を書く手段を独学で心得ていたが、それを実行に移すことは避けていた。


 ここに書かれている男とは私のことであり、私はようやく自分を書いた。この物語の構想に従い自分の詳細を書き記したつもりだ。これは小説であると同時に私自身について述べた自叙伝の性質も持つ。筆者が読者に対して真意を打ち明けるのはおもしろみを削ぐことであり、カレーライスからルーを取り除く行為に相当するかもしれないが、あえてこれだけは書いておく。


 この作品はある人のために綴られる物語でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。自分がいつでも死ねるような環境を作るためには、この小説は必須だった。そして、唯一の心残り足り得た。


 さて、自分語りはほどほどに飽きてきた。いよいよ書くとする。


「男は小説の構想を完成させた」




   2


 ひとりぼっちで森の中を歩いてる。どこかにいきたいわけじゃないけど、じっとしていると後ろからなにかが近づいてくる感じがして止まっていられないの。ずっと、ずっと、歩いているんだけど、暗い、暗い、樹海で草木のあいだを、出口を探している。


 じぶんがどこにいるのかわからない。こわくて、泣きたかったけど、そんなことをしてたらやつに捕まる。何本も生えている木を通り過ぎる。背の高い木々に囲まれてたら、たくさんの人たちに見守られているみたい。やめて。だれにも見られたくない。でも、あたしはその人たちに監視されていると思うほど、そこに立っているのが木だと思えなくなってきた。


 この場所はすごく冷たい。着ているかどうかもはっきりしない薄っぺらい生地の洋服を来ているんだけど、靴は履き忘れたから草の地面を足の指でつぶしながら進んでいくの。どれだけ続いたか、もうその感触には慣れたけど、丈の短いワンピースだから、脚に肌に直接草木の先がちくちく刺さる。周りの人たちはあたしを取り囲んで笑っているみたいに手をさらさら揺らしてて、追いかけてくるやつはもうあたしのすぐ背後から手を伸ばしてきているようだった。止まらないで進んでたけど、疲れちゃった。どうなってもいいよね。ここまでがんばったから。泣いてもいいんだ。そう思ったら、ちょっとだけほっとしたの。あたしはなにから逃げてたんだろうって。わからないけど、目元をにじませる熱さが歩みを止めた。


 次の瞬間には、「はっ」となって、後ろから伸びてきた手に背中を捕まれた。洋服の背中を引きちぎれるくらいの力で引っ張られて、歩いてきた草の上を引きずられて、前を向いているんだけど、後ろに向かって戻されていく。どうなるの。あたし、このままどこかに連れていかれてしまうんだ。こわいけど、こわいけど、もう涙も出てこなかった。


 抵抗しても無駄なんだ。逃げ場なんてどこにも、なかった。




「ねえねえ、次のテストの勉強、進んだー?」

 

 声が聞こえる。ちょっとだけ周りを気にして見るとあたしは教室にいた。なん十個も置かれている机と、がやがやした話し声で、ようやくわかった。あたしに話し掛けているわけじゃなくて、近くの席で女の子たちが話をしていた。記憶をたどってみると、あたしはここで授業を受けていたはずなんだけど、号令も終わって、寝過ごしたみたい。勉強なんかべつにやったってやらなくたって、どっちでもよかった。居残りさせられるとかっこわるいしめんどくさいから、最低限の成績は保つようにしてる。それにあんまりできがわるいと、あいつにばかにされるから。


 イスから立ち上がって、あたしは手洗い場に行く。机と机のあいだを通っていくと、後ろからなにかが髪に触れた。それは小さいもので、消しゴムかなにかだと思う。「授業中に寝てんじゃねーよ」そういう言葉が聞こえきて、笑い声と笑い声があたしの耳の中に入り込んだ。だまれ、だまれだまれ、だまれだまれだまれ。むかつく。あたしが授業中に寝ていたって、あんたたちの成績が下がるわけじゃない。どうせだれかをこらしめたいだけでしょ? わるものを決めて、耳さわりのいいこと言って、それで自分の快感に浸ってるだけ。あたしのことを思いやって注意しているわけじゃない。


 やりかえしたい気持ちもあるけど、注意されたことに対して怒るのもなんかちがうから、振り返らずに無視する。教室の後ろの出口を通り抜けようとしたら、スライド式の戸が勢いよく閉まった。「シカトですかー?」一度は見逃してあげたのに、しつこい。こうやってあたしを攻撃するのは、クラスの――(名字)。そいつがあたしに対抗意識みたいなのを燃やしている理由は知ってた。前に、クラスメイトの男の子と話したことがあって、ちょっとだけそれが長く続いて、それだと思う。ほんとめんどくさい。自分の方が上だって納得して安心したいんだろうけど、そこまで付き合ってやる義理はない。


「通して」


 ――の友達の女子たちが戸を押さえている。


 あんまりこういうことはしたくないんだけど……。


(戸の真ん中辺りに、彼女の足の裏が強く触れる)


「「いやあっ」」


 女の子たちは音に驚いてひるんだ。その隙に戸を開けて教室を出る。「おい、ちょまてよごらあっ」


 廊下を歩いていくと、教室付近の生徒たちがこっちを珍しそうに見てる。寝ているときの事を思い出して、ちょっと気分がわるくなった。早速手洗い場に着くと、手を洗って顔を洗う。すっきりした。次も授業がある。洗い場から教室にもどる。校舎全体を覆っている乾いた匂いと、教室のきれいじゃない空気、耳にこびりつく大勢の声。ここにいるときの落ち着かない感じ、なんか嫌だ。


 教室の戸がまた押さえられているんだと思って、そっと手をかけると、思っていたよりすんなり開いた。あたしが来た瞬間、教室は静まり返った。じぶんの席に戻るのは苦労しなかった。でも、机やイスになんか変わっているところがあった。それをいちいち間違い探しするのもばかばかしく思えたから気にしなかった。「それ」をさっさと片付けて次の授業が始まる。


 教室はいつもどおりだった。




 学校が終わると、歩いて家に帰る。あの教室にいると、その日にあった良いことも最初からなかったことのように思えてくる。家に帰ったってそれがあたしを楽にしてくれるわけでもないけど。


 ケータイを開いて、画面を見ながらいく。今日は更新されてる。ほんとはいけないことだけど、こうやってなにげなくケータイ小説を読むのが、下校の時の習慣みたいになってた。ゆっくり読みたいときは公園や信号の多い道を選んで帰ったり、更新されてなかったらふつうの道で帰ったり。近くに小学校があるから、小学生たちもよく歩いているのを見かける。まだ明るいけどもうすぐ夕暮れが近づいたら暗くなってくる。おいしい空気じゃないけど、お外は学校よりも気が楽。たぶん、家にいるときや学校にいるときよりずっと楽。だから帰らないで、ひとりだけでいられる場所で過ごしたい気持ちもある。運が良ければねこさんにも会える。


 でも寄り道はしない。暗くなる前に家に帰らないと親に怒られる。


 暮らしているところ自体はふつうよりもすこし豪華というか、貧乏じゃない。近くの駅から10分くらい歩くと、マンションや家々がいくつも建っているところがあって、お店が建ち並ぶ通りを抜けていく。車もよく走ってきて、狭いところだとすごい近くを通っていく。


 嫌なことも疲れることもあったけど、やっとじぶんの住んでいるマンションが見えた。自動扉の玄関を抜けてロックを解除したらすぐのエレベータに駆け込んで、上の方の階に上がる。エレベータを出たら、歩いていってじぶんちの扉を合い鍵で開ける。うちには鍵が、これを数えて二つしかなくて、よる親がでかけるまでにあたしが持っている方の鍵を戻さないとしかられる。だから、親はあたしたち全員が学校から帰ってくるまではほとんど家にいる。


 玄関のドアを閉めると、大きな足音が聞こえてきた。「あんた、もっと早く帰ってこい。きょうは早めに出掛けたかったんだから、ほらあっ」化粧のされた顔からでも鋭い目付きが刺さってきて痛い。身なりもよそ行きのかっこうだった。あたしが鍵を渡すと、一旦奥の方に戻っていって、かばんを持って戻ってくる。「じゃまっ」靴を脱ぐよりはやく壁際におしのけられた。親はドアの鍵を閉めずに、さっさと出掛けた。


 あたしは玄関の鍵を閉めると、洗面所に入る。正面の鏡を見ないようにして、手を洗う。顔を洗う。ちょっとだけ鏡を見てみると、あたしはじぶんの目と、目が合った。吐き気がして、すぐトイレに入った。じっと座っていたら、だんだんと落ち着いてきて、へんな気持ちになった。




「………………………………………………………………んっ………………………………………………………………………………………………………………………………んっ……………………………………………………………………はっ………………………………はっ……………………………………………………んっ……………………んっ………………はっ……はっ……あっ……はぁ…………あ………………………………」


 頭の中がすっとした。けど、最悪の気分だった。


 トイレを出て、洗面所で手を洗った。今度は鏡を見ないですぐそこから離れた。


 廊下に置いてあった学校鞄を持ってじぶんの部屋に入る。制服を脱いで、半そで半ズボンになってから学校のジャージに着替える。家の中にいるときは、風呂に入るまではこの方が楽。部屋は荷物や家具で仕切られているけど、同じ部屋だから入り口は同じだし狭い。あと一時間ちょっとしたら、あいつが帰ってくる。時計を見てたらどうでもいいことを考えてた。じぶんのスペースで横になってケータイを見ているとお腹が鳴った。お腹がすいているはずなのに、食欲がわかない。


 台所に行って、コップで水道の水を飲んだ。あまり美味しくない。


  部屋にもどって長座布団の上でごろごろしていると、あくびが出てきた。壁に寄りかかってうとうとした。ねむい。おやすみ……。




 すっかり寝てた。目を開けると、部屋の電気が点いてた。じぶんの服装を考えたら、そろそろお風呂の準備をしようかと思った。でも、きっとあいつがいる。引き出しと机で仕切られていて反対側が見えない。


「いるの?」


 いてもいなくてもどっちでもいい。ただのひとりごと。むこうがわのイスがぎしっと音を立てた。いるんだ。今ので意思の疎通は取れて、あたしはお風呂に入る準備をした。入るのはいつもそこにいるやつの後だけど、沸くのを待たなくていい。着替えとタオルをまとめて、洗面所にいく。部屋の入り口に差し掛かると、やっぱりいた。


「ふがふがいびきかいてたし」


「うっさいな」


 こいつはなんでこうなんだろう。ばかにしてくるし、言うこともすごく腹が立つ。そうやってむきになっていると、なおさら相手のペースに乗ってるみたいだから深入りは厳禁。すぐに部屋を出ていった。……あとで、 テスト勉強しないと。


 お風呂場で体を洗っている。シャワーのお湯で少しだけ気持ちが紛れる。学校での人間関係とか家での立ち位置とか、いつまでこんなのがつづくのかと考えたら落ち込むけど、この瞬間だけは余計なことを考えないで、体が温かくなることだけを感じる。


 ……浴室の電気が消えた。


「おいっ!」


 しばらくしてすぐに電気が点いた。


「あとでおかんに言いつけんぞ。さっさと出ろ」


「…………(うるさいな)」


 リラックスできるかもしれない時間もそう長くないみたい。用意してあったタオルで髪をまとめる。うしろの方、長くなってきたからすこし切った方がいいかも。乾かすのがめんどい。そろそろお風呂に入る。あいつが入った後だからそんなにきれいじゃないけど、入れないほど汚れているわけじゃない。一応見てみるけど、もうずっとあたしが後に入ってるから慣れたのもある。あたしが先に入ったら、あいつは「汚い」って言って嫌がるんだろうけど。


 あんまり長く入ってるとまた文句言われるから、あとちょっとしたら出よう。




 体はほかほかになった。体を拭いて、部屋着になったらドライヤーで髪を乾かす(早くしないとまた文句言われる)。乾燥を済ませて、お腹が空いていたから台所にいく。おかずが作られているわけなくて、ここにあたしが食べていいものもそんなにないから、その辺りに置かれているふりかけをかけて、おわんによそったご飯を食べる。居間のテーブルにうつり、イスに腰掛けて窓の外を見る。外は暗くなり、遠くの方にも建物がたくさん広がっている。時計はよる10時半を越えてた。食べたら、洗面所で歯を磨きにいく。


 あたしはこの時間の洗面所が嫌い。鏡を見ないように歯磨きをする。虫歯になったら親がすごく怒るから、なるべく不要な食事はしないようにしている。あいつはいろいろなものを食べているみたいだけど別に関係ない。気にしてもしかたない。歯磨きを終えて、口をゆすいでいると、洗面所のドアがとうとつに開いて、すこしびっくりした。悟られないようにゆっくりと振り返ると、入ってきたやつが飛び付いてきた。


「なにすんの。やめろ」


 すぐ気がついた。変な気を起こしているんだって。だけど、あたしだっておとなしくやられるつもりはないから必死に抵抗する。この頃はこいつとけんかしても力ではかなわなくなってきているのは知ってた。ちょっかい出されて、それが次第になぐったりけったりのけんかになっていた。


「…………なんだよ、いいじゃん。ちょっとくらい」


 まだまだあたしの方が強い。


「ふざけんな」


 じぶんの部屋には戻らず、あたしは洗面所を出て台所に行った。すぐ取れるところに、見えるところに包丁を置いて、居間にあるソファで横になる。朝が来たら、また学校か。来年までの辛抱……。そう思っても目の前の嫌なことはほんとうに長く思えて、嫌になってきた。


 学校に行きたくない。




   3


「失礼します」


 ノックを二回して、講師の部屋に入る。この部屋はいつも言い知れぬ圧力が放たれていて、並みの生徒が気軽に入れる場所ではないが、僕は決意を新たにしてそこへ踏み込んだ。「なんだ」と低い声が聞こえる。部屋の奥で机を隔て、彼は窓の外の渡り廊下を眺めている。そこにはこれから帰るであろう生徒やら部活動に向かう生徒やらが確認できた。


「部活をやめさせてもらいたくて、来ました。もう続けられそうにありません」


 見立て60を過ぎている彼は、僕の方を見て「本当にそれでいいのか?」とだけ尋ねた。僕は「はい」と淡々と答えた。先生は強面(こわもて)の表情を一切崩すことなく「わかった」と言った。この人はこの年齢になってもまだ高い運動能力を持っていて、なおかつ専門的な知識を有している、すごいお方だった。他の先生たちも彼には一定の礼儀を示して接している風だ。先生はきっとこの後も部活動に顔を出すのだろうけれど、もう僕はそこに行くつもりがなかった。こんな顔では行けるはずがなかった。


 一年生の春に部活動見学をして、僕は剣道に興味があったのだけれど、防具を買いそろえるだけの費用もなく(伯母が剣道をやっていたから祖母にいろいろ聞いてみたが、もうないそうだ)、無難に中学の頃からやっていた運動部に所属していた。三年間の下積みと言っても、ずっと補欠みたいなもので、部内で干されていた。中一の時に、部員を馬鹿にしたような態度の若い教師の、顧問に反発したことがきっかけで扱いが特別悪くなった。競技の才能がないわけではなかったが、それが芽を出すことはなかった。時を経て、高校の部活動からはそういう差別もなくて、実力主義みたいな環境で、それまでよりも質のある練習をさせてもらえた。ところが、人数比の都合があって僕は大会に出られない状況だった。しばらくして新入部員が入り、余り物だっち僕もようやく大会に出られるようになったが、結果は芳しくなかった。


 当時三年生で、部長だった先輩は競技でもかなり強く、学も人徳もあって、高校に入って僕が心から尊敬した人物の筆頭だった。怠けている部員が居たら厳しく注意をして、暗い雰囲気だったら盛り上げてくれる。文武両道の能力もある彼の言うことには、だれも逆らわなかった。


 三年生が引退した後は、前任の彼の次に強かった二年生の先輩が新しい部長になった。その人もかなり頭が良くて、移動中のバスの中でゲームをやっているような人だったけど、全校集会ではよく表彰されていた(前任の部長も度々壇上に上がっていた)。しかし、どこか脱力したところもあって、顧問である先生に任されているから部長らしくあろうとしていたが、先生の強い要求に葛藤する姿も見せていた。


 部内でも僕はよくいじられたが、先輩たちは悪い人じゃなかった。二年である僕たちの、先輩が引退してから、部内でも実力のある同級生が部長になったのだが、その子の性格におばかさんな一面があって、一年生たちからもよくなめられていた。癇癪(かんしゃく)持ちの僕でさえ、なめられていたくらいだから、仕方ないと言えば仕方ない。一年生たちは年功序列を信じておらず、能力のない人間なら、上級生でもばかにしていいと考えているみたいだった。実際、一年しか変わらないのだから、と対等な口を利いてくるやつに僕は厳しく注意したが、彼らは反抗期の子供みたいに素直じゃなかった。しっかりした後輩も数人居たのだが、悪ぶっているやつや人によって態度を変えるやつは多かった。


 これからやめる僕には関係のないことだが、思い返してみればいろいろなことがあった。朝の集合時間にちょっと遅れて、学校に置き去りにされたこと。走っていくバスが見えただけに、本当に悔しかったな(その日は一度帰宅して、制服を着て普通に登校した)。雨の日は独特な練習をするのだが、やる気のない部員も多かった(総じて基礎体力が低い)。休日は雨降りでも、雨衣(あまぎぬ)を着込んで、自転車をこいで部活に出た。正直、朝起きるのは苦手なのだが、それだけは誇りだった。


 運動は健康のため、くらいな心掛けでやっていたから、大会で健闘できなくても別に良かった。ただ、顧問である彼には少しくらいいいところを見せたかった。講師である彼は、頻繁に授業をする立場ではなかったが、聞いた話によると勤続年数は長く、かつて若かった頃は教師として指導していたようだ(くそおやじがそんな話をしていた)。


 講師の部屋を出て、靴箱に移動して上履きから革靴に替える。僕は制服姿で駐輪場へ向かう。部活動のある時は、練習が終わるまで学校指定の体操服に着替えていた(体操服での下校は登校のない日を除き、原則許されていない。雨の日は可の時もあった)。


 もう、一年と十か月ほど自転車で学校と家の往復している。二年生の中頃までは、中学生の時に乗っていた自転車を使い回していたが、さすがにパンクすることが増えてきて、ギアの付いていない安物の自転車に買い替えた。後ろの荷台に、分厚い教科書が詰まった(日によって10kgは超える)鞄を積んでいたから、後輪ばかりパンクした。あと、ここに人を乗せるのは危険だからやめようね(そう言いつつ小学生の時にやってたけど)。


 登校中にパンクすることもしばしばあって、ただでさえ起きるのが苦手なのに、遅刻ばかりしていた。自転車を新しくしてからはそれも減ってきたが、ついに担任は僕を職員室に呼び出して、頻りに注意してくれた。本当に申し訳なく思っているが、朝は苦手なのだ……。パンクが多いこともあって、僕は自転車のチューブを修理する技術を身につけていた。中学の頃までは祖父が直してくれていたが、次第に自分で直すようになった。


 新しい自転車は一万円程度の安物ではあるが、乗り心地は快適だった。毎朝、ロードバイク(タイヤが非常に細く、レーサーが乗るような自転車。十万円以上するだろう)で登校している物好きな生徒も何名か居て、それに追い抜かされる度に鼻に付いたが、僕はのんきに走っていた。通学路には、道路の幅が狭い道があって混雑時に自動車にとって不便だったが、僕は一貫して歩道ではなく路側帯(縁石や舗装された歩道がないときの白線)の外側を走り続けた。


 四〇分くらいかけて帰宅する。夕方になると、親父が帰ってくる。数年前に大きな地震があったから、仕事が多いのだそうだ。リーマンショックと呼ばれる経済不況の際には、家に居る姿が目立った。それがきっかけでおふくろは蒸発したのだが、僕はこの家に居るほかなかった。上のきょうだいたちは、すでに高卒で就職し、自立していた。その二人に比べたら、僕は度々受けた国家試験でも合格できず、先の見通しが立ってない。わざわざ二人とは違う高校を選んだにも関わらず、少しだけ後悔している。


 朝、僕の自宅からほど近いその高校へ、幼馴染みが登校していく姿を度々見かける。彼女は人見知りをするのか、物静かで、それが反ってかわいらしくもあるが、小学校を卒業してから学校で話をしなくなった。中学生の僕は内気だったから、話す機会があっても話し掛けなかった。ちなみに、同じクラスになったことはない。


 僕の幼馴染みは、この家の裏の方にあるおうちに住んでいるその子の他にもう一人居た。保育園の頃から関わりがあって、小中学生の頃によく遊んでいた男子。小学校を卒業し、高校に進学する前からずっとクラスは一緒にならなくて、ちょっとした言い争いがきっかけで口を利かなくなってしまっていた。しかし、彼とは別々の学校になってからも、少しだが付き合いがある。それで彼の家に電話をすると、おにいさんかおとうさんが電話を取り、特におとうさんはテンションが高く、それを幼馴染みの彼に言うと、複雑そうな反応をしていた。


 僕には中学生くらいの時に、同じ教室や移動教室で、それぞれの場でよく話す生徒が居たのだが、幼馴染みの彼以上に気を許して話せる間柄は稀だった。クラスメイトで、部活動の一緒だった、他校出身の男の子とも、けんかをよくしたが互いに親睦を深め合っていた。いずれの友達も高校は違うところに行ってしまって関係は途切れた。部活が一緒だった彼の、父親は僕の通う高校で数学の教師をしていて、校内で時々会う(同じ名字だからすぐ分かった)。ちなみにその先生は、ご子息の話題になってもあまり褒めない。


 高校は、卒業した小中学校から遠く離れた学区にあるから、知っている生徒より知らない生徒の方が多かった。男女共学で、クラスメイトもいろいろな人が居る。僕は運動部だったからカースト(クラス内順位)は低くないはずだったが、別に地位が高いと実感したこともない。どちらかというと、空気みたいな存在として通っていた。そんな僕が授業中に発言すると、なぜか教室が盛り上がる。国語の音読では読み間違いをしない。芸術では音楽を選択していて元気に唄った。部活では特に声の大きい生徒で、練習時間が終わっても一人で黙々と練習していた。それらのうちのどれかがばかにされていたのかもしれない。


 現実の交遊関係より、僕はインターネットでやり取りしている人の方が圧倒的に多かった。「デュラララ!!」というライトノベル作品があって、ネットに過度な憧れがあったのだ。ケータイサイトで連絡先を交換したり、チャットでやり取りをしてメル友になったり、その経緯はなんであれ、ケータイの電話帳はハンドルネームで埋まっていた。高校一年くらいまでは精力的にたくさんの人とメールのやり取りをしていたが、メンヘラのような女性と文通する仲になってから、他の人とは連絡を取らなくなった。僕自身が、彼女に変な期待をしていた。相手の意向で、二人の関係が終わってから、僕はなんだか一層に寂しくなった。


 高校二年の終わりに差し掛かる今では、わずかな人とメールのやり取りは続いていたが、当初のような元気はなくて、文面もどこか素っ気なくなっていた。それでも、メールの着信音に設定していた「PSI-missing(川田まみの歌)」の着メロがなると、少しだけうれしかった。


 自宅では勉強よりも主にゲームばかりして過ごしているような生活が続いていたが、そうでないときはケータイで、ボーカロイド音楽の動画を見たりアニメに関するウィキの記事を読んだりしていた。気が向いた時は「魔法のiらんど」で自作小説を投稿することもある。構想と呼べるものか判らないが、紙の上に大体の物語を書き記して、それをケータイで詳しく打ち込むような感じ。僕は始め「iらんど」がiモード(ドコモのサービス)と関連していると早とちりして、このサイトを選んだのだが、次第にそれはどうでもよくなってきた(どうやら違うらしい)。


 僕のケータイには文字を編集する専用ソフトがないから、メールの作成機能を利用して小説の下書きをしていた。字数は、表示されているデータ容量から計算できる。「4000byte」となっていたら、大体二〇〇〇文字くらい。iらんどに投稿できる字数は、一ページで二〇〇〇字だから、そのくらいを目安に小説を書いていた。作る短編は一編六〇〇〇字から一〇〇〇〇字くらいの字数で、画面下のテンキーを左手の親指だけでポチポチ打ち込んでいた。慣れてくるとすごく速く打てるようになる。だが、指がすごく疲れる。脳よりも先に親指が疲れる。


 書いている作風は総じてカタストロフィで、幸せな終わり方をしない。僕はそういう作品を書くのが好きで、あとちょっとでうまくいきそうなのに、大切な人が突然居なくなるような描写をよく表していた。主役である男の子が苦しんで、呪って、全部をぶっ壊して終わる。一見して、ありふれた人間の幸せを描くのが嫌で仕方なかった。


 自宅では自分の部屋でケータイ小説の作成やゲームでぼんやりと過ごすことが多いが、アニメが好きだからテレビでよく朝(休日)・夕・晩・深夜と、放送されている作品は大体見ている。気に入った作品に関してはDVDも集めるが、学校の昼食を抜いても金欠ぎみだから、アルバイトを考えている。


 おふくろが居ないこともあり、僕は祖母によくご飯の面倒を見てもらっている。朝は大体レトルトカレーで、夜も大体レトルトカレー、たまに祖母が肉を焼いたり玉子を焼いたりしてくれる。彼女はよく「あおもの(野菜)も食べないとだめだよ」と言っているが、僕は納豆も専ら食べているので気にしていなかった。一時期は野菜ふりかけなるものを買って食べていたが、数日続くとさすがに飽きた。それに比べてレトルトカレーは種類が豊富だからいい。辛口だったり甘口だったり、他社製品だったりいつもの製品だったり。同じのが連続すると気分が良くない。ビーフシチューだとうれしくなる。


 僕がメシを食っている時間には、親父が帰ってくる。大型のトラックを転がす、運転手で、リビングや広い車内で、仕事先の住所を地図で確認している。独特な円い記録用紙(タコなんとか)みたいなものがあり、それを見ては何か事務仕事をしている時がある。家のローンについてぼやき、おふくろの悪口を言うから、僕は彼が嫌いだ。昔ほど暴力男ではなくなったにしても、ついこの前だっていろいろあったから、所詮くそおやじだ。以上。あのトラックには、地震のあったときに一応世話になった。ありがとう、いすずのトラック。


 僕が食事をしているのは祖父母の使っている離れで、祖父が建てた違法建築(?)みたいな小屋だ。台所兼食堂と風呂場だけがあり、祖父と祖母が集う。このところ、祖父が仕事を怠けるから、祖母はヒステリー(怒りっぽい)気味である。朝は早くから仕事場に出掛けるものの、そこで何もしていないことが多いと愚痴をこぼしていた。夜になると、祖父はあまり風呂に入らないのでそれについても文句を言っていた。彼は、母屋(おもや)の座敷で横になってテレビを見ている。家で朝と夕の新聞を取っているから、老眼鏡をかけてそれを読んでいるときもある。野球の中継を見ながら「こいつは打つぞ」とか「打てないな、あーあ」とか言って、時々僕の方を見るが、基本的には無口な男だ。


 夜が深まる頃に、祖母は離れの浴室で体を洗っているが、僕がふざけてその戸を開けるとびっくりしている。その反応がおもしろいから、時々やっていたのだが、さすがに飽きた。この前は、風呂場でじじいと二人でなにかやっているようだったが、興味ない。多分、体を洗ってあげていたのだと思う。祖母は服を着ていた。


 過去に、僕が離れでメシを食っているとき、ネコが頭で戸を開けて、入ってくるときがあった。この家には、僕が幼い頃からずっとネコが住み着いていて、その子孫が長いことここに居る。おふくろがネコにエサをやっていたが、居なくなってからは祖父母が代わりにやっている。ちなみに、エサはくそおやじが買ってくる。


 僕が高校に入学した頃からは、人馴れしているオスのトラネコが居て、よく食べ物を求めて現れた。ケータイでそのひげづらを至近距離で撮ったり、あごやわき腹をしつこくなでましたりして遊んでいたが、高校二年の冬に死んだ。なぜか、家から一キロ(メートル)くらい離れた道路に倒れていた。その前日辺りに、祖母が「家の近くで車が何かにぶつかるすごい音が聞こえた」と話していた。ネコは自分の死に目を隠そうとするらしいが、僕はそれを信じていない。どうせいつもみたいに近所を遊んでいたくらいにしか思わなかった。離れでは、そいつが死ぬ前から、他のネコが度々食べ物を荒らしていたから、いつしか鍵がつけられた。なお、道路で見つけた死体は、細心の注意を払って僕自らが祖父母が所有している敷地の隅に埋めた。損傷が少なかったから、袋に移すのは苦労しなかった。死んでいるのが判るくらいカチカチに固まっていて、しっぽの部分は多少折るようにして収納した。人間の年齢で言えば成人していたと思うが、体は引き締まっていて、僕にはすっかり馴染みのあるネコだった。雨風や往来の車で損壊する前に葬ってやれてよかった。


 それとは話は変わるが、僕はそれよりもずっと昔に動物を殺してしまったことが二度ほどある。最初は飛べなくなった小鳥で、二回目は生まれて間もない子猫だった。死ぬとは思わなかったが、なにかの手違いで死なせた。罪の意識は消えていないが、これを考え続けることに僕は反対だ。きっと大勢の人間に軽蔑されるだろうけど、僕は弁明する。わざとじゃない。死んでしまった。それがすべてだった。こんな僕をだれが裁けるというのか。罪の意識は消えない。


 家のネコたちは、一部の各々が血縁関係にあるみたいだが、所詮は野良猫であり、外部から侵入してくる見慣れないやつも時々居た。そういうやつが紛れ込んでエサを食いに来ているときがあったが、ネコたちの中でも強いやつがきょうだいたちと共に、部外者と戦っているみたいだ。祖母も加勢して「あの『き(ちく-)しょう』は追い出さないとだめだ」と話している。実際は強いやつが生き残るから、メスネコなんかも、好きでもないオスにいいようにされて、でかい腹をぶらさげて歩いているときがある。それまでは必死に抵抗していたみたいなのだが、ネコの世界も恐ろしい。妊娠したネコは気性が荒く、安易に近づいてはだめだ。


 くそおやじより祖父母と過ごす時間が長いが、僕は外から自宅に帰ってくると、すぐお風呂場でシャワーを浴びて着替えを済ませる。屋内で着る用の服があって、それを着る。幼少期からずっと服は親が選んで買ってきた物を適当に着ていたが、なんだかそれも嫌になってきた。服にこだわりはある。半そで半ズボンの私服は持たない。なぜか厚い生地のズボンが好きだ。防御力が高い。機能性と格好よさが重要だ。


 夜はコンビニやドラッグストアに行く日もあるが、シャワーの後はどこにも出掛けない。自宅は二階建ての一軒家で、建てられたばかりの頃は最新式と言われていたが、何年か経つとさすがに見劣りするようになってきた(おやじには絶対言うな)。おやじと僕の二人しか住んでいないが、かつて五人で暮らしていたことを考えると広い家だ。階段の壁には小さなシミがある。きれいに掃除したはずなのだが、もう茶色っぽくなっている。このシミは僕の鼻血だったもの。出ていったおふくろについて文句を言うおやじに、僕が「子供っぽい」と言ったら、彼が逆上して、掴み合いの末ぼこぼこにされた。体格と力では僕の方が強いのだが、じつの父親をなぐるかどうかで葛藤があった。その結果、僕は自分が間違っているということを認めさせられた上で、顔中あざだらけになって無様だった。これを「あおたん」というらしい。陸上部の顧問で、体育の先生が言ってた。唇も変な風に膨れ上がって、醜悪な顔面だった。学校に行くのもためらった。鏡でそれを確認しては「殺してやる」という気持ちがほんのちょっとだけ芽生えたが、その勇気すらなくて二階の自分の部屋に引っ込んだ。


 おやじは昔から家族に暴力を振るう男で、特に兄貴とおふくろはその恐ろしさを僕以上に知っているみたいだった。自分が生まれる前のことは口で語られる話以外で知りようがないが、その言葉でも彼の悪さが十分伝わってきた。最古の記憶では、親父が個人的に買ってきた刃渡り四〇センチはあるだろうナタを見せつけられて脅されたのを覚えている。結局のところ、ぶんなぐられるのがいいところなのだが(なにがいいところだ)。おふくろは我が子を傷つけられる瞬間に、聞いたこともないような甲高い「ううぅ」という声をしぼり出しながら「おとうさんに謝りなさい」と強く勧めた。いや、命令した。僕は自分がぼこぼこにされる他、兄貴がなぐられるところも見たし、姉貴がなぐられるところも見た。だけど、おふくろがやられているところは見たことがなかった。話ですら聞かなかった。


 居なくなった人に未練があるのは文通の件があるから僕にも少し判るけど、おふくろだけが悪いみたいに言われるのが許せなかった。夫婦のことはよくわからない。おふくろのことはまあまあ好きだった。一緒に居ると安心するし、夜中に変な音が聞こえて怖いって言ったら、一緒の部屋で寝させてくれた。おふくろがまだ小さかった僕に手をあげることもあったけど「殺したい」とまでは思わなかった。男の子として生まれた以上、母親への肩入れは少なからずある(マザコンじゃない)。だから、おやじに掴まれたとき、一度だけ明確な意志で掴み返した。「多分殺されるかもしれない」という恐怖から、なぐり返して戦うつもりにはなれなかった。結局、格好悪い。こんな家から今すぐにでも出ていきたかったけど、行く場所もお金もない。話し相手としてリビングで一緒に居た親父とはそれ以来、会話もしないようになった。


 僕は一刻も早くこの家を出たかった。