9,おんなのこ
9-1
十二月からおれの住んでいる戸建てタイプの物件に引っ越してきた木村は、驚くほど少ない荷物だけを伴って玄関の敷居をまたいだのだった。聞くところ、以前住んでいた場所で所有していたほとんどを捨てたという。着ている服もそんなに多彩というわけでなく、いつも大体同じ感じの服装をしていた。おれもそこまで物欲が旺盛な方ではないが、彼女は近頃の若者らしい煩悩や欲求よりは、他に大事にしているものがあるようで、それが判ったのは同居してからだ。
「ふつつかものではありますが。へへへ」
その名称が指し示す意味に反して木村は、よくやった。家事も洗濯も掃除も、十分に働いた。その見返りとして、おれが彼女の欲しい物を用立てるという流れである。それまで支払っていた家賃がなくなったせいか、木村は自分の時間が作れることに喜びを見いだしていた。専ら、読書をしたり音楽を聴いていたりと、おとなしく過ごしている。
おれはルームシェアについては、物品の盗難や同居人との不和が予想されるから否定的な見方ではあったが、彼女は決まり事をしっかり守るし、それでなくてもおれの思想に近しい物の見方のできる柔軟な人物なのだった。
彼女もまた、自分として生きていく過程で、「気付きつつある」のだ。どれだけ意地を張っても自分を貫き続けるには限界があると。おれが五年以上要して悟ったことを木村は数年で、ものにしようとしている。男女で、身体のみならず精神の成熟に差があるのは、第二次性徴から始まっている。やはり、精神面での強固さは一足早い女性の方に分があるようだ。
ふつつかものという言葉が皮肉に聞こえるくらい、木村は機微にさとい観察力の持ち主でもある。疑り深いおれでも一目置くくらいの仕事振りなので、普通に交際相手に寄せるような信頼をしてしまいそうになった。
「ユタカさんは、ぼくをどの程度、信用していますか」
人を信じるのに理由は要らない。しかし、その大半が裏切られる。連帯保証人や借金などの金銭問題で、どれだけの手のひら返しがあるか分からない。義理よりも物欲を愛する人間は、裏切っても平気な面で舌を出している。
それでも人はだれかに頼る時、否応なく信じているものだ。バスや電車の運転手に身を預けることもあれば、医者に命を預けることもある。人間を一人一人疑っていたら、きっとほとんどの生活が成り立たなくなる。
この場合、問題は頼ることでどういう関係性が築かれているかに注目する。運転手も医者も、自分自身の仕事の一環として、その役目を果たす。根幹が自分を生かすためであるから、裏切りは自滅を招く。
おれが裏切ったとしても、彼女が裏切ることは決してない。なぜなら、おれを裏切ると彼女は生活が困難になり、自滅するから。じつは他の支援者が居ました、となったら話は別だが、まだそうした動きはない。
「信用はしていない。だが、頼りにはしている。いつもありがとう」
9-2
「そうですよねー。信用してるなんて言われたら、幻滅してました。ぼくに変な期待をしているようでは、あなたという人がそこらの人と同類なのだと認めなければなりませんから」
木村はおれを揺さぶるような質問をしては、期待通り(?)の返答を受けて毎回同じような文句を重ねるのだった。今さら女をどうこうしようなんて、おれにはとても思い付かない事なので、いくらルームシェアの最中に劇的な展開を夢見ようとも無意味だ。
先が見通せてしまう。
おれには経済力がない。それを気持ちで乗り越えることなどできはしない。女は男に安定を望み、確実な将来を約束してもらいたくて一緒になる。その際に、貧困にあっては恋心もたちまち冷めていく。彼女たちはどんな熱心な気持ちよりも、長年続く豊かな暮らしが欲しいのである。そして、おれにはそれを実現できそうにないから、女を継続して満たしてやることは不可能だと行き着く。じつのところ、こんな不確実で貧しい男では女と一生縁がないのだ。自我ばかり持て余して、社会貢献に遅れを取る不甲斐ない大人になってしまった。
一方の木村は、そういうおれを蔑むでもなく公正公平な目で観察しているようだ。先程のように、いつでも、おれに妙な兆候がないか牽制してくる。彼女の方も、男性をどうにかしたがる若い女子特有の、下卑た視線を送ってくるでもなく、おれの前では気取った態度を崩さない。すなわち、一線を引いて、隙のない態度を保っている。
木村が家事を行うのは、この家を借りているおれに対する義理立ての他に、もう一つ理由があった。
「ああ、今日買い物に行ったら、あれ、買ってきてくださいね」
買い物は必ずおれが行くように心掛けていた。彼女はカラオケのアルバイト以外での外出はせず、模範的な自粛を実現し、感染予防に余念がない。自分は外に出ない代わりに、家事をしておいてくれるということなのだ。冬の寒さも関係していそうだが……。
マスクに次いで、「あれ」こと生理用品まで買いに行かされる(いつも同じ商品のやつ)。頼まれている身なので、それが男性とは無縁の代物だとしても気にはならない。
彼女のために避妊具を買う彼氏より余程マシである。
おれは避妊具の類いは「性欲に打ち勝てない弱さ」と「娯楽と化した性交渉」を肯定しているようで気に入らない。それに頼るくらいならば、始めから行わない。興ざめもいいところだ。覚悟のない、遊びとしての性交は低俗な異性交遊であり、そんな男女ならばきっと関わる価値すらない。無駄な時間である。恥の上塗りに他人を巻き込むくらいなら、自慰行為で十分だ。
9-3
家に年下の女性が居ても、おれは自慰行為をする。おれが彼女の部屋に入らないのと同様に、木村の方もおれの部屋には絶対に入ってこないので、布団の上でズボンを下ろしていても、全裸で居ても安心である。
男性には女性の排卵がないので、必ずしも「それ」を行わなくても不便はない。他の男性はどうか知らないが、おれは長期間行わないでいると夢精してしまうので、頃合いを考えて、その気がなくても定期的に抜くようにしている。その原因としては、過去の彼女との行為が関係していて、深層心理でそれをずっと忘れられずにいるのだろう。もう二度と味わわない行為なだけに、記憶の中に執念深く留まり続けるようだ。呪いとも言い換えられるだろう。
彼女と話す時は、台所がある居間で顔を合わせたときである。そこには机やイスの類いは用意されていないが、フローリングの上に座布団や敷物、折りコンなどが置かれている。泥棒が入った時のために、高価な家具類は持たない。もっとも、いくらコロナ禍といわれる混沌の時代といえども、そんな大きなものを盗む輩は居ないだろうが、家に火をつけられたとしても被害は最小限になるように、価値のある物は極力持たないようにしている。
木村もまた、物を多く持ちたがる方でないので、何かを欲しがること自体が少ない。買い物をする際に頼まれるのは前述の生理用品に始まり食料や身の回りの消耗品くらいである。おれの所持品で事足りるのであれば、共有しているのでとことん節約している。
お互いに貧困というものをよく理解しているのが判る。一方が旨味だけをすする寄生ではなく、与える側と受け取る側が相応の対価を交換して、共生の関係が成り立っている。
おれの、女性の苦手な部分としては、最初に愛想を振り撒いておいて、欲望をさらけ出した時に、化けの皮を剥がして強い態度で出てくる変貌の様である。金を与えれば女との性交を買えるというのは、在りし日のおれは知っていた。そこで出会った女は金銭欲こそあれども、およそ愛想というものがなかった。性交渉もなかった。もう二度と、ああいう女とは関わりたくない。仏頂面で万札を持ち去ったあいつは女じゃない。欲望の化け物だ。おれは失った時間と紙幣の代わりに学んだ。女は、男が抱く安易な幻想を超越した現実に生きている。私欲のためなら化け物にもなる。男にはない武器で、生きる術を持っている。男性に守られずとも自分でどうにかする野心がある。
おれの女嫌いは一時期、臨界点を突破して、異性が視界に入るだけで吐き気がした。その実、刹那的な性欲ばかり持て余すから自己矛盾に苦しんだ。
9-4
木村にもそうした化け物じみた醜さはあるのだと思う。彼女が自白した学生時代での行いには、例の化け物に出くわす前に、おれから金をだまし取ろうとした女と通じるものがある。男が女を必要以上に美化するきっかけともいえる愚かな性欲を逆手に取って、利用する。
おれは失恋した事もそうだが、自らの性欲によって、女性の恐ろしさを知ってしまった。性依存症の女が妊娠させられたことを機に、どうにか折り合いを着けるのとなんだか似ている気がする。おれ自身は当然、妊娠などしようもないけれど、嫌というくらいに汚れた自信がある。回数自体は多くないが、一回、一回の出来事がおれをおびただしく叩きのめした。
やがて年を取り、世間に長く触れていると、おれも女性の良さを肯定できる状態には立ち戻った。年齢を問わず、懸命に生きている人は居るし、そういう女性は美しい精神を宿している。
そんな分からず屋のおれにも人並みに「愛されたい」という感情はある。
自慰行為は長くなると、一時間を超える。性を愛しく感じつつも、それが無意味だとも判っているから事後の虚しさは言うまでもなく悲惨だ。だが、忘れられない。一度、女の神秘を知ってしまったら、だれだって依存してしまうだろう。
その呪いを乗り越えるには、長い歳月と特別な出来事が不可欠だ。
おれは自己の否定を何度も繰り返したし、今さらだれかに愛されるなんて非現実的だと理解している。知的生命であるはずの人間でも動物的な本能によって性犯罪は起こるし、それに没頭する悪循環も起こる。男として生まれた事の代償として、女の敵としての側面がそこにはある。
思索は尽くした。もうすでにおれは女をどうにかできる人間としての資格を喪失している現状を知ったがゆえ、得られる快楽全てが失効された。性的指向を議論している人たちを若干、羨ましいとすら思えるくらいに、おれはすべてから拒絶された。書いた小説が評価されないのも、面接で採用ももらえないことも、そのすべてがおれの魅力のなさを表している。
おれが知る限り、おれの存在は人に欲されたことも求められたこともない。男性としてのおれを求めた人は居たかもしれないが、おれそのものを求めた人は居ない。それすなわち、性的指向を超越した愛の形である。LGBT何とかと分類したがる近頃では、無性愛と呼ばれるのだろうが、そういうのともなんだか違う。いくら無関心を気取っても、動物的な性欲ならある。その上で、おれには性欲を無価値と見る向きがある。
9-5
一方で、家に居る時の木村は暗色のパジャマを着ており、首もとはほどほどに開いているが、手足の露出はなく女子特有の扇情的な要素は努めて排除されている。おれが女子の外見で個人的に動揺してしまうとしたら、以前に関わりのあった彼女を思い出させる共通点である。幸いにも、木村はおれの記憶にある少女と似ている箇所が少ないので、おれの理性を陥落させる潜在能力には恵まれていない。
それでもあの少女と木村の共通点をあえて挙げるとするならば、まず、若い女の子が憧れるような、削ぎ落とされたやせ形ではない体格をしていること。丸々とぷよぷよした体格でもないけれど、モデルのような鋭利な輪郭ではなく、薬物や無理な環境にさらされない女子の、自然な肉付きをしている。だが、そんなもの共通点というにはありふれた特徴だ。大体の女子は木村みたいな体格をしている。
おれが断固として性欲を他者に向けないからか、木村は居間に姿を見せている時、(スマホを開いていてもさえ)読書をしている事がほとんどではあるが、何もしないでぼんやり長座布団の上で毛布にくるまっている場合もある。多くはおれが何か話題を持っていたら、話し掛ける状況だ。
彼女はおれの饒舌な話を聞いては、どういう事をどういうふうな見方をしているのか、聞いた内容を丁寧に整理しながら応じてくれる。読書をしない人間にはない構成力が見て取れるため、読むだけでなく書くのもできるかもしれない。
おれの達観した考えを全面的に受け止める木村自身は、快楽主義な面が目立つため、自分自身が害されなければ、地球上でどんなに非道な行いが繰り返されているとしても気にしないようだ。もっとも、それに心を痛めることが自分にとって害でしかないのだから、当然といえば当然の捉え方である。
実際、自分に関係のない人間が余命を宣告されたとして……、または自殺を決心したとしても……、一向に木村の人生には関係ないので、喜びも悲しみもないはずだ。ここで中途半端に同情するような人の方が、面倒な性質を帯びている自覚を持ったらいい。残念ながら多くの人間は第三者の幸福や不幸でさえも、人並みに倫理観を持ち出して喜んだり悲しんだりするのが普遍的な性質だから面倒だ。関係ない人の不幸にわざわざ心を痛める必要はない。その傲りや余裕が、自分が幸福である証だと当人たちは気付いていない。
おれにとって、この時の木村は「おんなのこ」というより「親しみやすい人」だった。かつて居た、同期で同性の親友と感じが似ているけれど、やつほど怒りっぽいことはなかった。それとも、おれが人を思いやれるようになっただけかもしれない。
10,えすえぬえす
10-1
十二月から始まった同居は二人の関係に溝を作るでもなく二〇二一年を迎えた一月、二月と過ごしてこれた。寒い夜は互いに部屋に引っ込みがちになってしまったが、日が出ている活動時間は布団から起きて居間で過ごすように努めた。
それはおれ自身が向上心を忘れていないからだ。ここ数年間で、おれは着実に以前の自分より成長している。特に、時間の使い方に気を遣えるようになった。二十代前半の頃は、電子ゲームをしたり動画サイトを観たりして過ごすのが生活の中心的行動を占めていた。ゲームをやったり動画を観たりしていても、ちゃんと仕事をしてさえいれば、立派な社会人と呼べる。
しかし、おれは自分にそんな能天気を許さなかった。ゲームをいくらやってもプログラム上のデータが蓄積されていくだけ。動画をいくらたくさん観てもやがては飽きが来る。その一方で、知らなかった事を学び、訪れたことのない場所に足を運び多くを見ることにこそ人生の深みがあるのだと考えを導きつつある。
その一環として、二〇二一年からは月毎に目標を立てて、少しずつでも自己研鑽を執り行っていこうという気になった。だれが何かを言うでもなく、おれは自分が目指すべき姿をおぼろげに思い浮かべて、それに近付けようとする努力は続けていた。目的の邪魔になると判れば、ゲームも動画サイトも切り捨てるのは容易だった。そうした過去の娯楽が恋しくなることもあるが、もうすでにそれに興じる段階を越えてしまったのだから、ことさらにそこへ引き返すこともない。前に進み続けなければならない。
近況を報告する手段として、Twitter(※1)というSNS(※2)を利用している。おれがそれを使い始めたのは二〇一七年の二月からだ。利用したら何かを投稿できて、使い始める前より便利になるかと考えていたが、そうでもなかった。まず言えるのは、利用している人には頭の回転が鈍い・視野が狭い・好戦的な人が多いこと。そんな人たちが割合多くを占めているから、現実に肩書きや名誉を持たない人間同士の小競り合いが頻発する。そして、フォロー(※3)という概念がSNSでの地位を決定せしめている。
※1 アメリカのカリフォルニア州のサンフランシスコに本社を置くTwitter,inc.が提供するSNSの名称。
※2 登録した利用者同士が交流できるwebページ上の会員制サイトのこと。
※3 特定の会員の投稿や動きを「追う」ことをフォローといい、特定の利用者をフォローしサイト内での動きを追いかけるその人のことをフォロワーという。この数が多いのは芸能人や実業家、音楽家など。医者や弁護士、漫画家、各分野に詳しい知識人なども挙げられる。
10-2
小説投稿サイトで使っている名前「リスカ塔」でSNSを利用しているおれは、それをまるで使いこなせていなかった。まず、投稿する内容に一貫性がないから、Twitter会員たるリスカ塔の発信する投稿内容はだれが閲覧するための情報なのかが定かではない。
おれは自分の考えをとにかく発言すればいいものだと思っている。
「ユタカさんの考えはあまり浸透しにくいようです」
おれの小説を愛読している木村は、おれのTwitterアカウントにも目を通すほどだった。嫌がらせのように「いいね(※1)」をつけては、おれの投稿した本文を逆から綴った迷惑なリプライ(※2)を送りつけてくる。ちなみに、木村のTwitterアカウントは「重里ちん」という名前である。
※1 その投稿内容に反応したことを示すハートマーク。肯定的な場合に押されるボタンである。海外ではlikeボタンと呼ばれる。
※2 他の利用者の投稿に返事を送る機能。ここで大体ケンカを売られる。上級者になると、このリプライではなく投稿を「引用」して、部外者の立ち位置を維持しつつ密かにケンカを売ってくる。
「おれみたいな、有名じゃないクズ人間が何を言っても程度が知れている。やめようにも、この@risukatouが気に入っているからやめにくいし」
ゲームや動画サイトと同様に、SNSは存在感の希薄なおれにとって不要なものだ。もしも、これをやめるとするなら「リスカ塔」という二〇一一年から続いてきたidentityを捨てる事が必須だった。それに伴って、改名だとか設定の変更だとか余計な手間が増える。
この名前にこだわり続ける理由はないから、いっそ本名の井上裕にしてもいいのだが、それはそれで個性がなくてつまらない。キラキラネームが良いわけではないが、日本人の名前は重複することがまれに起こる。というか、外国人の名前ですら頻繁に重複することから、人間の名前なんて個体を識別するには頼りなく、紛らわしい。
もしも、おれが行っているなんらかの活動が何かの間違いで成功してしまい、転機を迎えたら、ゆくゆくは改名しようと思う。
「じゃあ、ぼくがもらってあげますよ。ユタカさんの@risukatou」
譲られたところで、どうせSNSを活用する理由がないのは木村も同じだろうに。
あと、おれのことを名前で呼ぶのは、かつての家族を除けばこの女くらいなものか。それもどうせ井上より裕の方が文字数が少ないから、なんて理由なんだろうな。
10-3
おれは自分のTwitterアカウントを来る日まで非公開にし、パスワードも変更した上で、手をつけないようにしようと考えている。やはり、まだ他人を動かすだけの力が足りていない。それが備わってからでもアカウントの再開は遅くはなかろう。本当に稀だが、おれの発言にいいねをしてくれる人も居るから、名残惜しくはある。
カスタムキャストというアプリで作成した3Dモデルのキャラクターを画像として出力してTwitterで投稿もしていた。毎月、自分の近影を会員アイコンにしていた。それら全てを打ち切って、外界から見たら音信不通の、故人のアカウントと同等の状態にさせるのはどうか。
「SNSなんかやめた方がいいって考える人もいますよね。今のぼくたちなら、別にアカウントがなくても困らないですし」
きっと大半の人はそうだ。SNSをやっても時間だけを無為にして、人間としての代わり映えがしない心地だ。社会的地位を有していない、どこのだれとも知らない人がサービスの中でだけ強い人間を気取っているなんて珍しくない。相手の力量も解らないのに、安易に攻撃したり言う必要のない暴言に徹したり、SNSは人の醜さをあぶり出す効用すらある。電脳世界の外では、自己肯定感の低い、まともに相手と目も合わせられないような輩が、こういうSNSでは元気に、飽きもせず暴れてくれるわけだ。現実世界で同じことをしたら、殴り合いは必至だ。いい大人なのだから、いい加減にしてもらいたい。
情報を収集するためだけの利用と割り切る方が賢い使い方かもしれない。とにかく発言したい自意識過剰なおれの場合、追い掛けたい情報がないので、そういう退屈な使い方はしようとも思わなかった。それならSNSでなくても、その分野について情報を発信しているサイトをブックマークしておけばいい。目まぐるしく情報がやり取りされるSNSに目を回さなくても、一日一回そのブックマークを確認すれば用は足りる。
「やめた方が有害な人間に絡まれることもなくて済むだろうな。どうせ、おれが何を言っても、だれかがフォローしてくれるわけではないし。動機付けが保たれない」
「リプライに律儀に反応してあげるユタカさんは、ブロックしない人なんですね。フォローするかどうかは、その人がどんなことをしている人なのかとか、どういう地位に居るとか、そういうところからよく見られます。その点、有名人にとっては有意義なものですね。SNSは」
「こちらがブロックしている事実を相手に伝わるのが嫌なんだ。無名な人は細々と自分の強みを発揮して、少しずつフォロワーを稼いでいくんだろうよ。今のおれにはそんな強みがないな」
10-4
「普通はそうですよ。SNSを利用する人の全員が有益な人物とは限りませんもの。私欲だけのために、他人を見下したり害を与えたり、そんな利用者も居るでしょう。そういう害悪と比べたら、自分の素直な意見を掲示しておくだけの人は善良な利用者です」
強みがないことを理由に、登録した自分のページを更新しないまま過ごしていたら、今度は@risukatouの存在意義が怪しくなってくる。だから何かしら動きを見せてTwitterを使っている感じを出しておかないと、本当に故人として扱われかねない。そういうわけで、おれは自分で何かの話題について持論を述べる。
その際にだれかを傷付けていたり対立してしまったりすることに負い目がある。リプライを送るような、「相手の顔をこちらに向かせて言いたいことを言う(example: "You guys, let me talk! You all should hear to my speech and should debate, only for my satisfaction. DON'T ESCAPE ! You are ****, ****, **** ***. BOW! WOW!")」のはおれの流儀ではない(かといって、引用ツイートのような姑息をしたところで、個々の投稿を指定して引用しているためリプライとそんなに変わりがない)。
おれの投稿は、だれかに向けた明確な意図があれども、見たい人だけが見ればいいし、見なければ風化して消えていくだけの言葉に過ぎない。そのため、特定の話題のリンクをTwitterで共有するときでも、自動で出力されたアットマークは削除するし、独り言の体裁を取っている。
他方、話題を検索したときに出現したおれを敬遠して、投稿を表示しないようにしている(※)利用者が居るのは想像に難くない。そうした被害妄想をしている辺り、おれはおれのことをどこかで「価値のある人間」だと見なしている。だが、現実はそれほど色鮮やかなわけがなく、質素で色味のない、渇ききった大地の様相を呈しているのが真実なのだった。
※ ミュートという機能である。ブロックしていないけれど、自分もしくは相手から直接的な呼び掛けをしたりされたりしない限りは関わらなくて済む。こちらから相手の投稿が見えていない状態なので、相手は見ようと思えば見れる。
「善悪なんて関係ない。Twitterの利用者たちが見ているのは投稿の意図ではなく、その人物の社会的地位であり、他者を黙らせるほどの力であり、非凡な特技である。だから、おれみたいな小さい点が何をしゃべっても、有名人がつぶやいた何気ない『ありがとー』にすら勝たない。人の価値が、居るかどうか定かではない会員によるフォローで数値化されているSNSでは、おれという存在は限りなく矮小だ。砂漠を形作っている砂粒の一つだ」
「それが事実でも、この先のユタカさんは砂粒よりもっと大きなものになると思いますよ。ぼくは」
SNSは先に来ない。やがて、おれが社会に認められた時に、ようやくSNSが後からついてくる。どれだけフォロワーを増やそうとしこしこ努力したところで、本物には遠く及ばない。真贋が混じっているからこそ、Twitterで重要視されるのは小手先の支持者たちなどではなく、だれがどう見ても認めざるを得ない圧倒的な存在感であり、それを裏付ける要素なのである。
おれがそれを手にした時にはTwitterなんかやっているはずがないと、根拠のない期待を寄せてくる木村の微笑の真意を疑いながら、なんとなく思った。
11,りそうのじぶん
11-1
自分の短所を挙げ出したら、きりがない。日頃、自分に自信がないくせに見下されると怒りを覚え、向けられた敵意を見過ごせない。大した素質を持っていないのに、持っていると勘違いして、いまだに何かを成功させられると夢を見ている。
おれの人生は生まれてからずっと、失敗を約束されていた。田舎の片隅で生まれたのもそうだし、勉学や知識を深く重んじていない家庭で育ったし、大人になってみたらまるで役立たずだし。人生で関わる相手のほとんどは、おれに負けず劣らずの手合いであり、自分と同程度の人間から学ぶことはないので視界から消えてくれと、いつも苛立っている。
生まれた場所と育った環境に沿って、なるようになったやつらはそのままでいい。自分で自分を変えようとしなければ、きっかけは訪れない。むしろ、変わる必要にすら思い至らないだろう。それまでのやり方を変え、常に成長を目指すなんて疲れるだけだ。何も考えず、漠然と時間を過ごしているのが彼らには似合っている。おれもその者たちと同類であるから、本来なら変化を望まずに、ゲームなりインターネットなり眺めて、身の程を弁えた人間を全うすべきなのだ。
しかし、ここにきて、おれは最期まで向上心を捨て切れずに二十代も折り返している。それは親が不仲だったからでも、恋人に捨てられたからでも、社会の荒波に揉まれたからでもない。幼少の頃から夢に見ていた、「主役」になりたいという純粋な気持ちからだった。
俳優として何かの作品の主役になるとか、歌手として大きなドームでライブを行うとか、そういうのではない。おれがおれを肯定できる、理想の境地に立って、この世界を見つめ、生きていくことである。この自意識のために、他人から嫌われる宿命を背負うけれど、どこかで嫌われることを恐れている弱い自分が居る。
おれはマイノリティだ。だれがなんと言おうと、おれはおれだ。どんなグループにも属していないし、おれは人数としてのおれにいつも疑問を抱いていた。だが、集団社会はおれがおれであることを否定し、人数に含まれた一人であることを強要する。
じつは、トランスジェンダーも外国人も、シスジェンダーも同胞も、おれにとってはどうでもいい。おれ以外の人間はおれ足り得ないし、おれであることを許されるのは、地球上にこのおれだけだからだ。どの銀河系にもおれの代役は居ないし、居たとしたらそいつには死んでもらう。おれは一人だけで十分だ。
性別や人種なんて価値観にすがれる分、彼らはとても幸福だ。
11-2
同性愛や両性愛だとかいう概念を肯定することこそ、恋人を一人の人間としてではなく、性別の塊として見ているようなもので、好きになるのに、この性別がいいと注意深く表明する行為がおぞましい。人間の性器は雌雄が一対となって重なり合うように作られているし、そうなっているのには合理的な意味がある。それを決めたのはおれじゃないし、そいつらでもない。なら、この体は、おれやその人たちがどういった性的指向・性自認を持つかには、始めから無関心だ。主導権を精神が握るか体が握るかで考えたら、性別はいつだって体、すなわち性染色体が決定せしめている。それに勝つも負けるもない。
人種は、国家の団結を保つために、現住民族と移民の間には揺るがぬ上下関係があって然るべきだ。政治は移民の血族や混血には任せない方がいい。また、使う言語も国によって公用語があり、この日本では、英語は学べども中国語やアラビア語、ヒンドゥー語などはほとんど使われない(世界では、それらの言語が日本語よりも多く使われている)。この国では日本語さえできれば、生活に困らない。外国人との交流には外国語の知識が必須になるが、日本人は無自覚にそれを軽視している。日本を出ず、日頃日本語だけを操っている国民たちは、おそらく死ぬまでニーハオもナマステも、アッサラーム・アライクムも必要とせずに生きていける。それが日本という少数民族の国家の特色であり、否定できない画一性である。
性的少数者も混血の子も、おれのおれにとっては大した問題じゃない。おれじゃない一人一人の人間がそこに生きているだけ。そうやって、数が少なくても他人は集団を形成して自己の存在意義を確かめようとする。そのくくりがたまたま性別だったり人種だったりするだけなのだ。そして、その結束は思いのほか根強い。
おれは生きていく上で、自分の性別に葛藤したことはないし、外国人を恋人にしたいと考えたこともない。先にも述べたが、緑の多い田舎で生まれ、馬鹿な家庭で育てられた、ありふれた人間である。それすなわち、あらゆる特別な価値観をも違和感に捉える、「自然体」を身に備えているのである。男として生まれた者は女を愛すべきだとか、同じ民族(もっと言えば同じ都道府県、同じ市町村)の者同士で結婚すべきだとか。そういう普遍的でおもしろくないけれど、最も難がない世間一般的な考えさえあれば、この地球に住まう人類としては十分である。
ときに、おれが差別的な思想を認めざるを得ないのは、おれ自身が異性愛者の一員であり、日本のいち国民として生きている立場ゆえだ。そうした自分の属する集団にとって、どういう思想が利益を生み出すのかを考えた時、多数が少数に合わせる考え方は排除する傾向にある。日本国民としてのおれの見地では、男女の社会的な役割(gender)が曖昧になることと、外国人が増えることは好ましくない。だから、同性愛やトランスジェンダーの存在を肯定しないし、外国人との婚姻ではなく同じ言語を操る国民同士(広く言えば、モンゴロイド同士)で子孫を為すべきと考える。
すべては自分の属する集団のために(属さない集団と敵対してでも)。
11-3
「以上が、人間を捉えた、おれの思想の全容である」
居間で退屈そうにしていた木村を相手に、当事者たちが暴動を起こすきっかけには十分すぎる差別的言動を滑らせて、ひとまずの下準備は整った。おれの行動方針は基本的に、集団と個人の間で揺れ動く振り子のようだが、自分を生かしてくれる社会への貢献に躍起なのだった。
本題は更にその先にある。
「ユタカさんは正直なんですね。女が女とキスしているのを見たら、さすがに普通の出来事だとは思いませんよ。ぼくは、男だったものが女にすげ変わっただけで何がそんなに違うのか、と懐疑的になります。……同性が嫌いなので言うまでもなくその気はありません」
正直なのは、このおれ自身ではなく、おれの父親が有していた愚直なまでにひたむきな遺伝的性質が、だろう。しかし、夜更けの怠惰な眼差しを瞬かせる女は静かに、そしてじっとおれの眉間を射て、確信を送り続けていたので反論は避けた。どう言い繕っても、おれは差別的なことを、集団の幸福追求のために肯定している。
集団の都合を考えないのであれば、性の対象は獣だろうと無機物だろうとなんだっていいと、おれのおれは思っている(厳密には、肯定ではなく放任である)。女が男性みたいな髪型をしていても、男が女みたいな髪型をしていても、染色体が施した差異を見抜いて気付くけれど、気付いた上で自然な態度で接する自信はある。この人は、こういう個性をしている一人なのだと認めよう(飽くまで放任なのであり、同意ではない)。
混血の人も然り。人種は地域や文化、歴史の積み重なりによって別れた派閥みたいなものだから、使う言語や生活様式は違えど、ヒトの男女は異なる人種同士でも子供を作れる。純血にこだわらずとも、それぞれの民族から相性のよい者同士で遺伝子を結集して子孫を残していけば、人種に囚われていた時代よりも優秀な人間が増える。運動が得意な民族、学問に優れた民族、寒暖における環境への適応力が高い民族、その他の能力に秀でた民族。混血は進化の可能性を秘めている反面、既存の(旧世代の)民族との確執を背負う。おれは混血へのrespectに至る思想を獲得しているし、彼らこそが次世代の人類だと見ている。
「おれには、社会に属している『集団のおれ』と自分だけの考えに基づく『おれのおれ』の二通りがいる。たとえば、仕事をせずに引きこもっている人間が居たとする。前者のおれなら、そいつを『社会貢献をしないクズ』と吐き捨てるだろう。後者のおれなら、『事情を抱えた欠陥持ち』といくらか評価が変わる」
「なんかオレオレ詐欺みたい。そういう『集団の』あなたのことを心理学ではペルソナっていいますよね」
11-4
心理学は積み重ねだから、驚くくらいに実用的だったりもする。ユング心理学では、社会に求められる役割としての自分すなわちペルソナに対して、シャドウすなわちおれが独自に「おれのおれ」と定義している領域の自分である。
「ペルソナには対となるシャドウがある、と言いたいのか。そう簡単に解説できたら、おれはおれらしく居られるだろうが」
「おそらくですけど、ユタカさんのペルソナは自分と異なる立場の少数者を嫌悪しているのだと思います」
「嫌悪、だと?」
「ええ。他人のシャドウを目の当たりにした時、あなたもそれと同等かそれ以上のシャドウを有しているから、『あいつらばかり目立っていておもしろくない』という心境になるのではないでしょうか」
ないとは言い切れない。自分らしさを主張している人たちを見ていると、おれの目はどこか冷めきっている。「そんな活動、社会にとって何の価値もない」「周りに促すより、あんたが周りに合わせればいい」「無駄なことを偉そうに」と、厳しい声が胸中で鳴り響いている。
少数の人間はいつだって、多数にとって目障りなのである。人と人が協力して生きるには自分が周りに合わせれば事は容易く済み、衝突を繰り返してでも自分らしくある必要なんかない。実際、たった一人だけで生きられる人間が居ないように、二人以上の人間が相互に作用しあって生きている。これに伴って、あるべき姿が形成されていく。人間社会に向けた人物像、personaとして。
性や人種の平等では、個々人の精神を尊ぶことを主眼に置いているものの、その精神が「全体に及ぼす実害」については言及されない。あるのは「尊重しましょう」とか「差別は許さない」とか、その程度の努力義務だ。ゆくゆくは、それが法的な拘束力へと発展し、個人主義は全体主義を飲み込み、一歩ずつ歩み寄ってくる。
非効率的で協調性度外視の自己表現がばっこするchaosの幕開け。(心身や性別、思想に対する)違和感を否応なく受け入れなくてはならないという苦痛の客体を、自分自身から他人に移す、大いなる迷惑の方針。それを賛美してdiversityを実現したとて、雑多な集団が幾重にも枝分かれしていき、増えた分だけ軋轢や不和の機会も増す。そのうち、力を付けた新勢力を筆頭に、戦争が起きるだろう。
おれはおれ自身として生きるために職を失い、集団社会から欠陥付きとお墨付きをいただいた。近頃も、職場ではシャドウが顔をのぞかせては、社会性を重視する(業務用の)おれが現れては自我を抑制し、もう何が「おれのおれ」なのか解らなくなりかけている。
理想の自分。この世界の主役であると肯定できる自分は、だれの心の中にも存在していて、一人一人がそれを上手に出し入れするから人間社会は成り立つ。おれはそれに気付き始めている。
他人の迷惑を考えようとしない人間がとにかく嫌いだ。
12,とくべつ
12-1
「あー、バイト行きたくないですー。ユタカさん、たすけてー」
季節の変わり目になってきて、彼女のバイト先は繁盛しているのだという。おれ自身もそこを利用していて、年末年始に次ぐくらい、客足がついた印象だ。インターネットでは、経営難に直面しているお店を扱った記事を多く見掛けるものの、都市部と違い、地方の多くの企業は仕事こそ失わずに営業しているのだから気楽なものだ。
出勤前の木村はいつも、こうしてだれているのだが、休まずにちゃんと出掛ける。おれの仕事は夜からなので、彼女が行った後に寝るような具合だ。二人が家で居合わせることは、午前中の時間が主であり、おれが休みの日は夜にもある。
「社会貢献しない人をここに置いておく理由もないぞ」
木村は家賃を払う義務を負わないが、この平屋を借りている張本人に少しばかり仕送りを入れる。彼女なりに筋を通そうとした結果、毎月の一万二千円がおれの懐に入るのだ。二人で暮らせば、ここの家賃はそこまで高い方ではないから利害関係は成り立っているといえる。家族ではなくとも、協力し合ってどうにか生活できている。
少しなら贅沢も許される。もっとも、おれにそこまで欲しいものはない。あるとすれば、普段着として和服が欲しい。日本人らしさや文学的な雰囲気を、外見から演出してみたい気がする。若い子が頭の色を変えるのと、気分的には似たようなもの。ウィルスの騒ぎがなければ都内の呉服屋を当たれるはずだったのに、いつになることやら。
「わかってますよ。ぼくが居ないとお店の人が困りますからね。陰口を言われる隙を与えることにもなりますし。仕方ないから、行ってやるんです。こんなに働き者なぼく、偉いでしょう?」
随分と屈折した責任感もあったものだ。だれだって、嫌いなやつの一人や二人居るもので、おれだって職場では陰口を叩かれているはずだ。勤務先の人間関係は割り切って、相手をどうこうしようなんて考えない。自分の職場を失わないためには、敵を排除するより、衝突しないように努め、働きやすさを損ねず保つことに集中すること。
「ああ。きみは偉い。文句を言わずに仕事をしている人の次に偉い。さあ、行ってこい」
「はーい。社会貢献してきます」
小娘一人置いておくくらい、働き盛りのおれにとってわけはない。だが、彼女はおれに養ってもらうつもりはないようだ。男女の関係が行きすぎると、きっとどこかで破綻する。おれも木村もそれをよく理解している。女にだまされるほど落ちぶれていない。男にほだされるほど恥知らずではない。
敵でも味方でもない、そんな関係だからおれは木村に余計な期待はしない。裏切られたらそれまでだし、馴れ馴れしくされても代わりならよそを探せとなる。
12-2
人間、気分がいい時ばかりではない。それどころか、常に嫌な気持ちをしながら生きている者も居るだろう。おれもそういう時期はあり、その理由は身の回りの環境から引き起こされた不快感だった。どこへ行っても敵しかおらず、だれもおれの味方をしない。物分かりの悪い世の中を、憎んで目を三角にして自分勝手な生活に引きこもっていた。
他人に敵意を向けていたら当然、敵は増えていく。敵にならなくて済んだ人まで巻き込んで、対立は拡がっていく。かつてのおれは臆病だった。かといって、こんにちに至っても臆病者が完全に抜けてもいない。自分が敵意を向けられた時の対処の仕方が未熟なのだ。
そうした敵と対面した際の鬱屈した怖がりな心境は、生きていることをつまらなく感じさせる。その要因に足る、学校でいじめてくるやつだとか、体罰を強いる教師とか、薄情な両親とか、探せばどこにだっている。敵がそこに居るだけで、生存に対する意識を低くし、自殺したいとまで思わせる。
人は敵視した相手を攻撃することで自分を守ろうとする。勝ち目のない相手に繰り返し虐げられたら、為す術もなく自分から命を絶つのだろう。
「イライラします。もう、イライラ。イライラ」
そのフレーズで音楽でも作れそうな勢いで、ご機嫌斜めな木村は居間で無防備に横たわっていた。フローリングの床には、新しく買ってきた長座布団や敷物が設置されており、主に彼女がだらけるための領域となっていた。食事の時以外はイスに座るという行為を好まないようで、本を読む時も会話をする時も、大体寝転がっている。ネコ(寝子)か。
「どうした、具合でも悪いのか」
「今日は違いますって。なんでもそれと結びつけるのは失礼というものですよ。ところで、ユタカさん、嫌いな人って居ますか」
おれは人間が嫌いだと、年頃の若者らしく斜に構えていた時期はあるが、本当の本当に嫌いなら今頃生きちゃいないだろう。人を嫌えば人間の作った食べ物も嫌いだし、人間である医者も嫌いだし、人間の建てた家も嫌いだし、人工物や恩恵、文化、叡知などほとんどのものが嫌いということになる。
「タバコを吸うやつは好きじゃない。あと、自分の罪に無自覚な偽善者も好きじゃない。おれが嫌う人間に共通しているのは、無神経で、思慮が浅くて、馬鹿だということ。勉強ができるとか仕事ができるとか、そういう訓練による知性ではなく、物事を司る感性が鋭いか鈍いかっていうところ」
「うん。確かにその通りです。無意識に大きい音を立てたり、下品なくしゃみをしたり、ずるずる靴底を擦りながら歩いたり、どうしたらあんなふうになれるのか不思議です。ぼくのイライラの元なんですが、この前仕事をしていたら廊下で客に体を触られたんですよ。許せます?」
12-3
ごく一般的な(女らしい要素を持たない)男として生きてきて、おれはそういう肉体的な欲求を迫られたことがほとんどない。一部の変態、異常性欲者は同性を異性と同等に扱える、都合のよい思考をしているから、場合によっては男性に対してもそういうことをする者が居てもおかしくない。これはバイセクシャルの精神とは違って、単に節操のない欲求を持て余している類人猿に過ぎない。
女性は頻繁に異性から何かしら求められる経験をするだろうし、それはプロポーズにあらず、下劣な行いによって示されることもあっただろう。とにかく、そうした被害者になるのは大勢の女性であり、男性が狙われることは余程の不運でもない限り難しい。
「女性は性の対象として男性よりも強すぎる性的な魅力を放っている、ということなのだろう。若い頃、おれも男にケツを触られた経験はあるが、とにかく気持ち悪かった。体が病的に細いから、それが性的に映ったのかもしれん」
性的な魅力とは、どこに潜んでいるか判らない。唇かもしれないし、首もとかもしれない。肌の色かもしれないし、腰のくびれかもしれない。いずれも、若い時のおれが有していた性的な魅力であり、同性に好かれようと努力すれば、まあそれっぽくなれるだろうが、なるつもりはないし、なったところで不利なことばかり増えるからやめておけ。
「それで、どうしたんですか」
「どうしたもなにも。触られたっきりさ。あいつらはおれのことを愛しているわけではなく、性的なパーツを好いているに過ぎない。同性愛とは違う。異常性欲ってやつだろう」
「ぼくは触られることに慣れていますが、不意にされるのがどうにも許せない。ああいうの、卑怯です。ぼくを単なるパーツとしか見ていないっていうのが余計に腹が立ちます。ぼくをぼくだと認識して触れてきた男子たちとは、まったくの別問題ですよ」
突然現れる異常性欲者は言うまでもなく、おれたちの敵だ。立ち向かおうとすれば、こちらも何かしらの代償を支払うことになる。争うことによる痛み、思い出すことへの嫌悪感、第三者にも感知される恥。それらを被るくらいなら、と泣き寝入りするのが精々であろう。
敵ではなく、自分自身を守るための箝口令(かんこうれい)を課す。争っても、争っても、ああいう馬鹿は無数に現れて、決して消えない。そいつ一人のために、おれたちがどれだけ恥をしのいでも、なんの抑止力にもならない。
「じゃあ、男性であるおれを殴れ。それで気が済むなら、甘んじて受けよう」
「冗談。あなたが男性としてのパーツに過ぎないと、ぼくに認めろと言うのですか。確かにあなたは男性ですが、男性だけでなくもっと多くの要素を持っている。なので、ぼくはあなたを殴れません」
12-4
おれを殴ることは、男性としてのおれ以外にも様々な要素を抱えたおれを殴ることに相当する。そこまで考えていなかった。
「いいや、おれを殴れ。きみが泣き寝入りするのは、なんだか許せない。それで今後もイライラされたら、居づらいのでな」
「……いいんですか。ぼく、手加減できませんけど」
横になっていた体をそろそろ起こして、敷物の上で座っているおれの方に歩み寄ってきた。木村の目はいつになく真剣に輝いていた。こちらも立ち上がって、二人の身長差が明らかになる。低い方の彼女は左手を丸めて、そちらのひじを折り曲げる。
「ああ。思い切り来い」
「はあっ!」
そのまっすぐなこぶしがおれのみぞおちに叩き込まれた。痛い。想像以上に効いた。
左腕を引っ込めた彼女は両手を広げ、目を閉じた。
「今度はユタカさんの番です。ぼくを殴ってください。女だからって理由でためらうなら、軽蔑しますよ」
女に向かっての暴力は非常に背徳的だ。男性の方が女性よりも筋力があるから、多くの場合は弱いものいじめになるのだろう。だから、女性への暴力はいかなる理由があっても忌避されるべきだし、男性もこれに抵抗を抱くのが普通だ。
おれは木村を女として見ているし、それをごまかすつもりはない。そうならば、彼女を殴ることはできないはずだった。しかし、ここでは殴ってもいい理由がある。ただひとつだけ。
「わかった。いくぞ」
「ひぃ」
おれは右の握りこぶしを木村の胸元に押し当てて止めた。そのまま力をぐっと押し込むと、彼女は容易く揺らめいた。頭を両手で押さえながら身構えていた彼女は、おれの力で動かされた体を片方の足で律する。そして上目遣いで、こちらを見ている。
「押してどうするんですか。力を入れて殴るんですよ!」
「殴り返したさ。力を入れる順序は間違えたが」
「まったく。余計な気遣いです」
そう言って、先程まで寝転がっていた領域に身を投げ出して無防備に戻る。
「ユタカさんが本気を出したら、ぼくなんてひと溜まりもないですね。簡単に壊されてしまう」
暴力は楽に人を従わせる。幼い頃のおれは両親からそうやって育てられた。痛みや恐怖を与えられたら、大抵の言うことは聞くしかなくなる。親のそういう野蛮な教育の甲斐があってか、おれは礼儀正しさを獲得した。常に油断なく敵を見定めて、強い者には逆らわず、弱い者には侮られないように気を付ける。
木村もまたおれみたいにいつも気を張って周りのことを注意深く見ているのだろうけれど、こうやって隙を生じさせる時間も必要なのだろう。
「殴られないと解らないこともある。最近の若僧は礼儀知らずが多くて困る」
「わあ。暴力反対」
そう言いつつも顔は笑っている。この子にとっても、そう無関係な話ではなかった。彼女はどちらかと言えば礼儀正しいし、義理を弁えている。それは、人のどうにもならない悪意を知り、虐げられてきた代償なのだった。
13,とくべつ2
13-1
三月は暖かな陽気と冷たい風が吹く、すごしやすいのかどうか微妙な時期だった。雲の多い日に至ると、油断をすれば風邪を引く。冬に比べたら気温の上がった、それでいて肌寒さの残る朝方に、バイトを終えたおれは家に戻ってきた。
勤務日数も時間も、普通の正社員と同じくらいに出ているため、大げさでなくおれは立派に社会の役に立つ人間としての自負があった。だれかの手をわずらわせることもしないし、極力気を遣わせないように努めていた。
鍵を回し、年季の入った賃貸物件の引き戸を開き、帰宅した。靴を脱ぐ場所からでも奥の部屋の電気が点いているのが判る。あの女が起きるのはもう少し遅い時間帯のはずだったが、朝日が顔をのぞかせる今頃に、そこに居るのは不思議というほかなかった。
不思議は何もその意外性に留まることはなく、洗面所でおれが手洗いうがいを終えてそこまで移動してくると、彼女はハンマーの横に体育座りをして、毛布に包まれていた。ちなみに、そのハンマーはおれが家に置いた防犯用の工具であり、侵入者をどうにかして、どうにかするためのもの。所々に全部で三つある。
「ユタカさん」
毛布が急に立ち上がった。と思ったら、陰気な眼差しをした木村だった。その瞳に尋常ではない光が黒い炎のように揺れて、おれの目を燃やす勢いでこちらを捉えて、服に掴みかかってきた。前屈みになったせいで、毛布は下界に崩れ落ち、木村だけがおれの上着に掴まって生き残った。
女に触れられることに動揺を禁じ得ないおれは平静を装って相づちを打つが、言葉数は通常の半分以下まで削減されたようだった。
「そこに座っててください。座ってるだけでいいので」
おれが帰宅してすぐにするのは手洗いうがいと少量の食事である。仕事終わりから就寝前はいつもより余計にお腹が空く。具体的には、どれだけ食べても満腹を感じにくいので胃袋に詰め込みがちになる。このため、食費を削るには早くから歯を磨いて、床に就く方がいい。ところが、おれは家でやることが多く控えているため、必然的に多くを食らう羽目になる。
指示通りに座っていたら食事の用意ができないので一旦は食い下がったものの、木村はおれに代わってそれを引き受けてくれるそうだ。そんな一時代前の妻みたいな役回りを自ら引き受けるなんて、とても彼女らしくなかった。男性を使いこなすことがあっても、使われるなんて心底面白くないはずだ。
思えば、朝まで点いていた照明や、燃えるような黒い瞳には、何かしらの意思表示があった。やけに大人しい女は、おれがいつも食べている「フルグラ」と「大粒ラムネ」、カット野菜を持ってきてくれた。テーブル代わりの逆さま折りコンの上にそれらを置くと、夫でもない男の隣に、そっと腰を降ろした。
13-2
夢を見るのだそうだ。
怖い女に執拗に付け狙われる夢を。そこでは夜だけが繰り返し続いていて、何も起こらない時とその怖い女が現れる時の二通りが、周期的にあるのだという。追っ手は超能力を使って、窓から逃げようとしたら網戸を無限に精製して降りられなくしたり、車でその場を遠ざかろうとしてもタイヤに干渉してスピードが上がらなくしたり、ホラー映画並みの女優さながらの妖しさをにじませて追い詰めてくるらしい。その現場には、木村のほかにも二人ほど女性が居て、一人は家で留守番をしている年長の女で、もう一人は一児(男子)の母。三人はどういうわけか、一緒に行動をしていて、化け物の女が現れる度に命懸けの逃亡を繰り広げる。まさに映画の世界だ。
「ユタカさんは怖いものってありますか」
人肌の匂いを感じられる距離感で尋ねてくる。木村は衣類用洗剤の香りの合間に、シャンプーの残り香がして清潔感は維持されている。
食事を終えたおれはタブレット型端末をを使って、SNSを見回っていた。午前七時から午前八時はいつもこうして、限定的にインターネットに繋いで情報収集している。半分以上はかつての暇潰しの名残で、本当に多くを知りたいのなら見るのは大手新聞社が運営しているニュースサイトだけで十分だ。
「おれが恐れるのは『おれという人間が実際以上に矮小で、取るに足らない人間である』という現実をどうあっても覆せないと悟ってしまうことだ。概算で、おれは三年後にその(悟った)状態になるおそれがある」
立ち上がった木村は使い終えた食器や空いた袋を洗い場まで片付け、さっさと食器の洗浄と乾燥を済ませラムネのごみを所定の場所に置き(※)、こちらの話を聞いていた。備え付けの紙製タオルで手を拭って、おれの隣まで戻ってくる。
※ まだ別の用事で使う。
「そういう自発的な恐怖ではなくて、ですよ。外部から持ち込まれた恐ろしさといいますか」
「それなら、人に慣れてて、暴力や揉め事にも慣れてる、恐れ知らずなヤンキーみたいなやつが苦手だな。あいつらは感情的で、自分こそが世界の中心みたいな振る舞いをする。だから、おれとはすごく相性が悪い」
「そう。そういうのです。神経質なあなたらしいですね。でも、ヤンキーな人たちも同じくらいに神経質なのでしょう。外ではトゲトゲしていても内側で多くを感じ取っていて、上昇志向も強いから、あなたとよく似ている」
木村は普段通りの饒舌ではあったが、何もない日に比べたら語り口に活力が見当たらなかった。端的に表現するならば、元気がなくて、落ち込んだ抑揚を声音に含ませていた。
「ぼくの恐怖の対象は、精神障害者、です」
早速、木村は自身の鬱々とした様子の理由について語り始めた。
13-3
身体と精神それぞれに障害者(障がい者)という名称を用いるため、ひとくくりにしないように精神障害者などと限定的表現をしたのだろう。SNSを見ていたら、自身の病名を長々と列挙している利用者を時々見掛ける。それすなわち、同じ境遇の仲間同士が繋がりやすくなる、というねらいがあるようにみえる。
おれから言わせたら、なぜ自分の弱点を知らせてまで傷のなめ合いをせねばならないのかと懐疑的ではあるが、インターネットの匿名性に頼れば、そんな弱みはどうということもないようだ。現実に居場所のない、社会的弱者ならば障害の有無に依らず、得てしてインターネットの方が居心地良いのだ。
精神障害者は日常生活にも居て、その挙動や態度から、明らかに普通ではないだろうとこちらに判断させてくる。過度に落ち着きがなかったり、人前なのに独り言をぶつぶつ言っていたり、他の人とは決定的に違う特徴を有している。
「バイトの帰り道で、いつもその人が待ち構えているんです。……障害者ってほどには見えないのですが、話し掛けてきた時の感じから、なんだかちょっと、何かが欠如しているようだった」
女の体の震えが次第に大きくなるに連れて、おれにも恐怖が伝わってくるようだった。こういう時、肩でも抱いてあげたらいいのかもしれないが、その大胆さがないおれには、両手を大人しくあぐらの膝の上に置くしかなかった。
「それで、きみはどうしたんだ」
「ぼくは普通に受け答えをしましたよ。始めは名前とか年齢とか聞かれましたけど。両方とも嘘を言いました。それからも連日、様々を聞いてきます。……ぼくのこと、気に入っているんだと察しました。ユタカさんも、そうだと、思いますよね」
興味を示された時点で、なんらかの思惑があるのは確実だ。木村がおれをカラオケに誘った瞬間とて動揺だ。しかし、それが必ずしも深入りした男女の情とは限らない。おれたちに関しては少々、特別なのであって、見知らぬ男が女に声をかけるとすれば、目的は大体、個人的な事情と捉えるのが自然だ。
この個人的な事情とは、単に仲良くなりたいだけなのかもしれないし、仲良くなってもっと深いことをしたいのかもしれないし、それともおれたちに類似した特別な何かを求めているということかもしれない。
いずれにしたって、女は男に力で支配される懸念が否めないから、素直に応じられないのが実情である。ひとりひとり、真剣に取り合っていたら、いずれ大きな事故や事件に巻き込まれるということも頭に入れておいた方がいい。その際、木村のついた嘘は、自分を守るためにとても合理的だったと言える。
「ぼく、それからいつもだれかに見られているみたいで、気持ちわるくて」
13-4
精神障害の度合いは日常生活に支障をきたすものから、微少で第三者が感じ取りにくいものまで広範囲に渡る。これらを線引きする上で大切なのが、どの程度何ができていて何ができていないか、である。
たとえば、人の嫌がることはしないようにする、というのは一般的な人ならだれもが弁えている常識である。ところが、これを理解できていない者も、社会で生活をしているとよく見掛ける。ゴミの分別や曜日を守らずに出していたり、火のついたタバコの吸いがらを路面に投げ捨てたり、愛玩動物のフンを道端に放置したまま去ったりと、微少なものなら枚挙に暇がない。この程度の事を障害と呼ぶのは大げさかもしれないが、他者ができているはずのことをできずに居るわけなのだから、ある種、障害と言えなくもない。
おれはそういう、障害者とも健常者とも区別されない、無神経で身勝手な生き方を許された連中がとにかく嫌いだ。恐ろしいのではなくて、この世から一切消えてなくなればいい、と思うほどに嫌悪している。差別だろうと不道徳だろうと罵ってくれて構わない。それでも、そうした連中がまともな人間を害するのであれば、そんなクズどもは居なくなっていいと本気で思う。
そういうやつらのせいで、また別のだれかが精神に傷を負わされようというのならなおのこと、その理由を作っている輩の存在を否定せざるを得ない。これはていのいい倫理などの教えとは程遠く、おれ自身が生存するために見つけた答えであり、結論である。善人であろうとすると割りを食う。それでいて、自分も悪人にならないためには、その類いの実存そのものを切り捨てるしかない。
だれかに見られていると感じるのは被害妄想の一種だ。実際はそんなことなんてないのに、度重なるストレスや心配が重なって、そういう幻覚が構築されていく。木村は感受性が豊かなのがわざわいして、自身の精神を脅かす一歩手前まで来ているようだ。彼女の嫌う性質を持つ、なにがしの仕業によって。
「おれだって、そういう時はある。……なにか、してほしいことがあれば言ってくれ。その代わり、なんかおごれよ」
「じゃあ、バイト終わりに、プロテイン入りのちょっといいグラノーラを買ってくるので、しばらくぼくと同じ部屋で寝てくれませんか」
木村は男性に耐性があるゆえに、一緒の部屋で寝ることに抵抗は弱いと踏んでいたが、この時の彼女は別の理由で苦々しい態度で申し出て、おれとの取り引きに応じたのだった。
おれが見返りを要求したのは、人として狭量な器のためではない。無条件で助けるのは木村の自尊心を傷付けることになるだろうから、男女の一線を越えずに対等な立場を保つための計らいなのである。
14,とくべつ3
14-1
リスカ塔の書く小説には、重要人物の死やら性描写やら、とにかく低俗な表現をぶちこむ傾向にあるのだが、ことおれと木村に至ってはそういう浮わついた闘いは開催されずに一週間は過ぎた。
二人の勤務時間帯が対照的なのを加味したら、同じ時間に眠れるのは精々、おれが休みの日くらいのものだった。それでも木村は日付をまたいででも、おれが帰ってくる朝方まで居間で起き続けていた。親の帰りを待つ幼子のような健気さに、心臓を掴まれる感覚もあるにはあったが、彼女の「敵」によって引き起こされた不眠症なのであり、否定的で、解消されるべきはずの寝不足を愛でてやるわけにはいかない。
木村の眼差しの異常を感じ取ったあの日から、おれは自室からマットレスを運び込んで、彼女の寝床のすぐ隣にやってきては睡眠を取った。女性の体に触れたいという男性由来の本能も、自らの非力によって相殺され、その都度胸が痛んだ。
女に触りたいだけならば、木村である必要がない。おれは心にも触れたいから、互いがそう認め合える関係であることが必須条件だった。万が一彼女が男性の要素を欲するのであれば、それはおれじゃない。もっと別のだれかであるべきだから、我関せず、応じるわけにいかない。
こういう心構えを以て、年頃の小娘と就寝する。やれアニメや漫画、ライトノベルなどの世界ならば、ごちゃごちゃしたうざったい絡みが延々と上映されるのだろうが、そんなものは妄想でしかない。作者が頭の中でこねた、湿気た「こうだろう」「おもしろそうだろう」というねらい澄ました趣向は一向になかった。
木村はおれとラブコメをしたいのではない。人並みに怯えていた。得たいの知れないだれかに付け狙われる経験には恵まれていなかったようで、そうした現実の前では、いくら狡猾な彼女とて一人では立ち行かなかった。幼子だったおれにだって、恐ろしくなる時はあった。怖い映画を見て一人で眠れなくなった夜、両親と川の字になって寝た。つまり、こういうことなのだ。何かに恐れるから、助けが欲しくもなる。
その甲斐があって、おれはプロテイン入りのグラノーラを手に入れたし、木村はいつもの抜け目ないクセの強さを取り戻したようだった。恐れが杞憂に変わっていったのが、その表情から感じ取れたので一安心だった。
バイトから帰ってきた朝方、例のちょっといいグラノーラを食っていると、いつかのように隣に座っては、油断ならない女が唐突に口火を切った。
「ねえ、ユタカ。あたしと付き合ってよ」
こんなことを言われたので、おれはグラノーラに向かって「だめだ」と言った。
14-2
「なんでさ。あなたみたいに利用価値の高い人、だれかに取られたら目も当てられないって言うのに」
これは彼女なりの愛情表現なのだろう。男性をATMかなにかと勘違いしている女性と比べたら、まだ可愛げのある言い方。それも歳月を経たら、もっと残酷な言葉に置き換わるのを想像したらつらい。それが丁度、「家族のためなら喜んで死んでくれるよね」にならないことを祈る。
まあ、生涯の安らぎを提供してくれるのであれば、悪くない提案だとも考えた。それでも、おれには女性を満足させるために欠けている部分が、自分で許せなかった。
「男女で一組を作ることは、互いが同質か、相手が自分以上であると認めた場合に成立するものだ。この傾向は女性に強いみたいだが、おれとて同感なのだ。だから、自分磨きは欠かしてはならない」
「あたしがユタカよりも下だって言いたいのか? うーん」
言い方が悪かった。おれが伝えたかったのは、「まだ自分がだれかと付き合う水準に達していないこと」であり、「おれと付き合うには、自分磨きを必要とするくらい木村が下」という含みではないのだ。
「すまない。きみがおれより劣るのではなく、おれ自身がきみを始めとした女性に釣り合うように努力が必要だと言ったつもりだったんだよ」
「知ってますよ。……やっぱり、あなたって、珍しいです。理屈抜きに、ぼくを欲しいとは思ってくれないんですか」
「おれは理屈の人間だからな。強いて言うならば、きみはおれの好みにぴったりはまっている。きっと付き合ってからもうまくやっていける」
観察力があって、人の機微に聡く、生きることに貪欲な性格は、まさにおれの理想とする特徴だった。そのためなら、敵を作ってでもだれかを利用するという悪性も含めて、生き残るための賢さとして申し分なかった。
顔を耳まで赤くしている小娘を見ていると、おれは罪悪感に駆られる。
「なら、どうしてぼくをめちゃくちゃにしようとしないんですか。ユタカさんになら、ぼくは許したと思います」
「おれの子を産めるのであれば、おれだって、その気はあるさ。だが、そうまで確約してくれる人が居てはならないのだ。まだ、おれには優秀な遺伝子があると立証できていない」
木村は不断の理知的な化けの皮が剥がれたように、情熱的な眼差しを燃やしていた。先日の煉獄の(異界の)炎とは段違いの、太陽のような暖かくも見つめ返せない(現実的の)紅炎(※)がほとばしっていた。
※ こうえん。プロミネンス。
「では、あなたが立派に大成したら、あなたはぼくのものになってくれるのですか」
「やめた方がいいぞ。おれより優秀な個体は外を出たら、一時間以内に見つけられるはずだ。普通なら、そちらを選ぶ。おれは売れ残りに過ぎない」
14-3
時刻が午前八時になるかどうかのこの時、ふと木村は出掛ける支度を始めた。その意図はぼんやりとだが、予想は着いた。自室に引っ込んで三十分くらい経った後、相当に「仕上がった」彼女の後ろ姿が玄関に向かっていくところだった。顔ははっきり見えなかったが、勝負をしに出掛ける戦士の面影が背中に写されていた。
やがて、午前十時頃になった。おれは自室で小説を書いていた。すると、玄関先で物音がしたので、部屋の出入口まで歩いていき、廊下に顔を出してみる。
滅多に露出をしない脚を惜しげもなく魅せ、少女趣味な淡い色合いの、長そでのワンピースに身を包んでいるせいか、実年齢より二才は若く見える。学校をサボった女子高生を演出するのはかなりの賭けだったろう。マスクを取った先は化粧もされていて、量産型と言われているふうな……よくわからんが、一般的な感性で述べるなら「かわいい」という乱雑な単語があてがわれるような、そんな外見をしていた。若さの特権とも言い換えたい。
そんな、女性に慣れない男子なら気後れ必至の、気合いの入った出で立ちをした彼女は「リサ」と呼ばれていた時もこうだったのだろうか、と想像を掻き立てるものの、その一言目はあっさりとしていて……。
「あなた以上の人って、本当に居るんでしょうか。居たら居たで、なんだかおもしろくない気がします」
そのまま洗面所に入っていくと、顔を洗い始めた。家に居る時の彼女は質素な上、地味な顔をさらしても意に介さず、平常の態度でおれに接してくる。おれもまた、そんな彼女の飾らない本質を垣間見て納得はするものの、女性はどうしたって美醜に敏感であり、先ほどの彼女にもそうした特長があって、しみじみと理解が深まる。
木村がおれに対して気負いなく関わる態度は、長年連れ添った夫婦に類するような緩さがあった。友達のような、と形容される関係でもないし、男女の仲というほど泡沫な繋がりでもない。言うなれば、家族みたいな、ものだろうか。廊下で顔を合わせても、お互いがお互いだと「言うまでもなく」存在を認められるくらいの。
洗面所から出てきた木村は化粧の内側の、本性を露にしつつ、おれの部屋の前まで歩いてきた。
「なんか口惜(くや)しい。ちゅーしましょうよ。ちゅー」
いつもながらにおれは渋ったのだが、木村は無理やりに顔を寄せてきた。次の瞬間に、口元で柔らかさが触れ合って、昔の出来事が脳裏で再燃した。反射的に彼女の背中を両手で覆い隠し、壊れそうなまでに繊細な胴体にすがり付く。
「ちょっと。ユタカさん?」
ひとつひとつが、呪縛だった。おれが人をまともに愛せないのは、これのせいだ。
「……なんで、泣いてるんですか。本当に――」
皆まで言わず、木村はおれの頭をやさしくなでた後に、もう一度だけ口付けをした。
「今より強くなるって、約束してくださいね」
「言われなくても」
死ぬまで最善を尽くす。ただそれだけだ。
15,しびと
15-1
街で買い物をする時、子供連れの若者を見る度に遅れを感じ取る。家庭の構築、社会的地位の確保、あらゆる人間生活においておれは逸脱し、もう戻れない洞窟へ足を踏み入れてしまったのだろう。
おれなぞ不要な遺伝子のひと欠片に過ぎない。食っては寝て、時々排泄をして。きっと、それはおれだけじゃないかもしれない。人間性も教養も、育ちの良いやつには敵わない。いくら努力して、意識を高く保とうとしても、おれはおれを超えられないのではないか。
そうした不安にさいなまれては、疲れきった初老の男性を見る度に、自分と重ね合わせてしまう。彼も若い頃には夢があって、結局はそのていたらくに収まったというのが現実だったと。一度生じた遅れは、奇跡かなんかでも起きない限り覆らないように思えて、自分を高めようという努力が、さじで穴を掘るような徒労に感じる。
昼下がりに時折目を覚ましつつも夕方まで、台所と繋がっている居間の自分専用長座布団と枕の上で、うたた寝していたおれの起床は大変、最悪な精神状態を引き連れてきた。もう若くない。あとどれくらい一日を重ねたら、おれは終わるのだろう。これが鬱というものなのか。きっと、おれだけじゃない。電車に飛び込んだだれかさんも、ビルから落ちただれかさんも、首を縄で結んでぶら下がっただれかさんも、みんな似通った苦しみを抱えて、生きることをよしとしなかったのであろう。
「そうなんだろう?」
おれは虚空に語り掛けた。しかし、この世を去った者たちが返事をするわけがなかった。
不幸な出来事が立て続けに起こると、何かわるいものに取り憑かれている気がして嫌になる。科学で解明できていない、不可解な力が働く場所は、この地球上の随所にある。有名な橋だったりダムだったり、アパートの一室だったり病院の跡地だったり、トンネルだったり。
おれは磁場の歪みが生じる場所に、そうした残留思念が停滞して、物体に影響を与えるのではないかと想像している。そうして、おれも死んだら低級の悪霊に昇格でもして、他人の不幸に寄与するのだとも。稚拙な創作もいいところだ。
おれの書いた物語は世間に受けない。賞を獲らない。映画化もされない。古本屋の棚にさえ並ばない。電子書籍に居場所を与えてもらうのが精々なのであろう。そうした有象無象の書架に我が作品を置いたとすると、それもまたおもしろくない。身の程知らずで無礼な自尊心が胸の奥でそう言っている。いつか、働く場所を選り好みしていたおれがそう思っていたように。
「おれは間違っていない。この世界がどうかしている」
虚空に語り続けるおれは、何かに取り憑かれたように世界を呪った。
15-2
ふと、ひとりでに部屋の電気が点いた。
「なにやってるんですか」
木村は実体のない存在のように、部屋の入り口にたたずんでいた。彼女がまったくの妄想から生まれたモノだったとしたら、このおれは一人で生きていけただろうか。とてもそうは思えない。いくら恋愛感情が腐り落ちた男とて、女に安らぎや母性を欲して、それを糧に一日を重ねていく。
おれはこの女に何かを要求するなんてできない。それはおれを縛る呪いが許さなかった。だから、いついかなる時でさえも平常の心は受け身なのであった。
「別になにも」
「そうですか。ところで、ひげ伸びてますよ」
我に返った。「ひげ」というたったそれだけの単語で、おれの意識は異界から現実世界に引き戻された。時折、死を夢に見てしまう精神状態を、希死念慮(きしねんりょ)と呼ぶそうだが、自殺願望よりも曖昧な表現として扱われるのが主らしい。意味以前として、そういう漢文みたいな四字熟語やら漢字の連なりが、気取っているようでどうにもいけ好かない。
先日、おれは職場で自分の陰口を言われているところを耳にしてしまった。そんなことで、おれは深く傷付いて、死にたいとさえ思うくらいに弱かった。
仕事は人一倍、速いつもりだし、丁寧に仕上げるべく尽力している。そして、次の日はその日よりも更に速く、もっと完璧に近付けるようにと常に考えている。作業は小さな失敗の積み重なりによって、一つの新しい発想を生み出す。ところが、人間関係は失敗を積み重ねるほどに失墜していく。
つまり、おれは過ちから答えを導き出す愚者なのであり、対人においてはまるで役立たずなのである。話し方の響きから陰口を悟って、解読してしまうほどの繊細な神経を持っているにも関わらず、相手の心を掴むことすら困難なのだ。他人の思い込みほど、動かしがたいものはこの世にない。一度嫌われたら、もう二度とその評価は戻らない。それが人間関係のすべてだった。嫌われないように、深く意識されないように、慎重に綱渡りをしてきたつもりでも、もうおれは綱の上から落ちていた。
ベストセラー作家の言うことなら、みんなおれの言うことも、感じることにも、共感してくれただろう。おれはそうやって順番を誤った仮定に熱心で「ベストセラーとは最初に来るものではない」と現実世界に教わる。
ああ、そうだ。積み重ね、努力の成果が傑作を生むのだ。おれの駄作も、いずれ名作となるための礎なのである。しかし、他者がおれをすくい上げるまで、おれは存在を許されているだろうか。
また異界の入り口が見えてきた。
15-3
おれはひげをそることで現実に立ち戻った。女子高生を拾うなどという幻想を描いて、世間の脚光を浴びる努力家には遠く及ばないけれど、この嫉妬も怨嗟もひげと共に落ちていってくれればそれでいい。
編集者や出版社界隈の内情について書かれた創作物を見たことがあるが、それによると人生や死生観をつらつらと書き綴る「逃げの邪道」は駄作なのだという(誤解だった時のため、出典元の作品名は書かない)。おれもそれはよく思う。説教臭くて、娯楽でないものが売れるわけがない。
読者は異世界が好き。読者は無双が好き。読者は理想の恋人が好き。
ありもしないものを描けば売れる。ノンフィクションでも特異な題材なら可、と来ている。つまるところ、読者の慰みになるものならどんどん売れる。この遺書がおれ自身の慰みであるように。読者が居ないとしても、おれによって書かれ続ける。
きみはこれを読んでいて楽しんでくれているだろうか。あいにく、おれにはその自信がない。最期まで弱いままのおれを許しておくれ。
かの漱石は相当な奇人で、重度の神経質だったのは想像に難くないが、教養のないおれには彼を凌駕できる自信がない。だから、別の分野の寄り道をしてしまう。伸びもしない芽に、一滴ずつ水をやっている。
おれが文章を極めて、自他共に認める現代の文豪になれたとしたら出版社はおれに頭を下げるだろうか。そして、おれは本を売り物にして自分を生かそうとするだろうか。そうまでして生きて、死んでいるのと何が違うのだろうか。
血が出た。そろそろ新しい使い捨てカミソリを買わないといけない。
「ユタカさんは自分自身の価値は何に決定されると思っていますか」
顔を洗っている後ろから、唐突に木村が話し掛けてきた。自分の手拭いで顔を拭く頃には、おれの横目に映った木村は自身の居所に腰掛けて、お行儀よく脚を組んで背を伸ばしていた。小学校の体育館を思い出す。
「自分自身の価値は他者に依存する。そうでなければ、個体としての差が識別できない。比べるべき相手が居て、だれが見ても明らかな違いこそが優劣の元になる。自分自身の価値は主観ではなく客観によって決められる。あらゆる差別もまたその一部だろう。自分自身ではどうにもできない。だから、自分が周りに合わせる努力を課される」
本を売り物にしたいなら、おれの作風も読者に根差したものでなければならない。そういう努力をした者が、本屋に本を置かれる。出版社に大切にされる。編集者の心を掴む。価値を認められる。おれはその真逆なのだから、本を売るなんてとんでもない。歴史に名を残した犯罪者が政治をするくらいに有り得ない。いや、そんなことがあるならきみも見てみたいと思わないか? 今のは忘れてくれ。つまらない冗談だ。
15-4
「一人はみんなのために、っていうことでしょうか」
三銃士という作品に出てくる文言だ。その後に、逆説的な句が続く。英語で言うと、"one for all, all for one". である。一人がみんなに貢献することは、(みんなによって営まれる)一人のためでもある、という意味を背負う。つまりは、全体のために尽くすからこそ個人は個人として尊重される権利を有するのだ。
それもそのはず。人間は個では無力なのだから、社会を築き、利害関係に基づいた仕組みを敷いている(強いているとも言えるか)。労働と対価がまさにそれを端的に表現してくれている。金銭による充足があるから、どれだけ嫌な仕事にも担い手が就くのであり、人間の欲求を上手に意図した理想的な仕組みである。
「小説を書き続けたいのであれば、小説家になるがいい。だが、小説家は読ませるための小説しか書けない。読まれない小説など不要だからだ。したがって、おれは小説こそ書いては居るが、文章力に少し毛が生えた程度の物書きでしかない」
「ひげ」
「ひげがどうかしたか」
「いえ、なんでも。それっておかしくないですか? 有名な小説家は好きなものを書いたって、愛読者が読んでくれるものでしょう? そんな人たちが読者に書かされている、なんてとても思えないのですが」
「間違ってはいないさ。愛読者を作るまでの努力がワンフォーオール。愛読者ができたら、オールフォーワンとなる。根本は全体への貢献によって始まり、作者が好きな作品を書いて読者に読まれるまでの経路は地続きなんだ」
「下積み時代こそ筆者の作風を売りにしたがると思っていましたが……」
今時、どの著者がすごいだとか久しく聞かない。昔ならば、太宰だ三島だ、鴎外だ漱石だ、と文学には人物の存在感が濃かった。ところが、昨今の作品は映画化されて作品名こそ大きく扱われるが、著者の存在感は至って希薄である。まるで、その人である必然性が否定されたかのように。有力な作家自体は居る。しかし、電子遊戯の流行やインターネット通信の普及により、大衆にはかつてほどの文学への関心がない。それどころか自国語すらまともに操れない若者も現れている。
「どの筆者も売れたいから、始めこそ審査員受けを意識した作風を重視する。ところが、いよいよ読まれ出すかというところで流行は次に移る。言うなれば、おれたち物書きは一生、移り気な読者様の奴隷だ。好きな作品を書いて、それが読者に受けるのが最もいい。それもごく限られた、選ばれた者の特権だ」
15-5
「そんなことを言っていいのですか。読者に嫌われちゃいますよ」
「いいのだ。どのみち、おれには読者の腹を満たすくらいのものを書けるわけがない」
たとえそれが書けたとしても、おれは小説家としては生きていけない気がした。自分の書きたいものはいつだって厭世的で、啓蒙的で、退廃的なのだ。読者はそんな暗い気持ちを誘う本を手に取る時間さえ惜しむ。あるいは、興味本意でのぞいたとしてもいい加減飽き飽きしている。またこれか、と。
おれは独りよがりな創作物だけで、人間の心を動かせるとは思っていない。おれ自身がもっと人に寄り添って、魅力ある人物にならなければ、後世に語り継がれる文豪にはなれない。それも、女を伴って異界に繋がる川へ赴くような男でもなければ、基地を占拠して国家の有り様を問いただす過激な愛国者でもない。
時代が必要としているのは、擦り切れた厭世でも啓蒙でもない。人生観を完全に変えてしまえるほどの、救世主の再来。そして、それに相応しいのはこのおれをおいて他に居ない。しかし、まだその域には遠く及ばない。乗り越えなければならない試練が限りなくたくさん残っている。そのための向上心であり、反骨であり、革新である。
「読者に気兼ねなく書きたいものを書けばいいんじゃないですか。ユタカさんが本物なら、おのずと結果は付いてきます。不安なだけですよね」
そうやって見透かしたように微笑む顔が快くなかった。
「うるさい。おれは居なくてもいい人間なんだ。毒でも薬でもないくだらない文章、全部消して仕舞いにすればそれが一番いい」
おれは居間を去り、自室に引っ込んだ。木村の哀れむような視線に耐えきれなかった。
この後、おれはいつものようにアルバイトへ出掛けなければならない。人間ってなんなんだ。ときに人の気持ちを踏みにじり、ときに人の心を温めてくれる。職場のやつらの顔など見たくない。まして恥知らずな馬鹿どもへの接客なんてさらさらしたくない。悪趣味な髪の色、鼻を突く香水の臭い、発ガン性を身に纏う愛煙家たち。
全部全部目障りだ。おれは消えて居なくなりたい。あいつらが居なくならないなら、おれが居なくなるのが早い。どいつもこいつも。ふざけたやつらばかりが、おれの人生に居るのが許せない。人権も規範も、紙切れ同然の世迷い言に成り果てる、哀しい人生になってしまう。
自分を磨くより、自分を消すための努力の方がずっと近道だって判っている。
何が救世主だ。おれは、飼い主より前を歩くイヌ以下の、身の程知らずで恩知らずのぶしつけなクズなんだって、だれもが知っているではないか。そんなおれを仕方なくここに置いてくれる優しい世界。おれは救済される側で、する側などでは断じてない。
何不自由なく生きているはずなのに、なぜかとても苦しい。
16,みかた
16-1
先日、おれの書いた小説に評価がついていた。
両の手の指で数えられるくらいしか居ない読者なのに、それがとてもうれしくて、男なのに母性を催すくらいの優しい気持ちになった。この幸せをだれかにも伝えたい、と。
木村はおれの小説を更新の都度、一度読むきりで反復して読むほどの重度なリスカ塔信者ではなかった。それか、あえて閲覧数が増えないように気を配っているのではないかと邪推してみる。たとえ、読者が木村しか居ないとしても、おれは落ち込んでなどいない。
ただ、ふと嫌になってしまう。自分が見立てより低く扱われることが。
どいつもこいつも外見ばかり目立ちたがって、知性の片鱗なんてまるでない。人並みに着飾ってみたって、中身が変わるわけじゃない。新しい装いに気分が高揚するのは理解する。
装いとは身分を告げる目印以外の何物でもない。頭を明るい色にしていたら公的な職種ではないと判断できるし、それが巷の格好いいの定義なのだろう。雑誌に載っているような高そうな服を着ていたら、精神性を見ないとしても、服を買う金だけはあるのだろうと察しはつく。
自分をどのように表現しようとも、各人の自由である。この自由という言葉ほど、うさんくさいものはない。人間はすぐに他者から影響される。どれどれの、なになにが主流だから、これこれこうである、と思い込んで疑わない。流行や人気こそが最大の指針であり、各人に自我はほとんどない。
自由とは、そうした操られた思想の上であぐらをかいている。頭を染めることも、香水を匂わすのも、タバコで大人を演出するのも、だれかがそれをそうだと伝播したから、影響された各人が「こだわり」と称して我が物としている。実際は、各人がそれらの物質的な態度に支配されているにすぎない。
つまり、染色剤も香水もタバコも、典型的な小道具であって、自己を表現するには荷が重いということに決着した。少なくとも、おれにはそうした小賢しさは各人の個性を表すには力不足だと見抜いている。
もとい、衣服の選択は軽視できない。それだけで目ざとく人は判断される。おれみたいな自我の大きい人間は、自作した服を着るのが最良なのだと薄々勘づいては居るが、裁縫がどうにも不得手なので申し訳がない。そんなおれが和服に憧れるのは懐古にあらず、単に文豪らしく見えるという、それだけの理由だ。
他者からどう見られるのか。これは人間社会に参加する上では、絶対の課題である。簡単な思い付きで励行される、ちゃらちゃらした小道具は結構だから、自身を表現する上で過不足ない要素を散りばめて、この外見を以て自分だと主張できたなら、と願う。
16-2
手を加えられた外見に固執するのは、他者から見られることを深く意識している現れだとも言える。顔を整形したり、体を痩せさせる薬に手を出したり、そうまでして執着するのは自己表現も付随しているが、大元は他者に見下されることを嫌う自尊心に依る。
この人はいつもこの髪色だ。この人はいつもこの香りだ。この人はいつもこの銘柄だ。そうしたこだわりは人間の個性を主張してくれる。
他者と違うことを是とするし、なんなら身体中穴だらけにしている人も、彫り物を一面に施す人も居る。
おれはそういう、大して努力することなく手頃に実施できる自己表現には深い感慨を得ない。どれだけ派手な格好付けよりも、社会経験で培った物腰や、専門的な技術に伴う魅力こそ尊ばれるべきだと考える。だから、おれは日頃の自己研鑽による承認にしか感心がない。現に、小道具に頼らずともおれは十分におれを表現できている。
そのはずなのに、他者はおれを侮る視線をくれる。おれを自身より弱い者だと決定し、その態度でおれに話し掛けてくる。その原因は何より、このおれにあった。
この二六年間、ほどほどに衝突を繰り返してきたし、ほどほどに修羅場を見てきたはずだった。それでも欠けているのは、人間の根源としての光と闇への理解だった。
この国には、いまだに暴力団というものが存在する。彼らは臆することなく、人と向かい合って、堂々とものを言う。場合によっては、武力で立ち向かうこともあるだろう。祖母の話によると、おれの父親はそうした構成員と遭遇した事があったようで、少なからずその影響を受けて暴力的な性質に拍車がかかった。
素人がどれだけ粋がっても、本物の暴力のprofessionalには及ばない。従業員に絡んでくる酒癖の悪いおっさんなんてかわいいもので、人間社会の闇はどこまでも深い。まして、権力が絡むとそれは想像を絶するものだろう。政府の悪口をインターネットに書き込める連中は、本当に愛らしい。その無知が自滅を招かないことを祈る。
それとは対になる光もどこかにあるはず。おれは、まだ見たことのないその光に手を伸ばしたい。観客を魅了する音楽家でもいい。三桁に達する巻数に及ぶ連載を誇る人気漫画家でもいい。専門的な力は自分を裏切らない。たとえ、だれにも見つけてもらえなくても。
それまでに多くの敵を見いだしても、自分を高める努力をあきらめてはならない。世界を呪っても自分自身に疑問を抱くようでは、一向に侮られたままだ。
おれの最大の敵は、歩みを止めて愚痴を吐いている、弱いおれ自身なのである。
16-3
自分の音楽を作ると志してから、カラオケボックスに行く機会は減った。厳密には、目的が変わった。通い始めた当初は、漠然と、歌が上手になりたいと考えているだけだった。それを何年も続けて気付いたのは、歌唱力の高さにはカラオケで培った機械的なものから、音楽的な知識の集積によって為されたものまで幅広くあるのだと。
元来からおれはカラオケらしい唄い方に興味はなかった。
一人暮らしを契機にテレビなんて見なくなったが、この頃はカラオケ番組が放送されているらしい。歌の上手な人がこぞって点数を競い合う趣旨で、それを観た視聴者もまたカラオケに出掛けるきっかけを作り出す。どこから選りすぐったのか、上手な人ばかりが出演しているのだから、歌への欲求が触発されるのが常だろう。
カラオケの採点によると、おれの歌唱力は並みよりちょっといいくらいで、抜群に高いわけではない。それがここ数年の現実であり、更なる成長を促さずに惰性を続けた成果でもあった。
おれの唄い方は声優やロックバンドのボーカルに起因するところが大きい。近頃はインターネットから参入したシンガーソングライターが徐々に音楽業界に歩みを見せているものの、あの手の唄い方から学ぶことはほぼほぼないに等しい。近頃のボーカルは、男女の声の境界を曖昧にするおそろしい声の持ち主も居て驚かされる。ガネクロの中村やユニゾンの斎藤が個人的にはハマる。思春期はアニメしか観てこなかったから、音楽なんてほとんど知らないのだけれど。
おれの音楽の好み(?)より、方向性としては、家族の声のように、聴く者に声を覚えてもらえるのは当然のこと、唄えない曲がないくらい難易度の高い曲を唄えることにある。難しい曲を唄えるようになれば、それより簡単な曲はほとんど唄えた。
飽くまで「唄える」のであり、「唄えている」とは言い難い。その理由としては、おれ自身の音楽の知識の浅さがあった。実力のある音楽家たちは生粋の音楽好きで、海外の音楽を積極的に聴き込んでいるのは言うまでもない。それも音楽性の幅広さ、鋭敏さに貢献している。そういう人たちの音楽は、一時期の流行りで終わる程度の曲とは一線を画する凄みがある。
それまでのおれは音楽に身を捧げるほど熱心に活動していなかったし、その点においてはてんで素人だ。歌が多少できるくらいで満足なんてしていないから、作詞作曲から編曲まで自分でできてかつ、自分の思う音楽を表現できることが今後の目標になりつつある。
16-4
「お客様お一人でよろしいですか」
日頃、家で顔を合わせている店員が淡々とおれにそう尋ねた。
おれがカラオケに来るのは、既知の、唄えると判りきっている曲を唄うためではなく、常に違う曲を唄うため、に移行しつつあった。曲調を掴み、歌詞を覚え、再現する。この繰り返しによって、音楽への理解を少しでも前に進めようというのだ。ちなみに、歌詞の書き取りにはそれなりの時間を要する。常々、書き方・やり方を改善できないか模索する。
所有しているCDも、そこから吸い上げた音楽データも、やがては聴いただけで実演できるようになりたいと思うようになった。そうすれば、おれは音楽家としてようやく始まりの地点に立てる。遊ぶためのカラオケじゃない。音楽を知るためのカラオケ。その時には、唄う場所がカラオケである必要はないし、そうなったらおれは自分を表現するための音楽に到達するだろう。
曲を十数曲覚えてから来店するので、ここに来る回数は減った。衝動的に唄うだけでは成長しない。そのために費やしたお金も無駄になる。通い始めてから累計したら、どれだけの金額に達したか、百万円はいかないにしても、高性能パソコンを何台か買える程度は使っただろう。
そうした無駄がおれには多すぎる。切り詰めるところは切り詰めて、自己の研鑽のために唄おう。金を出そう。
予定していた曲がすべて唄い終わると、時間が余っていても構わず退室した。会計を済ませると、私服姿になった先程の店員が出入口付近で立っていた。お店を出ていくと、彼女はおれの後ろを黙ってついてくるようだった。
「今日の調子はどうでしたか」
声がしたので、「まあまあ」だと答える。曲の習熟度には、むらがあった。拍数を無視した、節回しが複雑な曲ほど、細かな取りこぼしが目立つ。これは実際に作詞をしてみないと、なかなか適応力が身に付かないとみえる。
「ぼく、あなたがどうなっていくのか、楽しみなようで怖いんです」
声色は依然として淡々としていた。しかし、おれは歩を止めて、振り返った。そこには木村のようで木村らしくない女が夕闇の残光に照らされて、瞳を震わせていた。
「あなたが何かに追われるように変わっていくと、ぼくは置いていかれるようで」
孤独を覚悟した人は丁度、こんな顔をするのかもしれない。親元を離れ、連れ立つ相手も持たないおれたちは互いに、居所を欲していた。それが互い違いの道の先にあると悟っているから、男女として交わることもなかった。
16-5
「心配するな。そう急に変わるわけがない」
はぐらかして前に向き直ると、後ろから女が身を寄せてきた。外界での男女の接触を快く感じないおれは、伸ばされる腕をやんわりとほどき、もう一度振り向いて彼女の両肩に触れると、距離をおく。
「ひとりは寂しいよ、ユタカ」
四月になり、春の訪れは心を暖かく迷わせ、恋の季節を知らせる。もっとも木村がしているのは恋愛ではなく、おれとの関係性の危惧だろう。いつまでだってこういう関係でもいい。おれは決して木村の女性を冒そうとは考えないし、必要な別れが来たらそれも受け入れよう。元々は一人なのだから、それに戻るのは仕方がない。
「おれだって、ひとりは寂しいさ。しかし、我々はいつだってひとりだ。ふたりに慣れようとも、ひとりにも慣れる。つがいとて、ひとりとひとりから構成される。それを忘れなければ、きっと大丈夫だ」
「判ってますって。判ってますから、ぼくをもう一度抱き締めてくださいよ」
申し出には応えなかった。生涯、おれはだれのことも愛せない。木村がおれのよき理解者としてかたわらに居続けたとしても、彼女の卵子はおれと無縁である。おれはかつて好きだった少女と別れた時に呪われた。
「そんな資格、ない。おれには」
おれは歩いた。だが、後ろに居た人の足音はしなかった。
一人帰宅したおれは自室で絵を描いていた。画像検索をして、適当な写真を紙面に投影するように。漫画を描くための技術を鍛えるために、おれはこんなことをしている。いかに速く、いかに丁寧に、物を表せるのか。抽象的より写実的であれ。
SNSで漫画を投稿している者はたくさん居る。あれらの水準でいいなら、おれにだってできる。だが、それがどうしたというのか。満足するわけがなかろう。だれにでもできるようなところに落ち着くつもりはない。やろうとしてもなかなかできないことは、模倣の余地を与えない。剽窃(ひょうせつ)の心配もない。圧倒的独自性、これが実現できないのであれば否応なく駄作だ。
おれはおれを表現するための技術なら率先して身に付けようと試みる。そのための発想と感性は他者に劣らない自信はある。ただ、手立てが少ないだけだ。人生の限りある時間をいかに使うかで、名もなき一人として死ぬか、その確率は上下する。
より高次元を目指して、おれは自分自身をあらゆる手法で描いてみたい。おれの考えそのものは社会に受け入れられないだろうけれど、備わった技術は社会貢献の足しにはなっている。
老いたらもう道はない。時間があるうちに、やれることをやる。能力が残っている今。体が動く今。生きている今。無駄にしていい今はない。
16-6
日が暮れて、もう何時間経っただろうか。絵を描いていると時間を忘れてしまうときがある。より速く正確にを意識しても、細部にこだわろうとしたら意外に過ぎていたりする。
物音のしない、愛用のデジタル時計に目をやり、同居人の帰りの遅さに異常を察したおれは玄関に出て、引き戸を開けた。
すると、すぐ足元に人がうずくまっていたので、びっくりして腰を抜かしてしまった。そういう体勢をした幽霊か何かを想像したのだ。大きな物音に振り向いたその人はそろそろ立ち上がり、こちらを見下ろした。照明のもとにさらされたその目元がはれていて、罪悪感を覚えた。
「いつからそこに居たんだ」
「いつからかここに居ました。ユタカさんがぼくを探しに来るまでに要した時間は三時間五分程度です」
時刻が午後九時四〇分になるところなので、おれが帰宅してから間もなくずっとそこに居たことになる。おれも学生時代に、親とケンカした拍子にこういう真似をした例があったが、まさかおれ以外にもこんな子供っぽい表現を用いる者が居たとは。
「寒かったろう」
おれは木村を抱き締めるべきか迷ったものの、木村は靴を脱いですたすたと洗面所へ去っていったので、玄関の施錠をして事態は終息したかに見えた。
自室で落書きの続きに取り掛かっていた。
しばらくすると、部屋の扉がひとりでに開いた。すると、部屋着姿の木村が強盗のように押し入ってきて、おれの寝床に侵入し、横暴の限りを尽くした。
「今からここはぼくの場所です。悔しかったらかかってこい」
寝るところなら隣の居間にもあるし、別に挑戦に応じる強制力はなかった。それでも、あどけない遊びに付き合ってやるとしたら、この部屋を出ない方が賢明だ。
「そこは、おれが普段、自慰行為をしている場所なのだが」
「…………」
沈黙が走った。次いで、布団の周りを嗅ぐ息遣いが頻りに鳴り始めた。勢い余って飛び散った時はその都度寝具を洗濯をしているので、万が一でもそんな臭いが残っているわけはない。ついでに、このところ夢精もない。
「ユタカさんの匂いがします」
どういう意味だか聞いたままのはずなのに、変な意味に捉えてしまうのは、先程のおれの発言のせいか。少なくとも体液の類いではないと信じたい。昨晩の寝汗はさすがにどうにもならないので勘弁してくれ。
布団に寝転がる彼女を見ていると、なんだか眠たくなってきた。
「自分の部屋に戻ってくれ。おれもそろそろ寝たい」
「嫌です。寝たいなら、力ずくで奪い取ってみなさい」
仕方ないので、遊び心に、布団まで飛び込んでみると、思いのほかすんなりと入り込めた。
16-7
腕と腕を絡ませようとした直後、電気を消すように頼まれた。円形の蛍光灯の中央にあるひもを下に引くと、橙色の小さな光が部屋を照らした。
「真っ暗にしてください」
言われた通り、部屋は闇が支配する黒い空間に切り替わった。目が慣れてくると、かすかに物が視界に捉えられてぼんやり映る。木村の後ろ姿もそこにあるようだった。
「これだけ誘ってようやく手を握ってくれるだけなんですね。どうせですから、ぼくを大人にしてください」
「冗談だろ。きみも、処女性を恥と捉える若者だったか」
おれは握っていた手を放しわずかに布団の出口へとずれていく。すると、彼女の方から手を引っ張ってきて、退場するつもりだったこちらの動きを制した。
「そんなわけでは。あなたなら、その後も変わらずに接してくれるだろうし、面倒事にはならないと思うので」
「おれを買いかぶり過ぎじゃないか。久し振りに女を味わってみたら、おれはそれなしでは居られなくなるおそれだってあろうに」
何より重大な問題点として、おれたちは家族になることを約束した仲ではないから、互いの生まれつきの欠如を埋め合うなどする意味がないのだ。それすなわち、新しい命の創造であり、責任感がなければ行ってはならない。婚姻もしていない男女のそれは法律で禁止されるべき愚行だと言ってもいい。そうでなくても、男女の発情は一定の時期を迎えると緩やかに収まっていく。大半の夫婦は出会った頃のような熱量を失っていき、別れるなりなんなりするのだろう。死別でもなく、不仲によって片親となる家庭もある。
あらかじめ、男女の恋愛感情が制限時間付きの遊具に等しい事実を弁えていたなら、安易に受精卵の作成を執り行うことをせず、適切な距離感を保ち続けられたはずだ。おれはよく理解しているがゆえに、どんなことがあっても女とそれを行うのは、我が子を望む時以外にあり得ない。あろうものなら、おれは法律によって罰せられなければならない。不幸な子供を生み出す罪悪を背負うくらいなら、おれは永遠に女を感じないままでいい。
「いいですよ。それでも」
二〇才になっているとは言え、まだこの女は十代の子らとそう変わりない。人生経験の機会も、伴った喪失の数も、おれに比べたら圧倒的に不足している。齢十九にはもう幸せから追放される宿命を帯びていたけれど、当時のおれなら、まだだれかを求めることに抵抗がなかった。稼ぎならほどほどにあったし、自家用車も乗り回していた。
しかし、二六になったおれは女と交われない。先を見越している。生まれるであろう子の未来を気にかけて、断じてやらない。
度重なった、木村への拒絶は、かつておれが受けたものと似ているように思えた。だとしたら、この子も相当に傷付いているだろうな。それが申し訳なくて、良い慰めの言葉をかけて、少しでも楽になってもらいたかった。
16-8
「大人になるっていうことは、弁えることができるようになるってことだ。自分のしたいことを我慢したり、気に入らないことにも目をつぶったり。ついこの前まで、おれは子供だった。それだと生きていけないと察したから、こんなおれになった」
慰めのつもりか説教を披露してしまった。そう実感した瞬間には、すぐ隣から鼻をすする物音がして、非常に居心地悪い心境になった。彼女をいさめることのできない無力を味わいながら、おれは仰向けになって暗がりの天井を見る。
「あたしだって、我慢してきたよ! どれだけ軽蔑されようと、自分を守るためだったらどんな卑怯なことも覚悟した。今さらきれいな生き方なんてできないって、判ってるから……」
悲痛な声を震わせる木村はおれの方を向いていた。おそらく、部屋の電気を消した時からずっと。彼女の生い立ちは伺っている。いついかなる時も狡猾に、その場の空気に適応して、強い者にこびへつらって生きてきたことを。生き残ることに貪欲な木村にとって、手近の男は自分を守るための駒に過ぎなかった。
「それでも、だれかに愛してもらいたい、っていうのか。危険を冒してでも」
「そうじゃない。そうじゃないけど、あたし。どうしちゃったんだろう。やっぱりあの女の血が流れてるってことなのかな。ハハハ……」
芝居がかった口調で、自嘲気味な渇いた吐息をもらす。気の狂いによって燃え盛る恋はありふれている。それは人間もまた動物の名残を持っていることの証明だった。身体的な快楽によって求め合った末、滅ぼし合う。計画して行動できるのが知的生命たる人間の強みなのに、我を忘れ、欲求に敗北する。
おれはそうなるものか。せめて、大人のおれはしっかりしていなければならない。この若者に、生き残るための知恵を示すためにも。
「何があっても理性は捨てるな。そういう馬鹿なやつから順に滅ぶ。だが、きみは賢い子だ。おれ以上に、よく気が付く」
「なんですか。ぼくを子供扱いして。誉められたって、うれしくなんか、ない」
泣き止ませてやろうと試みたものの、逆効果だったようだ。肝心な時に言葉は力を発揮しない。行動でしか証明できない、無口なおれにできることと言えば、少々手荒なことではあるが――。
「こっちを向け」
「向いてますよ……おふっ」
恋愛において無資格のはずのおれは自分から口付けをした。彼女の要求に応えてやれない、せめてもの慰めに。
唇を重ね合わせると、口を開いて、馬鹿みたいに舌を絡めた。いつまでも、時間を忘れてしまうほどに。おれはこの満たされたとも思わせる、頭の奥で生成される幸福を感じ取る物質に、刹那的な希望を見た。それと同時に、いつか必ず終わるあらゆる幸せの虚しさも胸を刺した。
16-9
そう言えばあの時も、拒絶されて泣いていたおれに口付けを……。居なくなった人の面影は、とても優しそうに見えて、とても残酷だった。これを言い表すなら、そう。
永遠に楽園から追放されるという、呪い。
おれはだれからも愛される筋合いはない。死ぬまで、ひとりきり。
無抵抗に口付けを受けていた女から口を放し、布団から起き上がる。
「やめないでよ。もっと、してよ」
おれはひどい人間だ。求めても求めなくても、人を傷付けてしまう。人を傷付ける事、それ自体はどうだっていい。だが、おれは怖かった。これ以上、自分が罪を重ねてしまうことが。男として、女を痛め付けてしまうことが。
女を束縛し、支配し、慰めの道具にすることが、かつてのおれの幸福の正体だった。そうすることが、おれという存在をこの上なく満たしてくれた。そんな非道で、下劣で、醜悪なegoistが、愛を手に入れようなどとは理不尽にもほどがある。
経済力があったとしても、おれはことさらに女を所有したいとは思わないだろう。もう、自由を制限もしない。付いてきたければ好きにすればいいし、離れたければ好きなところへ行け。だれかの人形にならなくていいから、自分を持って生きろ。
「おれはどう生きたって悪役だ。それも極めつけの端役の。つまらないことで死に、舞台から去る。そんな男だ」
「なら、ぼくだって同じですよ。正義感なんて欠片もありません」
「そういうことではない。もうおれは後戻りできない道を歩いている。自己責任の、決して容易くない、孤独な人生を」
木村は横になったまま、そばに居るだれかを道連れにする死者のように、おれの衣服を掴んで引っ張った。
「ぼくも連れてってください。味方は一人でも多い方がいいでしょう」
「そうとは限らない。頼る人間が増えた分だけ、寝首をかかれることもある」
「じゃあ、ぼくだけを味方にすればいいです」
服が伸びるくらいに引かれるので、仕方なく、座った状態でそちらに近寄る。
「なぜ、そうまでおれにこだわる? 他にも居るだろう。有能なやつが」
「愚問です。あなたはこの場所に、一人しか居ない。だれがあなたを単位として扱ったとしても、味方であるぼくにとってあなたはあなたなのです」
木村らしくない、随分と無茶苦茶な理論だった。そんな狭い視野でしか物事を捉えられなかったら、場の空気を読めずに、集団から排除されるだろう。おれがおれであろうとも他者からすれば、おれもその他大勢の、その一である。
「他人の目からは、おれはたくさん居るうちの一人に過ぎない。おれが他人をそう見ているようにな」
「ぼくはそう見ないので、ユタカさんはユタカさんです」
頑固にそう言い張るので、そういうことにしておく。相手を一人の人間として見ている時点で、その人は敵にも味方にもなり得る。いつだって、おれは意識される度にだれかの敵の座を射止めていた。木村だけは、おれの味方をしてくれるそうだが。
おれを敵視しない時点で、きみはとても変な人だった。
11111
木村L
表紙
複雑で奇怪な自分に釣り合う人物像を逆算し、実在を問うた。
これは小説でもなければ、日記でもありません。言うなれば、ある人物に宛てた遺書でしょう。その人はきっとどこかに存在していて、私が違う道筋を選んだ際に出合う予定の人物でした。
しかし、これを書いている私からすれば、出合うことのない人物です。彼女から得られるものが、私にとって、大事な、失わせたくないことでありますように。
(制作:2021年3月5日~)
最後の話
木村
であい
これを読んでいるということは、もう私がこの世に居なくなったということなのだろう。私という一人称を使う理由もないから普段通り、「おれ」でいかせてもらう。
おれはどこにでも居る人類の一人であり、どこにでも居ない「私」の一人でもあった。そんなおれを、おれと認識してくれたのは後にも先にもあなただけだった。あなたという二人称はよそよそしいから少し偉そうに、「きみ」でいかせてもらう。
命を持たない存在に時間という概念が流れていないように、もはや後も先もないわけだが、きみが生きていれば、きみの記憶の中のおれは左右上下前後、X軸Y軸Z軸とあちこちの座標に点在しているようである。あるいは4次元を超えた位置から、おれがのぞきこんでいるかもしれない。
すまない、よいたとえが浮かばないのだ。
とにかく、死というのは逃れられない極致にあって、とても怖いものであった。だが、おれが恐れるかどうかに関わらず、死はおれの目の前に現れて、「こんにちは」と顔を出して、通り過ぎておれの全身をすり抜けていくのだろう。その結果、おれは動かない、考えない、感じない塊と化した。動いているのは、おれの文章が握っている心ばかりの意図に始まり、これを読むきみの脳内を駆け巡る血流に、紛れ込んだ酸素か、眼球を突き抜けた文字列が成した具象が催した、前頭前野に念写された思想か。いずれにせよ、座標に点在するおれはきみの頭の中で生きていて、動いている最中なのだろう。
それが紛れもなく、おれを矮小な存在であることを示している。無様にくたばったと笑ってくれることも、大粒の涙を溜めて水分に哀しみをにじませることも、きみらしい姿とは言いがたい。だが、きみはおれの死から何を得ただろう。それには興味があるし、できることなら超次元のおれに伝えてやってほしい。飽くまで、きみの記憶の中で、ね。
尽きない話は人間を予定より早く老けさせる。きみはきみの死に向かいつつも生の途上を歩いていく。つまり、こういう事が言いたかったのだ。まだきみは生きているし、どこかに存在している。
おれはすでに居ないけれど、きみはおれを覚えていて、こんな遺書に目を通している。
これから語るのはきみのことについて。おれの、とても大切な、きみについて。
1
木村という人間は癖の強い女だった。
自分の思っていることを整然と、言葉で表し、嫌いなものを嫌いと言えるような性格をしていた。単に、先入観や一時の感情で意思を決定する方ではなく、世間一般の考えと照らし合わせた上で、好きだの嫌いだのを慎重に見極めている。
そんな彼女から嫌われているでも好かれているでもなかっただろうおれは頻りに、ある場所で彼女の顔を見掛けた。そこは俗に言うカラオケボックスで、正式な名称は知らない。それが正式な名称であることを、おれは知らない。
「お一人様、一時間で。はい、かしこまりました」
この女もどうせ監視カメラ越しにおれのことを嗤っているのだろう。なんて卑屈な想像をしていたのは過去の事である。彼女はとにかく、だれかのことを嘲笑ったり、反対に、もてはやしたりすることもしない堅い面があった。そこに足の小指でもぶつけようものなら、とたとえ話をしようと思ったが、スベるのが予測できたのでやめておく。もう手遅れなどと言ってくれるな。
つまるところ、木村はカラオケ店員と呼ばれる地位に居た。おれは、彼女の勤めている店を頻りに利用する物好きな客だったろう事は想像に難くない。どころか、柔らかい。でもなく、容易い。もとい、おれがそこまでカラオケボックスにこだわる理由はこの際、放っておいて、彼女との邂逅をより詳細に思い返してみる。
おれは一人暮らしをしているフリーアルバイターであり、一か所に留まることなく、職も住所も転々とする、社会的な変人だった。それがわざわいして、職にありつけない貧乏を度々味わってきたし、自殺を考えさせられるくらい八方塞がりになることもしばしばあった。こんなのは自慢ではなく、おれの特徴の一つである。
おれという人間は「他人と同じ」を嫌う「冒険家」なのであり「旅人」なのだと自負している。何を格好つけているのだと嘲笑されるのが関の山ではあるが、普通の暮らしをしている限りだれにもできない生き方を実践しているのだから、その点においておれは格好つけていい。
度重なる引っ越しを繰り返し、親しくなった人や険悪だった人、それぞれとの繋がりを一挙に手放すのが、おれの人生の有り様だった。出会いの分だけ別れを繰り返す。まさに冒険であり、旅だった。その周期的な間隔の中で、いかに多くの事を経験し、そこから学び、自分を鍛えていけるのかが人生の本題だ。
そんな儚いおれの旅路に突如として現れたのが木村だった。彼女が現れたというより、おれが彼女の前に行き当たったと言った方がより自然である。
2
木村もまた一人暮らしをしている若者であり、後で知ったことだが、初対面の頃の彼女は丁度、二〇才だった。おれはてっきり、アルバイトをする高校生を連想していたが、思いのほか成熟した年頃だったわけだ。同期には、専門学校や短期大学、大学などを通っている者が居たことだろう。その時分、おれは実家暮らしをしており、堕落した毎日を送っていた。
成人して間もない彼女は、おれが頻繁に店を利用している姿を、数ある来客の一つとしか捉えていなかっただろう。店員と客の関係だったなら、おれたちは何の接点もなく別々に暮らしていたはずだ。
おれは人並みの男程度には、女に憧れを抱いていたし、できることなら若さを惜しみなくつぎ込みたいなんて野暮を企てていた時期があった。その劣情が明確に潰え去ったのは、おれが二四だった頃だから、割と最近だ。おれが異性への幻想を捨てなければならなかった背景には、生活の困窮が根幹を成していた。
だれかとお付き合いをし、将来を共にするという資格を得るためには、安定した生活と収入が必要不可欠だった。二四才のおれはアルバイトを掛け持ちして、死に物狂いに働いた。それでも手に入る給料は月々十万を超えればいいくらいで、先立つ貯蓄もなければ、積もった借金の返済に溶けていくのだった。
つまり、女の子と一緒になりたいなら、その子を養って余りあるくらいの稼ぎが前提条件にあった。しかも、付き合うだけなら遊びと変わらないから、結婚を前提としたまじめな付き合いができないのであれば、そもそも女の子と結ばれる道理も甲斐性も有り得なかった。
それを悟ったおれはついぞ、女をどうにかしたいなんて浅ましい感情をすっかり失い、なにもおれごときが小細工しなくとも、どんな女性にも相応しい相手がじきに現れることを悟った。
以上が、おれの、男としての限界であり、現実だった。それ以前に、おれの容姿も性格も、現代の女性の好みには著しくかけ離れているようだったから、それも諦めに大きく貢献した。
しかし、木村は違った。
普通の女性は男性に比べ、積極的に異性を求める傾向にはない。その根拠は、出会い系サイトやマッチングサイトで、男性会員が有料で女性会員が無料であることが示している。分かりやすく言うと、強い欲求を持つのはいつも男の方である場合が多い。性犯罪の発生件数しかり、女性専用車両の存在しかり。男性が性に積極的なのは、世間一般の事実で、安直な差別でも偏見でもなく、一つの結論なのである。
女にとって危険な存在ともなり得る男に、なぜ関わろうとするのかおれには理解できなかった。おれは単に唄うのが好きな、自惚れの強いだめ男であり、木村は前途ある善良な、社会貢献を欠かさないカラオケ店員のはずだった。
3
「今度、一緒にカラオケをしませんか」
突然の誘いだった。世間では、コロナカだかジシュクだかうるさくなっているその時期にあって、カラオケボックスだっていつ潰れるか解らないご時世だった。それどころか、従業員に万が一でもあれば営業停止からの閉店という悲しい末路だって考えられた。
もちろん、勇気を出して、断った。彼女もまた提案する時に相当の勇気を要したように。社会的な目で見れば、おれは二十代の男にも関わらず正社員でもなく、家族を持てるだけの経済力を持たない、普通以下の役立たずだった。こんなおれにとって、女と関わることは、将来を左右する重大な事だと、半ば履き違えていた節があるから、友情ゆえの男女の清い関係なんて、とても信用していなかった。万が一、(自分の意志に依らず)何かの間違いで子供ができてしまったとしても、確実に責任が取れるだけの立場にない限りは、女と一切の関わりを持たない覚悟だった。世の中でいう不倫や浮気なんてものが、所詮は自分勝手な遊興に過ぎないのだと、すでに悟っている。そうした遊びに興じるくらいなら、そもそも異性交際なんて無駄以外の何物でもない。むしろ邪魔だった。
「自信がないんですか」
そう言われて、おれの内情は激しく燃え盛った。このおれに限って、隣に小娘が居るだけで唄えなくなるなんて事はない。昔のおれとは違うのだから。男とか女とか関係なく、おれはこの癖の強いカラオケ店員をどうにか驚かせてみたくなった。
こういう抜けきらない負けず嫌いの、子供っぽさがおれらしかった。自分を見下すことがあっても他人から見下されることには強い反抗心が働き、決してその言いなりとなることを許さなかった(バイト中、営業用にこしらえた自分はこの限りではない)。そして、そのおれらしさを見透かしたように口元を緩めた木村が、史実で語られた孔明に類する抜け目なさを有しているように思え、おれはこの出合いがまさしく運命的の中の運命の仕業だったと覚えている。この世に運命が介在しない出会いなどないのだが、特に木村はおれの過去に一度か二度あったかと、数える程度にしかなかった機会を担った一人に加わった。
では彼女がなぜおれに興味を持ったのか。始め、おれはそれが自分の、甲乙つけがたい歌唱力から引き起こされたものだと思い込んでいた。歌が上手であるか下手であるかなんて、聞き手からすれば重要じゃない。馴染みある人の歌声なら許容するだろうし、知らない人が唄う声はときに不快というものだ。カラオケでは、そうした敵対心が芽生えると、他人の作った音楽を使ってぶつけ合い、投げ合って、小さな戦場と化している。