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無音少女 初稿(7)

 



   1


 どうも作者のかとうりすうです。六月に入り、梅雨となりました。ちょっと前は春だったのに、すっかり夏です。2020年に、この季節を迎えられるとは、六割ほど信じていませんでした。残りの四割は、少額の借金がありまして、後腐れがあり死ねずに生きているだろうと思ってました。これから死ぬ人間が後の心配をするのはおかしいのですが、お世話になった人間に迷惑をかけたくありません。これは道徳観や倫理観に基づく善意ではなく、私個人の意地に過ぎません。これは長所でもあり短所でもあります。幾度となく他者を傷付けたり軽んじたりしてきましたが、曲げたくない信念があり、そのためなら馬鹿にされようと失敗しようと「これが私だ」と自信を持って生きてきました。行き着いた果てが職なし家なし前途なし……このような有り様では格好もつきませんね。


 さて、あなたはいかがお過ごしでしょうか。別れてから六年以上の歳月が経ちました。あなたが居なくても居ないなりに過ごせているのが私の実際です。始めはその現実を受け入れられず、毎日メールを送り続け、大してしゃべれもしないのに声を録音して送信しました。たしか、その内容は懺悔(ざんげ)でした。私からの求愛を拒んだあなたの裏切りを責め立て怒ったことについて、深くお詫びしました。ですが、その時期のあなたは一切、返事を寄越しませんでした。当時、私は女性の心をまったく理解していない不心得者でしたから、そうなって当然だと今なら判ります。あなたとの出会いのおかげで、人を好きになる難しさや大切な人への接し方についてたくさん考えました。


 当時、社会人になったばかりの私は固定給をもらいながら働く会社員でした。あなたは学生でしたから、二人だけの生活、なんてすぐには実現できそうにはありませんでした。長い目で見たら、いずれあなたが成人した後で、十分なたくわえを持ってお迎えに上がったのならば、私と共に人生を歩んでいただけたのでしょうか。あなたを失望させるまでは、そんな夢を抱いていました。おかしいですよね。一人前に仕事もできない私風情が、あなたを養えるはずがありません。お互いが心の支えになっていたら、その限りでもないのでしょうけれど。出過ぎた幻想です。すみません。


「流浪の月」って作品を知っていますか? 男色ものばかり書く作家の人(女性だそうです)が、そうでない作品を書き、その翌年の2020年には本屋大賞に選ばれたそうです。内容は見ていませんが、なんでも「男性に連れ去られた、気の毒な境遇の少女」が主人公みたいです。私もあなたを連れ去ったのなら、そんな作品の登場人物みたいになれたのでしょうか。戯れ言です。たとえ、あなたを連れ出したとしても私は逮捕され、罪人です。そうなるのが怖くてできなかった臆病者だと、あなたは笑いますか? きっとあなたは氷のような微笑すら浮かべないでしょう。


 謝罪のメールを送るのをやめてから数か月が過ぎ、あなたに再びメールを送ったら、返事をくださいましたよね。その文面は非常に無機質で、すでに恋人に交わすような言葉ではありませんでした。それを見て思いました。「私はあなたを買い被りすぎていた」

どこにでも居る、ただの小娘に過ぎないのではないかと、悟ってしまうのです。お気を悪くしないでください。あなたの優しいところや頑固で強がりなところも、私は確かに記憶していますから。カラオケで悲しい曲を唄った後に泣いてしまった私を慰めてくれて、きつく抱き締めても(束縛しても)辛抱強く耐えてくれましたよね。その瞬間からあなたは私にとって特別な女性でした。


 いまだに私は欲望に勝てません。女性と交わりたいという気持ちは消えかかった残り火のように燃えていて、たとえゴミだったとしても、何かが近付けられたら簡単に炎へ変わります。そうやって何度も燃え上がっては、あなたの居ない寂しさを埋めました。しかし、心の底まで火が通ったことはありませんでした。本当に欲しかったのはあなたですから。私の生きた証を伝えていけるとしたら、他のだれでもないあなたにお願いしたいと考えていましたから。たとえ、あなたが若さを失っても、一緒に泣いたり笑ったり、ケンカをしたり仲直りをしたり、そうして最期を迎えたかったのです。


 ついに、あなたを知ることができず、今に至ります。連絡が取れなくなり、生きているかどうかも判りません。存命ならば、立派な女性として今も息をしておられるでしょう。もうじき私は三〇です。日常でお店に行くと、自分より若い人が働いているなんて、しみじみ感じ始めています。子を連れた同年代の男女を見ると、古びていく自分の姿がますます強調されていくのです。そうして、死にたくなります。心配しないでください。私は簡単に死なないとは思いますが、死んでもいいような男なのです。ここ、笑うところですよ。


 あなたは私を忘れ、このような拙作にも目を通してなどいない。そう断言します。その上で、お尋ねしたかったことです。


「あなたは今、しあわせですか?」


 日々、自分の価値の低さに責められるような毎日を送っています。できそうな仕事はありませんし、よく関わる仲の良い人も居ません。いつ居なくなっても平気な出来損ないです。小説を書く能力だって大したことないです。生活も破綻し、親切な知り合いに生かしてもらっています。


 あなたはだれかと一緒になって、普通の女性としての生活を送っている気がします。今さら、それにやきもちを焼くほど私は愚かではありません。幸せになってお過ごしならば、心置きなく、あなたを特別ではない女性として見ていけそうです。この小説の推敲もきっと捗ります。


 私は愛というものに期待していないのです。あなたが言ってくださった通り、私は「かっこいい」から、ちゃんとすればモテると思います。お世辞でもうれしかったんです。だから、自慰行為はせずに、髪型も表情もかっこよくなるように頑張っています。高校時代に比べたら、若い女の子に気にしてもらえるくらいの雰囲気は出ている自信はあるんですけど、それこそ自意識過剰ですね。ナルシストって言われちゃいます。本当は自虐的でただの暗いやつです。


 カラオケでの息切れ激しい歌唱についても「上手」って誉めてくれたから、特に歌は熱心に練習したんです。上達が顕著になったのはつい最近の事ですけどね。音楽のできる人は大勢から浮わついた目で見てもらえるのが常日頃なので、これからも精進します。人気に飛び付くだけの、飽きっぽくて、音楽の在り方を理解していない、薄汚い有象無象に目を向けられたってうれしくもなんともないですけど。万が一、才能が開花したとしても綺麗事しか唄わないような歌手にはなりません。敬語も使わない、自信過剰で嫌なやつになってやります。あっ、それは私が音楽に触れる時の姿勢です。音楽は趣味程度にしかやっていないので、将来的な事は考えていません。自作を人前やネットで公開して多くの人に認められるのであれば、オーディションも視野に入れます。


 ですが、私は何も持っていない虚しい人間です。あなたが欲しがらないのも無理はありません。これまで能力も磨かず、いたずらに時間を過ごしているだけでした。電子ゲームやインターネットにばかり手を出して、為すべきを怠って、死んだように生きているだけでした。その理由の一端をあなたに押し付けていたのは否めません。


 変わるべき時がある。私には今がその時です。あなたを失った時点で前に踏み出すべきでした。すでに私たちは無関係の人間同士です。今さら、このようなお見苦しい小説を書いてしまって申し訳ありませんでした。もう喪失を恐れはしません。たとえ、最も大事な物を奪われ、最も大切なだれかが命を落としたとしても、それらをも糧にして生きます。それがあなたのおかげで手に入れた、私の能力です。


「だから、あなたもどうかおしあわせに。さようなら」




   2


 リスカ塔の起こりは私が高校在学中に作ったケータイホームページ(魔法のiらんど)だった。


 小説もどきを書くようになったのは、それからしばらく後だ。現実では為し得ないような、凡俗な空想にふけった。今でいう、(だれだれ)が(なになに)になったら、みたいな感じ。だが、その舞台はゲームの設定を踏襲した異世界ではなく、いつも学校だった。小説を書くには多くの経験や知識を必要とする。まだ自分が関係した事のない職業や身分に関する話は当然書けなかった。そうなると、行き着くのは完全なる空想だったり日記風の体験談だったりと幅は狭まる。


 執筆の頻度は決して多くなかった。暇潰しなら他にたくさんあり、閲覧されないようなものを書いても虚しいだけだ。目に見えて数字が上昇していくゲーム体験に没頭し、愉快なインターネット動画に張り付く毎日だった。だが、私は私を表現することをあきらめなかった。だれが欲したわけでもなく、半ば自分のためにこの小説を書いていた。閲覧数が増え始めて、それがやる気にもなっていたものの、飽くまで一過性の出来事だ。数ある人気作品が時間と共に話題を薄れさせていくように、人々の関心は一箇所に長く留まらない。まして、読書なんて遠回りな手段を取らなくても、現代には映像や音楽、ゲームなどの娯楽が溢れている。本音を言えば、この作品を読んでいる人の気が知れない。これまで私はだれからも評価されずに生きてきたし、今でもそれほど変わらない。更新が途絶えたら、閲覧数はまったく付かなくなった。


「魔法のiらんど」といえば、恋愛小説がたくさん公開される。恋愛小説といえば、男女を描いた作品である場合が多い。男女といえば、性的な事が起こるものだ。このサイトの読者には、純愛を読みたい者が居る反面、エロ描写を見て喜ぶ者が(男女に関わらず)居るような気がしている。素人の恋愛小説が集まる、魔法のiらんどは「黒歴史」だと言われ、しばしば馬鹿にされる。私はそう思ったことはないし、かれこれ二〇年に渡って運営され、2020年4月にはリニューアルされた(運営会社の変遷があり、今はKADOKAWAグループのサイト)。知名度が高いのは言うまでもない。


 使いやすい小説投稿サイトといえば、私は「カクヨム(KADOKAWAが運営する)」を好んで利用している。ところが、書き始めた頃は全然閲覧されないので、公開する意義に乏しい。作品の文字数が増していくに連れて読者の関心が集まりやすい傾向にあることから、一つの作品を長期間更新して文字数五〇万から一〇〇万なんてものも見掛ける。ページ数も三桁を切り、まるで実際の本みたいだ(いちいち読み込むのがだるそう)。反対に、なんらかのねらいがあって一ページで完結させているものもあるようだ。こちらのサイトは異世界ファンタジーが人気を博しているが、私はパスだ。専門学校にライトノベルを研究する学科もあるくらいだから、作者に相応の心得さえあれば、舞台設定や文体がおもしろいのは認められるが、知識を源泉とする読書の本質としては魅力が薄いようにも思える。


 私が読書で重要視するのは全体の物語よりも、作中で語られる出来事とそれに伴う登場人物の心情だ。完成された物語はすでにたくさんあるから、今作は必ずしも完結にこだわらなかった。創作と自伝の複合なので、これという終わりがあっても困るのだが……。繰り返し読まれる作品にする工夫を考えたら、ただの小説には興味がない、ということだ。そして、これは自分自身を述べた作品だから、ここにあるようなことを今後私が発言せずとも、既に公開された内容だと解釈して生きていける。


 ここで少し私自身について話す。便宜上、生まれは1991~1995年というくくりにしてある。いわゆる、ゆとり教育を受けた世代だ。詰め込み型の勉強に固執せず、自由な考え方を重視するのが目的だったらしいが、世間に出て思い知らされた。個性の尊重などよりも、高い能力が重視されるのが常なのだと。学生時代の私は積極的に挙手をして意見を述べる男だった。だが、もはや私の意見など聞きたがる人間は居ない。Twitterを利用している者なら見たことがあるだろうが、私のツイートや声明(せいめい)は取るに足らない。


 海外が運営するTwitterは、ソーシャル・ネットワーキング・サービスと呼ばれる。「インターネット上に社会を構築しようとする試みのサイト」と考えてほしい。その利点は情報の伝達速度が異常に速いことだ。即座に自分の考えを大勢に発信できて、知りたい情報をいち早く得られる。だが、その実態は、大物から小物まで種々様々な人間が利用しているということ。大物とは場所や業界を問わず影響力のある人間であり、小物とは大物以外のほとんどを指す。私は小物の中の小物であるから、何を発言しても他者からの反応は薄く、関心も得られない。大物が利用すれば大きな成果を見込めるものの、小物が利用してもほとんど手応えはない。ちょっとした発言が話題に上がったり、身に起きた珍事を報告したら大ニュースになったりするが、どれも時間が過ぎたら新しい情報で埋もれていく。


 結局のところ、SNSは人をだめにする。多くの意見があれば対立するし、現実では分かり合えないのに、画面上で分かり合えたからとその気になってしまう。実際、外(人間社会)を歩いていて、SNSで展開されている平和な価値観はなかなか見受けられない。それは「ネット上でだけ都合のいいことを言う」欺瞞(ぎまん)が蔓延していることを示している。画面上では強気なやつが、外では下を向いて歩き、言葉もろくにしゃべれないというのが、その典型だ。Twitterでは「同性愛に理解があります」なんて言っておきながら、実際にそういう人たちが目の前で手を繋いでいたりキスしていたりしたら、まったく動揺しないはずはあるまい。


 現実とSNSには明確な隔たりがあるのだ。私はその差を自覚し、現実に近い価値観と態度でTwitterを利用するように心掛けた。だが、欺瞞をつぶやいている方が断然、他者からの見られ方はよいだろう。だから、SNSを利用している人間には裏の顔が形成されやすい。そこに書かれていることを決してうのみにするな。一部の大物を除き、フォロワーの数が必ずしも人間の価値だと考えるな。そこには裏があると疑うくらいでいい。


 あと、自分の感情を遠慮なしに書き込めてしまうのもSNSの罠だ。あれは一番やってはいけない。暴力的な事を言えば人間としての知性を疑われ、性的な事を言えば人間としての品性が疑われる。言っても仕方のないことや言わなくてもいいことは極力、言わないでおく方がいい。利用者の中には、病みアカウント(闇垢)とかエロアカウント(エロ垢)とかいう分類があり、同列の者が「つながりたい」と称して固まり合おうとする。その背景には自分の孤独や欲求を埋めたいという「利己的」な考えがある。自分を満たすための利害が合わない人間には、とことん薄情なのが最たる証拠だ。そうした連中と関わっても、互いが傷つけ合い、不幸になるのが落ちだからやめておけ。


 これだけ長々とSNSについて書いたのには理由があり、私は「リスカ塔」のTwitterアカウントを、この小説に関する内容を除き、更新しないことに決めたためだ。アカウントを削除して、もうSNSには二度と関わらない考えもあったが、使い道がありそうなので残す。だから、ダイレクトメッセージを送りつけたりフォローしたり好きなようにしてくれて構わない。その最中に私がくたばったとしたら、それはそれでいい。


 この作品を推敲する時に限り、貴様たちの目の前に再びリスカ塔は姿を現すだろう。その報告のためにTwitterは使わせてもらう。最後に、リスカ塔という名前の由来について話してやる。


 リスカはリストカットを略したイメージが強いだろう。だが、そうではない。自傷行為で得られる安心感があるのだとしたら、それに代替するもっとイイ安心感を与えてやれば済む話だ。ケガに精神を支配されず、ケガをケガとして理解できるのならば、リストカットは貴様を解放する。私にとっての「リスカ」はリスカ株式会社であり、おいしさのハートランドなのだ。あと「塔」は適当に取って付けた。


 この名前のイメージは社会的にそこまで良くないため、これからは別の名前で執筆や音楽、イラスト(ただのらくがき)の活動をやらせてもらう。その時はリスカ塔のTwitterアカウントから見て、分かるようにしておく。暇潰し程度に見ていってくれたら幸いだ。ちなみに、当面は音楽を中心的にやる予定である(三年前くらいにやっておくはずだったのに、今さらやっている)。


 リスカ塔は青少年だった私の良い思い出だ。これからは違う自分として新しく始めたい。今までありがとう、リスカ塔。


 だからといって、かとうりすう(下等理数)はない。下等理数はノベルゲーム制作アプリ「Script少女 のべるちゃん」で使っていた名前だ。どうやら有料化して、機能が増えたみたいだが、そちらの再開は考えていない。当時、見てくれた人たちには申し訳なかった。小説の制作以上に時間が掛かりすぎて、やめざるを得なかったのだ。


 リスカ塔なんてやつを知っている人はそんなに居ないとは思うが、今までありがとう。


 さらばだ。




   3


 つづきはじぶんでかんがえてね。そのほうがおもしろいんだって。きれいにおわってすっきりするなんてぼくのしょうにはあわない。にんげんってしんだらおわりなのに、おわらないでくれってながいきしたくなるものでしょ。このしょうせつだって、まだしにたくないっていってるよ。しんだらわすれられちゃうでしょ。いきていたら、まだいろいろなにかうごきがあるからみてもらえるのぞみもある。たとえ、どんなにつまらないにんげんでもいきているだけで、だれかにいしきしてもらえるんだ。ほねになったら、もうしんだひととしてあつかわれて、おしまい。どんなおわりかたをしたって、きょうみかんしんはしたのほうにうもれていく。ゆうめいなひとやれきしからまなぶことはあれども、かざりけのないおわりはきおくにとどまらず、ばいばいっておくりだされるんだ。ぼくのじんせいも、このしょうせつも、そうしたいみではいっしょなんだね。わざわざここまでよんでくれたひとって、そうとうなものずきだよ。れんあいにしてはわいしょうだし、じでんとしてはけいはくだし、れとりっくのおもしろみのないださいぶんたいなんだもの。だれかのためにかいたはずだけど、これ。もうそんなあとづけのりゆうなんてばかばかしくおもえてきちゃった。かきたきゃとっくにかいてるよ。じんせいにおいこまれてようやくかいたんだ。しぬのがこわくて、たすけてくださいってつもりでかいたんだ。どう。つまらないでしょ。どくしゃのみなさんには、ぼくのくるしみはつたわっていないとおもいますが、すべてはむからはじまり、むにおわっていくのです。なにかにしゅうちゃくするむなしさをこれからもっともっとけんきゅうしていきますからどうぞよろしくおねがいします。


The human body is dirty and the human spirit is blasphemous. As long as humans are alive, sin continues to be created. Nevertheless, with a calm face, people want to live happily every day. I realized my sinfulness after breaking up with my lover. The more I get involved with someone, the less interest I have. The One doesn't know a lot, so the one tries to know. The One doesn't have things, so the one tries to get it. However, knowing deeply, diminishes interest for what the one know. Owning something is means losing sometime. So humans don't keeping know much, and stick to what they got. I'm disappointed with humans because I knew what I don't want to know. And, I'm reluctant to get something, because I keep losing my things. Things to see, hear, and touch. I hate them all. Life is precious, but it makes no sense. Why do i think it? If I wasn't human, I didn't have to worry about life. Eventually, I will die. But, I'm alive, so I'm hard to die. And, There is fear. When I die, I can't go back anymore. It's always the case that humans have no hope. It's a despair never seen by happy people. But as long as we live in this dirty lower world, we can never escape human malice and attack. I lived in affirmative way of life If I had nothing to do with misery. Damn.


在准备的生活中没有自由。人类从出生的那一刻起就受到诅咒。只有罪恶增加,永不减少。主张自由会导致个人打扰整体,并最终导致重大案件。每个国家总是有统治者,并与其他国家反复战争。在远离战争的现代时代,个人和个人冲突脱颖而出。总是愚蠢的人抱怨赋予的权利并扰乱公共秩序。聪明的人隐藏了自己的思想,适应能力强,并且过着生活。保护个人权利和建立个人福祉非常美丽。但是,随着我们变得更加自由,幸福的标准也在增长,需求也在增加。最终,秩序与自由之间的界限变得模糊,人类忘记了耐心。人类具有优越性和自卑性,并在此基础上赋予了理性的角色。如今,我们正在滥用自由,因为它是不平等的,因为它给无用的人类带来了慷慨的自由。每个人只有在国家有自由的空间时才能实现自由。 但是时间和资源不是无限的。在情况迫在眉睫的情况下,对社会无用的人类将被无视并被剥夺权利。会有一些牺牲来节省很多。但是我们人类不会认为这是邪恶的。价值观与时俱进。今天的人们尽可能不间断地寻求自由。但这也不会持续很长时间。效率低下的对自由的尊重会在以后产生负面影响。人类珍视爱,但同时,作为虐待爱的肮脏生物,其精神上没有真正的正义。


 こここな出来損ない。それが為すすべきのう動性としシンカの可能性と不可逆ですこれは。あああそうでしたね、リパラこうろナうぃうぃる。さーきっとノミマショウだれか。ねっと依存、むだ。つまってなイこれイジョウ何いってもむダダよ?しつかりしてクダださいよほほほほ。こいよ。おらドウシタこいみがいなこもれ三だかどっチかはっ切りしたあたあタ。ラナイこいさかつりり皮グッどどサア。らす、お?オ?奥ごいよネ。ね。グッ去りやすやすやす中く。ダラナだんかよーくっ。ささサささかりなイタ恋かス。かちノえモナああいルっでまほやほほホんサスガすがリ。わたしだれ?おおおオマエす潰ナア。あえひャああっホァひフフ皮膚。ゲェゾっこねぢゃヲき馬ズら糸んなだ。ザアわゑゑ?モー辺もへラララ。うッ血カハりすご云ネ!ビッとキ手さがすすぅノ。ぽルワワーなッゐ世。大さノンサって聞た?ヲい。ブぇぇるんンん、やーわァ雲モ。ツ、ツ、シ。勝ト月。オマえをサン許す絶。呪、モドかにあッイイ根!びつクり根!音消無なダ、そレソ耳。怒ー。しそ。対殺、ギ、おれヲトリ煮し前サンぞ? 呪ロクくくくくく、ゐカてさ還ンね。死九し。在りがドぅぅ、舌ミきレボほォぉ。がススすガねぇトぅし多?とモウ消わん寝すラ。