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利用しているのはどちらの方か

 

 利用し、利用されて生きる。それが人間の社会の真理だと思っている。そればかり考えていると、素直に人々の良さを見つけられなくなり、自分自身にさえ嫌悪感を抱いているものである。


 私がこのような心境に立っているのは、ひとえに現在の収入源ともいえるバイト先の有り様に起因している。まず、この職場と呼んでよいものやら疑わしい環境についてだが、とにかく人に恵まれない。人員が足りていない。従業員の数もそうだが、それにも増して仕事の質も悪い。意欲が低く、仕事の出来映え・後始末が悪い。


 この問題は人的な要因に加えて、労働環境に原因がある。


 着眼点と勘が鋭く目ざとい私でさえ、取りこぼしが発生するくらいの、余裕のない状況が続いていることからも、状況が仕事を困難にさせていることは確かである。むろん、私でさえそうなるのだから、これよりも能力の低い人間が私以上の働きをできるわけがないし、現実にその人たちの仕事の出来映えは高が知れている。


 しかし、それは能力的な不足のみならず、各々が十分な集中を発揮できない環境によるものが多く、相当に対応力の高い人間がどうにかして遂行できるものなのであって、そもそも並み程度の人間が果たせるような職務ともいえないのだ。


 では、この職場の特徴を分析してみる。


 人が不足している、というのが最大の欠点である。


 人が居ない理由は主にこの二つ。

1,職務の参加に意欲が得られない。

2,従業員にかかる負担が重い。


 不況だ高齢化だといえども、実際に労働者はまだまだ多く居る。能力の低い人間が隅で無駄口を利いたり手持ちぶさたに遊んだりするくらいには足りているといえる。しかし、私の居る職場に、これはあまり関係がない。


 1における「意欲」は、労働契約における待遇が優れていないことが最初に挙げられる。分かりやすい部分でいうなら、賃金、時間給が低い。いわゆる最低賃金といわれる水準の額面であるから、ここに勤めようとする労働者は必然、能力が低いか意欲の低いか、という者の集まりになる。ともいう私はそうなのか実感がない。


 2の「負担」というのは、単純な仕事量のことである。能力の低い人間が多いとなれば、それよりも優れた人間がその不足分を補って取り組むことが多い職種であり、介護とまではいわないが、それと似たような気遣いやら支えやらを余儀なくされる場面がある。たとえば、仕事に対する理解が少ない人間を教育するような場面を想像してもらいたい。成熟した従業員であれば親切すぎる教育の必要がないが、能力を備えた人間が一定数居ないこの職場では、常に教育や指摘の機会が必要とされるのでとにかく疲れる。


 このような状況を生み出している核心は、その会社(雇用主)が「貧乏」であることに尽きる。末端の私ごときが社内の事情を解している道理はないが、持ち前の洞察から、この雇用主が従業員に負担を強いているのは、資金繰りに困っているからである。


 その根拠の一部を挙げるなら、たかが一分でも残業すると怒られる。この一分をひと月の労働日数で集約すると、およそ二〇分になる。これは時給の三分の一に相当する。一分の残業を各従業員が毎回行うと、残業している人数×{残業された分×残業のあった日数}の金額が発生し、毎月この余剰な人件費がかかるわけだから、たとえ一分でさえも、貧乏な会社にとっては見逃せないわけだ。これが都度二分、三分となると、当然額面は大きくなる。


 人手が足りないと嘆くくらいなら、多少の投資をしてでも利回りを追求するのが攻めの経営だと私は考えている。今の雇用主みたいな守りに入って沼にはまるくらいなら、短期的な損失を見送ってでも将来の生産性は担保しておく姿勢が、現代の競争厳しいビジネスには必要なのだ。


 つまり、待遇面、主に時給を改定し、広告を打ち人を集め、仕事の質も改善する。そうすれば、間違いなく一人一人の意欲は上がるし、能力が低いとされてきた人物にも必要な教育が施されて、ゆくゆくはどの人物も戦力として十分な働きを期待できるようになる。しかも、勤めている者たちの収入が確保できることから、離職率もそれまでよりは低くできる。それで辞めてしまう者が現れても、環境が整っているなら、次の人はすぐに現れる。




と、まあ、このようなことを考えている私もそろそろ自分の会社を持ちたいわけだが、現在のバイト先に依存して、益体もない日常に埋没している有り様だ。これでは家賃は払えないし、税金も納められないし、頭痛を生じるくらいの虫歯を治すための通院もできない。


 今のバイト先は収入を得るべく利用しているし、人生の持ち時間を労働力として利用されているのも事実だ。だが、さすがに利回りが悪いし、これからの私の心構えとしても、その労働環境は悪影響でしかない。


 アルバイトなどは二度とやらないつもりで、2024年を考えていたのだが、すでに8月。もってあと二か月程度。冬期は別のことをしたい。とにかく歯が痛い。生きていてもいいことはないのではないか。さすがに疲れた。といったことを考える毎日だ。


 事業を興せるなら、それに越したことはない。だが、何からすればいいのかが解らないし、解っていていても身動きが取れる状況でもない。


 だから、私は行動できるための地盤を整えて、ひとまずは既存のビジネスモデルと起業の手順を知ることから始めていこうと思う。それについては、また動画として録りたいと考えている。暑くなくなったら、それとその時まで生きていたら。またどこかで。